政談 / 訴人の事
丸橋仲彌か訴人したるものに、今も御奉公仰せ付けられずと云ふ、惣して武家の風俗にて、訴人をするを大なる臆病とす、夫は己れが意趣ある人と討ち果すことは命惜ければ、其の人の惡事を訴人して上より殺さするを臆病とすることなり、忠節の訴人は夫に混することにあらず、左れども愚かなる風俗にて何の差別もなく、兎角訴人は臆病の所爲と云ふより、武家に限らず、是によりて其の時分人々刀を一所に置かさるより、喧嘩を氣遣ふて、其の時の御老中の申付けたるより、今に至るまで御奉公仰せ付けられざるなるべし、惣して訴人を臆病と云ふは私の義理なり、古の訴人は大なる忠節なり、戰國の時分は幾人もあるべし、何れとも皆忠節に立て、其の子孫今に大名にも御旗本にもあるべし、惣して私の義理と公けの忠節とはくひ違ふもの也、國の治めには私の義理を立つる筋もあれとも、公けの筋に大に違ひて、寄附あることに至りては、私の義理をば立てぬことなり、仲彌如きのことは此の以後とても必すあるまじきことにあらす、御詮議ありて御奉公仰付らるべきこと也、
新字:丸橋仲弥か訴人したるものに、今も御奉公仰せ付けられずと云ふ、惣して武家の風俗にて、訴人をするを大なる臆病とす、夫は己れが意趣ある人と討ち果すことは命惜ければ、其の人の悪事を訴人して上より殺さするを臆病とすることなり、忠節の訴人は夫に混することにあらず、左れども愚かなる風俗にて何の差別もなく、兎角訴人は臆病の所為と云ふより、武家に限らず、是によりて其の時分人々刀を一所に置かさるより、喧嘩を気遣ふて、其の時の御老中の申付けたるより、今に至るまで御奉公仰せ付けられざるなるべし、惣して訴人を臆病と云ふは私の義理なり、古の訴人は大なる忠節なり、戦国の時分は幾人もあるべし、何れとも皆忠節に立て、其の子孫今に大名にも御旗本にもあるべし、惣して私の義理と公けの忠節とはくひ違ふもの也、国の治めには私の義理を立つる筋もあれとも、公けの筋に大に違ひて、寄附あることに至りては、私の義理をば立てぬことなり、仲弥如きのことは此の以後とても必すあるまじきことにあらす、御詮議ありて御奉公仰付らるべきこと也、
書き下し
丸橋仲弥か訴人したるものに、今も御奉公仰せ付けられずと云ふ、惣して武家の風俗にて、訴人をするを大なる臆病とす、夫は己れが意趣ある人と討ち果すことは命惜ければ、其の人の悪事を訴人して上より殺さするを臆病とすることなり、忠節の訴人は夫に混することにあらず、左れども愚かなる風俗にて何の差別もなく、兎角訴人は臆病の所為と云ふより、武家に限らず、是によりて其の時分人々刀を一所に置かさるより、喧嘩を気遣ふて、其の時の御老中の申付けたるより、今に至るまで御奉公仰せ付けられざるなるべし、惣して訴人を臆病と云ふは私の義理なり、古の訴人は大なる忠節なり、戦国の時分は幾人もあるべし、何れとも皆忠節に立て、其の子孫今に大名にも御旗本にもあるべし、惣して私の義理と公けの忠節とはくひ違ふもの也、国の治めには私の義理を立つる筋もあれとも、公けの筋に大に違ひて、寄附あることに至りては、私の義理をば立てぬことなり、仲弥如きのことは此の以後とても必すあるまじきことにあらす、御詮議ありて御奉公仰付らるべきこと也、
現代語訳
丸橋忠弥(慶安事件の一味)を訴え出た者に、今も御奉公が仰せ付けられていないという。総じて武家の風俗では、訴人をするのを大きな臆病とする。それは、自分が恨みのある人と討ち果たすのは命が惜しいので、その人の悪事を訴えて上に殺させるのを臆病とするのである。忠節の訴人はそれと混同すべきものではない。けれども愚かな風俗で何の区別もなく、とにかく訴人は臆病のしわざだと言うので、武家に限らずそうなった。これによって、その時分の人々が刀を一所に置かず、喧嘩を気遣って、その時の御老中が申し付けたことから、今に至るまで御奉公を仰せ付けられないのだろう。総じて訴人を臆病と言うのは私の義理である。古の訴人は大きな忠節である。戦国の時分には幾人もいただろう。いずれもみな忠節として取り立て、その子孫は今も大名にも御旗本にもいるだろう。総じて私の義理と公の忠節とは食い違うものである。国の治めには私の義理を立てる筋もあるが、公の筋に大きく違い、関わりのあることに至っては、私の義理は立てないものである。忠弥のような事は今後とても決してないとは限らない。御詮議があって御奉公を仰せ付けられるべきである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』喧嘩兩成敗の事偖又人にぬきかけをして其の塲を外づし、相手にならぬものを武家の風俗にて臆病ものと云ふこと如何有るべき、是は元来戦塲に於て士卒の迯るより戦はまけになること故、迯るを臆病と立てゝ、平日にても逃るを臆病と云ふことなり、左れども是れは業武者大将の仕込みて箇様に癖を仕りたることにて、われた風俗になりたるなり、戦塲は公けの忠義なり、喧嘩は私の闘諍なり、塲所各別のことなり、其の上志ある人、大なる望みある人、忠義を重んじ主人の御用に立ちたきと思ふ人は、喧嘩の相手にはなるまじきなり、韓信か人の股を潜りたるためしもある也、木村長門が坊主に頭をはられて堪忍し、仙台の政宗か兼松又四郎に頭をはられたるたぐひ、なにとて臆病とは云ふへき、尤も臆病にて其の塲を外つす人もあるべけれども、委細にその詮儀はなりがたきことなり、畢竟私の闘諍は公禄を食むものゝ上には大義を忘れたる筋なれは賞翫すべきことなく、肝心の戦将にても逃ることなきにあらず、軍の言葉に引と云ふは迯ると云ふことを忌みて名を付替たる迄にて、畢竟は迯る也、
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『政談』出替り奉公人の締りの事兎角武家柔に而かも愚かになり事の始終の呑込なく、又軽薄第一の風俗になりたる故、少し目高き人の家に件の欠落もの住み居れは勿論のこと、大抵同輩の者のかたに住居ても断りを申し遣はすことを遠慮することに大方はなりたり、又夫を召しをきたるものも届をうければ其の者はこの方をも今朝欠落したるなどゝ紛かし、当分八釜しき目をせぬ様にするを利口なりとするたぐひ多し、左様の者を召し置くは法に背くその上傍輩への無礼なり、無礼は我が身の瑕瑾なりと云ふことは夢にもしらす、又昔の武士の左様なるものを構ひ置きたることも抜群のたがひにて、只何もかも利口を先きとし、ものをすりぬけよけはづし、ことの始終をしつはりと取りさばき身に引きうけへきことはへらす、引うくることは絶てこれなき世界となる故、その風俗なることになりて公法のとが人の欠落逐電をも奉行御役人も下々のさやうなることはめづらしからさること、さやうにつじつまの合ふやうにはさばきはならぬものと云ひのゝしりて未熟ふせんぎなるとりあつかひなり、
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『政談』諸役人に器量を選ふ事偖又当時は何事も理筋を立つること少なくなりたり、是亦人々器量を出さぬ様になる悪弊なり、惚して下より上へ物を申すは、十あることなれは一つか二つならでは得申さぬものなり、昔は下より申すことは理筋のあることなれは、少々無調法有りても尤もと賞翫して立てたること世の風俗なり、近年は兎角老中若老中に番頭なども下の理筋を立つることを嫌ひ、理筋あることをも顔付を悪くし、不あいしらひにする、其の人理強くて抑へられぬことなれは、智恵を廻はして外の事にて抑へるやうにし、下に物を云はせまじきとする、斯の如くなる故下たる人兎角何事もだまりたるが善きそ、上の機嫌に違はぬやうにするが善きそと云ふことに皆なる、此風俗今は十分に行き亘りて世間阿諛諂侫のたゝ中となる、
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『政談』諸役人に器量を選ふ事惣じて下より上へは物は申しにくきもの也、されども道理のさとき人は道理に乗て申す事もあり、又上の御為めを大切とはまりぬるにて申すこともあり、又た一旦上意遁れがたくしてたまさか申すこともあれとも、其塲を立ち去らば夜の寝醒めなとには偖も今日は詮もなきことを申したる物や、上の御咎めも測りがたし、御老中又頭の気に障りて、身の害となるへしと思へは、毎度後悔出つるは人情の常なり、斯の如き時は此のもの後悔の出つるか重なりて、後は皆もの云ぬことになるなり、
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『政談』出替り奉公人の締りの事此のこと中頃より人を殺すを不仁なるなとゝ云ふやうなる理屈はやりて、夫に武家にあるましき利勘の詮議を第一にするより、給金を取戻すにて欠落の罪消え行き、法の乱れたる故近年欠落することを奉公人の常とする風俗、斯の如く執行はずは曽て巳へからさるなり、当時は地頭御代官も手前の知行所支配所より事の出るを外聞悪しきとて、奉公人の出るを知らぬ分にする事当時の風俗なり、されども何程知らぬ分にするとも知行支配たる百姓にはまぎれなし、其者のいつ方に居るか知ぬことは己が職分を忘れたるなり、又きみかまを立つる風俗にて手前の知行支配のものと他の人との勝負をおもふこゝろ是れ亦御城下にての公法をないかしろにし上を敬はさる我意なれは、斯の如くの風俗の衰ふるやうに有りたきことなり、さて又その奉公人御当地出生のものならば、町にても武家にても其家本より証文を出し諸事右の如くなるべし、地頭御代官もその家もとも公法を重んする所をきつとまもり、粗末に取りあつかふべからざることなり、
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『政談』出替り奉公人の締りの事然るに御先々前御代に手打成敗したるものは自から公辺宜しからず、立身の害となるより武家殊の外柔になり手打成敗と云ふことは当時に至りては世間に沙汰を聞かぬやうなり、されば出替りものなど召しつかふにも給金を損にせぬやうにするを利口なる仕かたとす、欠落逐電をもうけ人にかゝり給金をとりもとし詫言をさせ、金さへあれは奉公人に事欠くことは無しと量見し、武法の所をは脇へし、損得のくめんを第一とすることに当時はなり、遂には類代と云ふことを忘れて給金をさへ取れは欠落逐電の罪は消えゆきたるなり、又受人にもいたつらものありて御城下に住なれ年久しき故、奉行のさばきをちうにのみこみ居て主人の申付けをもうけつけす、却て公事なと云ふともがら多き故、未熟なるものはそれに困りて唯穏びんかよきとて埒もなくとりさばくたくひ近年は多きなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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