政談 / 女嫁の後ち夫の家風に從ふべき事
妻は夫に從ふこと道なり禮なり、然るに今の代の風俗夫の家の格には搆はず、其妻の家の格を夫の家へ持行きて奢りを恣にすること以の外なる事なり、天子の姫宮と雖も人臣に嫁するときは降嫁と號して太子を親元に立てす、同姓の諸侯を親元にして天子の禮を捨て諸侯の禮を用ゆ、諸矦の娘も其の家中へ嫁するときは、父の諸矦を親元に立てす、同姓の家來を親元として諸矦の禮をすてゝ太夫の禮を用ゆ、是によりて天子の姫宮を公主と云ふは諸矦を親元にする故なり、諸侯の娘を翁主と云ふは太夫を親元にする故なり、是れ古聖人の法なり、後世は其禮廢れて公主を尙すると云ふこと出來して、夫は妻を主君の如くあいしらひ、諸事格式以ての外に超過し、樣々の惡事生したること歴代の見跡明かなり、當時の有樣は異國の後代の例の如くにて其害甚たし、夫の家法を破り、物入り莫大にして、夫の身上以ての外に惡しくなる、公家の娘大名へ嫁し、大名の娘旗本へ嫁し、又我か家中へ嫁するも皆此風俗のやうになりて、志ある夫も之を制することならす、是は上より制度を立て玉はすんはあるへからさること也、
新字:妻は夫に従ふこと道なり礼なり、然るに今の代の風俗夫の家の格には搆はず、其妻の家の格を夫の家へ持行きて奢りを恣にすること以の外なる事なり、天子の姫宮と雖も人臣に嫁するときは降嫁と号して太子を親元に立てす、同姓の諸侯を親元にして天子の礼を捨て諸侯の礼を用ゆ、諸矦の娘も其の家中へ嫁するときは、父の諸矦を親元に立てす、同姓の家来を親元として諸矦の礼をすてゝ太夫の礼を用ゆ、是によりて天子の姫宮を公主と云ふは諸矦を親元にする故なり、諸侯の娘を翁主と云ふは太夫を親元にする故なり、是れ古聖人の法なり、後世は其礼廃れて公主を尚すると云ふこと出来して、夫は妻を主君の如くあいしらひ、諸事格式以ての外に超過し、様々の悪事生したること歴代の見跡明かなり、当時の有様は異国の後代の例の如くにて其害甚たし、夫の家法を破り、物入り莫大にして、夫の身上以ての外に悪しくなる、公家の娘大名へ嫁し、大名の娘旗本へ嫁し、又我か家中へ嫁するも皆此風俗のやうになりて、志ある夫も之を制することならす、是は上より制度を立て玉はすんはあるへからさること也、
書き下し
妻は夫に従ふこと道なり礼なり、然るに今の代の風俗夫の家の格には搆はず、其妻の家の格を夫の家へ持行きて奢りを恣にすること以の外なる事なり、天子の姫宮と雖も人臣に嫁するときは降嫁と号して太子を親元に立てす、同姓の諸侯を親元にして天子の礼を捨て諸侯の礼を用ゆ、諸矦の娘も其の家中へ嫁するときは、父の諸矦を親元に立てす、同姓の家来を親元として諸矦の礼をすてゝ太夫の礼を用ゆ、是によりて天子の姫宮を公主と云ふは諸矦を親元にする故なり、諸侯の娘を翁主と云ふは太夫を親元にする故なり、是れ古聖人の法なり、後世は其礼廃れて公主を尚すると云ふこと出来して、夫は妻を主君の如くあいしらひ、諸事格式以ての外に超過し、様々の悪事生したること歴代の見跡明かなり、当時の有様は異国の後代の例の如くにて其害甚たし、夫の家法を破り、物入り莫大にして、夫の身上以ての外に悪しくなる、公家の娘大名へ嫁し、大名の娘旗本へ嫁し、又我か家中へ嫁するも皆此風俗のやうになりて、志ある夫も之を制することならす、是は上より制度を立て玉はすんはあるへからさること也、
現代語訳
妻が夫に従うことは道であり礼である。ところが今の世の風俗では、夫の家の格に構わず、妻の実家の格を夫の家へ持ち込んで、ほしいままに奢るのはもってのほかである。天子の姫宮であっても臣下に嫁ぐときは降嫁と称して、太子を親元に立てず、同姓の諸侯を親元にして天子の礼を捨てて諸侯の礼を用いる。諸侯の娘もその家中へ嫁ぐときは、父の諸侯を親元に立てず、同姓の家来を親元として諸侯の礼を捨てて大夫の礼を用いる。これによって天子の姫宮を公主と言うのは諸侯を親元にするからであり、諸侯の娘を翁主と言うのは大夫を親元にするからである。これは古の聖人の法である。後世はその礼がすたれて「公主を尚する」(姫を妻としていただく)ということができ、夫は妻を主君のように扱い、諸事の格式がもってのほかに度を越え、さまざまな悪事が生じたことは歴代の跡に明らかである。今の有様は異国の後代の例のようで、その害ははなはだしい。夫の家法を破り、出費は莫大で、夫の暮らしはもってのほかに悪くなる。公家の娘が大名へ嫁ぎ、大名の娘が旗本へ嫁ぎ、また自分の家中へ嫁ぐのも、みなこの風俗のようになって、志ある夫もこれを抑えることができない。これは上から制度を立てられなければならないことである。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』桓公三年・四年 曲沃、翼侯を獲う三年春、曲沃の武公翼を伐ち、陘庭に次る。韓萬戎に御し、梁弘右と為る。翼侯を汾隰に逐ふ。驂絓りて止まる。夜之を獲、及び欒共叔をも。嬴に會す、昬を齊に成すなり。夏、齊侯・衛侯蒲に胥命す、盟はざるなり。公杞侯に郕に會す、杞成を求むるなり。秋、公子翬齊に如きて女を逆ふ。先君の好を修む。故に「公子」と曰ふ。齊侯姜氏を讙に送る、禮に非ざるなり。凡そ公女敵國に嫁ぐに、姊妹なれば、則ち上卿之を送り、以って先君に禮す。公子なれば、則ち下卿之を送る。大國に於いては、公子と雖も、亦た上卿之を送る。天子に於いては、則ち諸卿皆行き、公自ら送らず。小國に於いては、則ち上大夫之を送る。冬、齊の仲年來聘す、夫人を致すなり。芮伯萬の母芮姜、芮伯の寵人多きを惡む、故に之を逐ふ。出でて魏に居る。四年春、正月、公郎に狩す。書するは、時にして、禮なればなり。夏、周の宰渠伯糾來聘す。父在り、故に名いふ。秋、秦の師芮を侵し、敗る、之を小とすればなり。冬、王の師・秦の師魏を圍み、芮伯を執へて以って歸る。
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『春秋左氏伝』隠公八年 先に配して後に祖す八年春、齊侯將に宋・衛を平がんとし、會期有り。宋公幣を以って衛に請ひ、先づ相見えんことを請ふ。衛侯之を許す。故に犬丘に遇ふ。鄭伯泰山の祀を釋きて周公を祀らんことを請ひ、泰山の祊を以って許田に易へんとす。三月、鄭伯宛をして來りて祊を歸らしむ、泰山を祀らざるなり。夏、虢公忌父始めて周に卿士と作る。四月甲辰、鄭の公子忽陳に如きて婦媯を逆ふ。辛亥、媯氏を以って歸る。甲寅、鄭に入る。陳の鍼子女を送る。先づ配して後に祖す。鍼子曰く、「是れ夫婦と為さず。其の祖を誣ふ、禮に非ざるなり。何を以ってか能く育せん」と。齊人卒に宋・衛を鄭に平ぐ。秋、溫に會し、瓦屋に盟ふ、以って東門の役を釋く、禮なり。八月丙戌、鄭伯齊人を以って王に朝す、禮なり。公莒人と浮來に盟ふ、以って紀の好を成すなり。冬、齊侯をして來りて三國を成すを告げしむ。公眾仲をして對へしめて曰く、「君三國の圖を釋きて、以って其の民を鳩む、君の惠なり。寡君命を聞けり。敢へて君の明德を承受せざらんや」と。無駭卒す。羽父謚と族とを請ふ。公族を眾仲に問ふ。眾仲對へて曰く、「天子德を建て、生に因りて以って姓を賜ひ、之に土を胙して之に氏を命ず。諸侯は字を以って謚と為し、因りて以って族と為す。官に世功有れば、則ち官族有り。邑も亦た之の如し」と。公命じて字を以って展氏と為す。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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