政談 / 出替り奉公人の締りの事
然るに御先々前御代に手打成敗したるものは自から公邊宜しからず、立身の害となるより武家殊の外柔になり手打成敗と云ふことは當時に至りては世間に沙汰を聞かぬやうなり、されば出替りものなど召しつかふにも給金を損にせぬやうにするを利口なる仕かたとす、欠落逐電をもうけ人にかゝり給金をとりもとし詫言をさせ、金さへあれは奉公人に事欠くことは無しと量見し、武法の所をは脇へし、損得のくめんを第一とすることに當時はなり、遂には類代と云ふことを忘れて給金をさへ取れは欠落逐電の罪は消えゆきたるなり、又受人にもいたつらものありて御城下に住なれ年久しき故、奉行のさばきをちうにのみこみ居て主人の申付けをもうけつけす、却て公事なと云ふともがら多き故、未熟なるものはそれに困りて唯穩びんかよきとて埒もなくとりさばくたくひ近年は多きなり、
新字:然るに御先々前御代に手打成敗したるものは自から公辺宜しからず、立身の害となるより武家殊の外柔になり手打成敗と云ふことは当時に至りては世間に沙汰を聞かぬやうなり、されば出替りものなど召しつかふにも給金を損にせぬやうにするを利口なる仕かたとす、欠落逐電をもうけ人にかゝり給金をとりもとし詫言をさせ、金さへあれは奉公人に事欠くことは無しと量見し、武法の所をは脇へし、損得のくめんを第一とすることに当時はなり、遂には類代と云ふことを忘れて給金をさへ取れは欠落逐電の罪は消えゆきたるなり、又受人にもいたつらものありて御城下に住なれ年久しき故、奉行のさばきをちうにのみこみ居て主人の申付けをもうけつけす、却て公事なと云ふともがら多き故、未熟なるものはそれに困りて唯穏びんかよきとて埒もなくとりさばくたくひ近年は多きなり、
書き下し
然るに御先々前御代に手打成敗したるものは自から公辺宜しからず、立身の害となるより武家殊の外柔になり手打成敗と云ふことは当時に至りては世間に沙汰を聞かぬやうなり、されば出替りものなど召しつかふにも給金を損にせぬやうにするを利口なる仕かたとす、欠落逐電をもうけ人にかゝり給金をとりもとし詫言をさせ、金さへあれは奉公人に事欠くことは無しと量見し、武法の所をは脇へし、損得のくめんを第一とすることに当時はなり、遂には類代と云ふことを忘れて給金をさへ取れは欠落逐電の罪は消えゆきたるなり、又受人にもいたつらものありて御城下に住なれ年久しき故、奉行のさばきをちうにのみこみ居て主人の申付けをもうけつけす、却て公事なと云ふともがら多き故、未熟なるものはそれに困りて唯穏びんかよきとて埒もなくとりさばくたくひ近年は多きなり、
現代語訳
ところが先々代の御代に、手打ち成敗をした者はおのずからお上の受けがよくなく、出世の妨げになったことから、武家がことのほか柔弱になり、手打ち成敗ということは今では世間で噂も聞かないようになった。それで出替り者などを召し使うにも、給金を損しないようにするのを利口なやり方とする。欠け落ち・逐電も請人に負わせて給金を取り戻し、詫び言をさせ、金さえあれば奉公人に事欠くことはないと考え、武の法のところは脇へやり、損得の工面を第一とすることに今はなった。ついには類代(同類の罪を問う定め)ということを忘れて、給金さえ取れば欠け落ち・逐電の罪は消えていったのである。また請人の中にもならず者がいて、御城下に住み慣れて年久しいので、奉行の裁きを心得ていて主人の申しつけも受けつけず、かえって訴訟などをする輩が多いので、未熟な者はそれに困って、ただ穏便がよいといって、らちもなく取りさばく類が近年は多いのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』譜代者の事偖譜代多く持ちたる人をは上よりも軍役の嗜み多きに沙汰し、譜代これなき家をは軍役の嗜みなきに沙汰し、咎有りて奉公人を誅戮するも譜代ものをは真の主従とさばき、出替りものを当分の雇はれものとさばき、また平日も譜代のさむらいには袴を着せ、出替りさむらいにはかまを許すへし、斯の如く取捌かは武家のともがら自然と合点ゆきて、此の風俗改まるへきなり、然れとも畢竟の所武家を知行所に置されは御城下は物入多くて、譜代のものを沢山に持つことなり難かるへし、仙台諏訪などの風俗承り及ひ候に、三四百石とるさむらい何れも譜代のさむらい三四十人も持ちて、さむらいなれとも草履も取り提灯も持つなり、武士軍中にてはもと草履もたいまつも持へき事なり、供一べんと云ふやうなる悪風俗出来して古風は皆失せたりと知るへし、
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『韓非子』人主第五十二夫れ功有る者重禄を受け、能有る者大官に處れば、則ち私劒の士安んぞ私勇を離れて疾く敵を距ぐ無きを得ん、游宦の士焉んぞ私門に撓むを無くして清潔を務めざるを得んや。此れ賢能の士を聚めて私門の屬を散ずる所以なり。今近習なる者は必ずしも智ならず、人主の人に於けるや或いは知る所有りて之に聽く、入りて因りて近習と其の言を論じ、近習に聽きて其の智を計らず、是れ愚と智を論ずるなり。其の當途なる者は必ずしも賢ならず、人主の人に於けるや或いは賢とする所有りて之を禮す、入りて因りて當途の者と其の行を論じ、其の言を聽きて賢を用ひず、是れ不肖と賢を論ずるなり。
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史記 季布欒布列伝季布河東の守と為る、孝文の時、人其の賢を言ふ者有り、孝文召し、以て御史大夫と為さんと欲す。復た其の勇にして、酒を使ひて近づき難きを言ふ有り。至り、邸に留まること一月、見えて罷めらる。季布因りて進みて曰く「臣功無くして竊かに寵せられ、罪を河東に待つ。陛下故無くして臣を召す、此れ人必ず臣を以て陛下を欺く者有らん。今臣至るに、事を受くる所無くして、罷め去らしむ、此れ人必ず以て臣を毀る者有らん。夫れ陛下一人の誉を以て臣を召し、一人の毀を以て臣を去らしむ、臣恐らくは天下の識有る者之を聞き以て陛下を闚ふ有らん」と。上黙然として慚ぢ、良久しくして曰く「河東は吾が股肱の郡なり、故に特に君を召せしのみ」と。布辞して官に之く。
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『韓非子』六反第四十六其の言を聴きて其の当を求め、其の身に任じて其の功を責むれば、則ち無術不肖の者窮す。夫れ力士を得んと欲して其の自ら言ふを聴けば、庸人と烏獲と雖も別つべからざるなり。之に授くるに鼎爼を以てすれば、則ち罷健效る。故に官職なる者は、能士の鼎爼なり、之に任ずるに事を以てして愚智分かる。
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『韓非子』難三第三十八今功有る者は必ず賞せらる、賞せらるる者は君に得とせず、力の致す所なればなり。罪有る者は必ず誅せらる、誅せらるる者は上を怨みず、罪の生ずる所なればなり。民、誅賞の皆身より起こるを知る、故に功利を業に疾くし、而して賜を君に受けず。「太上は、下之有るを智る」。此れ太上の下民は説ぶ無きを言ふなり、安んぞ恵を懐ふの民を取らん。上君の民は利害無し、説くに「近きを悦ばし遠きを来たす」を以てするも、亦舎てて可なり。哀公に臣有り、外は障距し内は比周して以て其の君を愚にす、而して之に説くに「賢を選ぶ」を以てす。此れ功伐の論に非ざるなり、其の心の所謂賢なる者を選ぶなり。哀公をして三子の外は障距し内は比周するを知らしめば、則ち三子は一日も立たざらん。哀公は賢を選ぶを知らず、其の心の所謂賢を選ぶ、故に三子事に任ずるを得たり。燕の子噲は子之を賢として孫卿を非とす、故に身死して僇と為る。夫差は太宰嚭を智として子胥を愚とす、故に越に滅ぼさる。魯君必ずしも賢を知らず、而して説くに賢を選ぶを以てするは、是れ哀公をして夫差・燕噲の患有らしむるなり。明君は自ら臣を挙げず、臣相進むるなり。自ら賢とせず、功自ら徇ふなり。之を任に論じ、之を事に試み、之を功に課す、故に群臣公政にして私無く、賢を隠さず、不肖を進めず。然らば則ち人主奚ぞ賢を選ぶに労せん。景公は百乗の家を以て賜ふ、而して説くに「財を節す」を以てするは、是れ景公をして術以て富の侈を知る無くして、独り上に倹ならしむるなり、未だ貧を免れざるなり。君有りて千里を以て其の口腹を養ふも、則ち桀・紂と雖も侈とせず。斉国は方三千里にして桓公其の半ばを以て自ら養ふ、是れ桀・紂より侈なり。然り而して能く五覇の冠と為る者は、侈倹の地を知ればなり。君と為りて下を禁ずる能はずして自ら禁ずる者、之を劫と謂ひ、下を飾る能はずして自ら飾る者、之を乱と謂ひ、下を節せずして自ら節する者、之を貧と謂ふ。
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『韓非子』八姦第九故に財利多き者は官を買ひて以て貴と為り、左右の交はり有る者は請謁して以て重きを成す。功労の臣論ぜられず、官職の遷り謬を失ふ。是を以て吏は官を偸みて外に交はり、事を棄てて財に親しむ。是を以て賢者は懈怠して勧まず、功有る者は隳りて其の業を簡る、此れ亡国の風なり。
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