政談 / 婚姻に金を取る事
婚姻に金を取ること當時の風俗なり、是によりて娘多く持ちたるものは身上惡しくなる、金を望む故相手あり難く、男女ともに年經るまて獨身にて子孫の乏しき類も多し、又不相應なる人の娘を取親をして妻とするたぐひも多し、獨身にて久しく居ては傾城町へありき、金を使ひ惡しき病を受け、又は妾を置き樣々の惡事之より出つる、惣して堂上かた又田舍の百姓は大かた二十歲より內にて婚禮する故子孫も多きなり、かた〳〵あしきことなれとも內證のことなれはすへきやうなし、武家を知行所に置きたらは自から此の惡風は止むへし、左なくは當分緣組を掌とる役人を立てゝ、願を用ひす上よりきわめ仰せ有られはこの風止むへし、
新字:婚姻に金を取ること当時の風俗なり、是によりて娘多く持ちたるものは身上悪しくなる、金を望む故相手あり難く、男女ともに年経るまて独身にて子孫の乏しき類も多し、又不相応なる人の娘を取親をして妻とするたぐひも多し、独身にて久しく居ては傾城町へありき、金を使ひ悪しき病を受け、又は妾を置き様々の悪事之より出つる、惣して堂上かた又田舎の百姓は大かた二十歳より内にて婚礼する故子孫も多きなり、かた〳〵あしきことなれとも内証のことなれはすへきやうなし、武家を知行所に置きたらは自から此の悪風は止むへし、左なくは当分縁組を掌とる役人を立てゝ、願を用ひす上よりきわめ仰せ有られはこの風止むへし、
書き下し
婚姻に金を取ること当時の風俗なり、是によりて娘多く持ちたるものは身上悪しくなる、金を望む故相手あり難く、男女ともに年経るまて独身にて子孫の乏しき類も多し、又不相応なる人の娘を取親をして妻とするたぐひも多し、独身にて久しく居ては傾城町へありき、金を使ひ悪しき病を受け、又は妾を置き様々の悪事之より出つる、惣して堂上かた又田舎の百姓は大かた二十歳より内にて婚礼する故子孫も多きなり、かた〳〵あしきことなれとも内証のことなれはすへきやうなし、武家を知行所に置きたらは自から此の悪風は止むへし、左なくは当分縁組を掌とる役人を立てゝ、願を用ひす上よりきわめ仰せ有られはこの風止むへし、
現代語訳
婚姻のときに金を取るのが今の世の風俗である。そのため娘を多く持つ者は暮らし向きが苦しくなる。金を望むので相手がなかなか見つからず、男も女も年を重ねるまで独り身で、子孫に恵まれない例も多い。また釣り合わない家の娘を、仮親を立てて妻に迎える類も多い。独り身で長くいると遊郭に通い、金を使い悪い病をもらい、あるいは妾を置き、さまざまな悪事がここから生じる。総じて公家や田舎の百姓は、たいてい二十歳までに婚礼をするので子孫も多いのである。どちらにしても悪いことではあるが、家の内々のことなので手の打ちようがない。武家を知行所に住まわせれば、おのずとこの悪い風は止むだろう。そうでなければ、当面は縁組をつかさどる役人を立て、願い出を用いずに上から決めて申し渡されれば、この風は止むであろう。
解説
この章句が説くこと
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『政談』女嫁の後ち夫の家風に從ふべき事妻は夫に従ふこと道なり礼なり、然るに今の代の風俗夫の家の格には搆はず、其妻の家の格を夫の家へ持行きて奢りを恣にすること以の外なる事なり、天子の姫宮と雖も人臣に嫁するときは降嫁と号して太子を親元に立てす、同姓の諸侯を親元にして天子の礼を捨て諸侯の礼を用ゆ、諸矦の娘も其の家中へ嫁するときは、父の諸矦を親元に立てす、同姓の家来を親元として諸矦の礼をすてゝ太夫の礼を用ゆ、是によりて天子の姫宮を公主と云ふは諸矦を親元にする故なり、諸侯の娘を翁主と云ふは太夫を親元にする故なり、是れ古聖人の法なり、後世は其礼廃れて公主を尚すると云ふこと出来して、夫は妻を主君の如くあいしらひ、諸事格式以ての外に超過し、様々の悪事生したること歴代の見跡明かなり、当時の有様は異国の後代の例の如くにて其害甚たし、夫の家法を破り、物入り莫大にして、夫の身上以ての外に悪しくなる、公家の娘大名へ嫁し、大名の娘旗本へ嫁し、又我か家中へ嫁するも皆此風俗のやうになりて、志ある夫も之を制することならす、是は上より制度を立て玉はすんはあるへからさること也、
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『和俗童子訓』巻之五・教女子法一婦人は、夫の家を以て家とするが故に、嫁するを帰ると云ふ。云ふ意は、我が家に帰るなり。夫の家を我が家として帰るゆゑ、一たび行きて帰らざるは、定まれる理なり。されど不徳にしてしうと夫に背き、和順ならざれば、夫にすさめられ、しうとに悪まれ、父の家に追かへさるる禍あり。婦人の恥づべき事、是に過ぎたるはなし。もしくは、夫柔和にして、婦の不順をこらへて帰さざれども、帰さるべきとがあり。されば人をゆるすべくして、人の為にゆるさるるは本意にあらず。
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『慎思録』巻之五其の性行を審らかに択ばざるべからず。又須らく父家の良賤を選ぶべし。唯其の容貌の美悪を以て取舎を為すべからず。然れども君子の父に於けるや、愛敬兼ね至り、母に比して最も厚き者は、何ぞや。蓋し人の生ずるや、始めを父に資る。是れ稟受の本源たり。母の如きは、養育の功固より多しと雖も、然れども其の本始たりて之を統ぶる者は父なり。是れ猶ほ地育の功厚しと雖も、特に天生の徳大なるがごとし。故に父は天たり、母は地たり。其の尊卑自ら同じからず。此れ父を以て至尊至親と為し、其の尊ぶべきこと天と斉し。故に君子は最も其の父に厚くして、母は其の次なり。
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『玉勝間』十三の巻 臣の王を娶る事記略に、延暦十二年九月丙戌の詔に、見任の大臣、良家の子孫、三世以下を娶るを許す、但し藤原氏は、累代相承けて、摂政絶えず、此を以てこれを論ずれば、等しきに因るべからず、殊に二世以下を娶るを聴すべしと見えたり。そもそも古は、皇女はさらにも申さず、すべて臣の、王の女を娶ることは、ゆるされぬ事にて、さる事かつて無かりしを、継嗣令に、臣五世の王を娶るは聴すとあるは、令の時、始めての御制にや有りけむ。そのかみ万の事、さしも漢風にうつされしかども、これらはさすがに、人の情の安からざる事なれば、延暦の頃になりてすら、なお上の件の如くなりけらし。令のかの同じつづきに、王は親王を娶り、ただ五世の王は、親王を娶るを得ずとも見えて、諸王は、四世までも、皇女をも娶りしを、臣は、そのかみわずかに、五世の女王を娶ることをゆるされしを以て、王と臣と、すじの尊き卑しきけじめ、厳なりしことを知るべし。夫婦のむすびをなすことも、尊き卑しきけじめ、かばかり正しかりしを、そののち何事もみな、漸に漢風にうつりはてて、ついに今の如くには成りぬるなり。世の人ただ、同姓娶らずなど云う、漢風の事をのみ、思い云いて、皇国の古に、かばかり尊き卑しきけじめを分けし事をば、知らざめる故に、今いささかおどろかすなり。
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易経・彖伝帰妹(きまい)は、天地の大義なり。天地交わらざれば、万物興らず。帰妹は、人の終始なり。説(よろこ)びて以て動く、帰(とつ)ぐ所は妹(まい)なり。「征けば凶」とは、位当たらざればなり。「利(よ)ろしき攸(ところ)なし」とは、柔の剛に乗ればなり。
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『春秋左氏伝』桓公三年・四年 曲沃、翼侯を獲う三年春、曲沃の武公翼を伐ち、陘庭に次る。韓萬戎に御し、梁弘右と為る。翼侯を汾隰に逐ふ。驂絓りて止まる。夜之を獲、及び欒共叔をも。嬴に會す、昬を齊に成すなり。夏、齊侯・衛侯蒲に胥命す、盟はざるなり。公杞侯に郕に會す、杞成を求むるなり。秋、公子翬齊に如きて女を逆ふ。先君の好を修む。故に「公子」と曰ふ。齊侯姜氏を讙に送る、禮に非ざるなり。凡そ公女敵國に嫁ぐに、姊妹なれば、則ち上卿之を送り、以って先君に禮す。公子なれば、則ち下卿之を送る。大國に於いては、公子と雖も、亦た上卿之を送る。天子に於いては、則ち諸卿皆行き、公自ら送らず。小國に於いては、則ち上大夫之を送る。冬、齊の仲年來聘す、夫人を致すなり。芮伯萬の母芮姜、芮伯の寵人多きを惡む、故に之を逐ふ。出でて魏に居る。四年春、正月、公郎に狩す。書するは、時にして、禮なればなり。夏、周の宰渠伯糾來聘す。父在り、故に名いふ。秋、秦の師芮を侵し、敗る、之を小とすればなり。冬、王の師・秦の師魏を圍み、芮伯を執へて以って歸る。
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