政談 / 大名の潰れたる其の家來を鄕士にすへき事
其城御番城になるときも小身ものを遣されても、番人は右の鄕さむらいを加へて事足るへし、又其城を別に下さるゝときも、其鄕さむらいをは城付として上下の氣に入り取たて候はんも、又罪ありて刑戮せんも、元來よりの家中にかはりなく心次第にせよと御定め有るへし、斯の如くなるときは大名の家中諸士長く主人の惡逆に組すること有まじ、其子孫永々まても謀叛に組する氣遣あるまし、尙又仙臺の片倉長門の吉川肥前の諫早阿波の稻田なとの類をは兼て參勤をも仰付けられ、別段に御目見をも御奉公をも仰付られ置れて、左樣の時節に至らは兼ての御奉公を以て知行を半減にもして召出さるへし、斯の如くあらは外樣大身の大名を御潰しあらんことも御心の儘なるへし、是大名を潰すへきための策には非す、日本國中は上の御心の儘になるやうに爲され置かれ、されとも時に取りては政道は差支ゆる所あることなる故斯の如くの愚按に及へり、
新字:其城御番城になるときも小身ものを遣されても、番人は右の郷さむらいを加へて事足るへし、又其城を別に下さるゝときも、其郷さむらいをは城付として上下の気に入り取たて候はんも、又罪ありて刑戮せんも、元来よりの家中にかはりなく心次第にせよと御定め有るへし、斯の如くなるときは大名の家中諸士長く主人の悪逆に組すること有まじ、其子孫永々まても謀叛に組する気遣あるまし、尚又仙台の片倉長門の吉川肥前の諫早阿波の稲田なとの類をは兼て参勤をも仰付けられ、別段に御目見をも御奉公をも仰付られ置れて、左様の時節に至らは兼ての御奉公を以て知行を半減にもして召出さるへし、斯の如くあらは外様大身の大名を御潰しあらんことも御心の儘なるへし、是大名を潰すへきための策には非す、日本国中は上の御心の儘になるやうに為され置かれ、されとも時に取りては政道は差支ゆる所あることなる故斯の如くの愚按に及へり、
書き下し
其城御番城になるときも小身ものを遣されても、番人は右の郷さむらいを加へて事足るへし、又其城を別に下さるゝときも、其郷さむらいをは城付として上下の気に入り取たて候はんも、又罪ありて刑戮せんも、元来よりの家中にかはりなく心次第にせよと御定め有るへし、斯の如くなるときは大名の家中諸士長く主人の悪逆に組すること有まじ、其子孫永々まても謀叛に組する気遣あるまし、尚又仙台の片倉長門の吉川肥前の諫早阿波の稲田なとの類をは兼て参勤をも仰付けられ、別段に御目見をも御奉公をも仰付られ置れて、左様の時節に至らは兼ての御奉公を以て知行を半減にもして召出さるへし、斯の如くあらは外様大身の大名を御潰しあらんことも御心の儘なるへし、是大名を潰すへきための策には非す、日本国中は上の御心の儘になるやうに為され置かれ、されとも時に取りては政道は差支ゆる所あることなる故斯の如くの愚按に及へり、
現代語訳
その城が御番城になるときも、小身の者を遣わされても、番人は右の郷侍を加えれば事足りるだろう。またその城を別の者に下されるときも、その郷侍を城付きとして、上下の気に入って取り立てるのも、また罪があって処刑するのも、もとからの家中と変わりなく心次第にせよとお定めになるべきである。このようにすれば、大名の家中の諸士は、長く主人の悪逆に与することはあるまい。その子孫も永くまで謀反に与する気遣いはあるまい。なおまた、仙台の片倉、長門の吉川、肥前の諫早、阿波の稲田などの類には、かねて参勤をも仰せ付け、別に御目見えや御奉公をも仰せ付けておかれ、そのような時節になったら、かねての御奉公をもって知行を半減にしてでも召し出されるべきである。このようにすれば、外様の大身の大名をお潰しになることも、お心のままになるだろう。これは大名を潰すための策ではない。日本国中は上のお心のままになるようにしておかれ、それでも時によっては政道に差し支えるところがあるので、このような愚案に及んだのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』號令國を安んずるの道は、道、地に任ずるより始まる。地、其の任を得れば則ち功成り、地、其の任を得ざれば則ち勞して功無し。人も亦た此を為す。備え、先に具えざる者は以て主を安んずる無し。吏卒民、多く心の一ならざる者は、皆な其の将長に在り。諸そ賞罰を行い及び治むること有る者は、必ず公より出づ。王、數しば人をして行き勞わしめ、邉城關塞を守り、蠻夷に備うるの勞苦なる者に賜い、其の守率の財用の餘り有ると足らざるとを舉げ、地形の當に邉を守るべき者、其の器備の常に多き者を舉ぐ。邉の縣邑は、其の樹木の惡しきを視れば、則ち用を少なくす。田、辟けざれば、食を少なくす。大屋・草盖無ければ、乗を用うるを少なくす。財多ければ、民、食を好む。内堞を為り、内に行棧し、器備を其の上に置く。城上の吏・卒・養は、皆な舍を道の内に為り、各おの其の隔部に當たる。養は十二人。符を為る者を養吏一人と曰い、諸門を辦護す。門者及び守禁有る者は、皆な事無き者をして其の旁らに稽留するを得しむる無かれ。令に従わざる者は戮す。敵人、但だ至らば、千丈の城は、必ず郭、之に近づき、主人、利し。千丈を盡くさざる者は迎うる勿かれ。敵の居曲、衆少を視て之に應ず。此れ守城の大體なり。其の此の中に在らざる者は、皆な心術と人事と之を參う。
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『呻吟語』外篇・品藻・人の自然の情を得るは難し人の不敢不然の情を得るは易く、人の自然の情を得るは難し。秦・漢而後は皆な人の不敢不然の情を得る者なり。
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論語・子張篇孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子曰く、「上其の道を失いて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。」
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説苑・說叢王者、下に臨みて衆を治むる所以を知れば、則ち群臣畏服す。言を聽き事を受くる所以を知れば、則ち蔽欺せられず。萬民を安利する所以を知れば、則ち海內必ず定まる。忠孝もて上に事うる所以を知れば、則ち臣子の行備わる。凡そ劫殺せらるる所以の者は、道術を知りて以て其の臣下を御せざればなり。凡そ吏其の職に勝れば則ち事治まり、事治まれば則ち利生ず。其の職に勝えざれば則ち事亂れ、事亂るれば則ち害成る。
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史記 礼書故に堅革利兵は以て勝つと為すに足らず、高城深池は以て固しと為すに足らず、厳令繁刑は以て威と為すに足らず。其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。楚人は鮫革犀兕、以て甲と為す所、堅きこと金石の如し。宛の鉅鉄の施、鉆きこと蜂蠆の如く、軽利剽遬、卒かなること熛風の如し。然れども兵は垂涉に殆く、唐昧死す。荘蹻起こり、楚分かれて四参と為る。是れ豈に堅革利兵無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。汝潁以て険と為し、江漢以て池と為し、之を阻むに鄧林を以てし、之を縁らすに方城を以てす。然れども秦師鄢郢に至り、挙ぐること槁を振るふが若し。是れ豈に固塞険阻無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。紂は比干を剖き、箕子を囚へ、炮格を為り、無辜を刑殺し、時の臣下懍然として、其の命を必する莫し。然れども周師至りて、令下に行はれず、其の民を用ふる能はず。是れ豈に令厳ならず、刑陖ならざらんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。古者の兵は、戈矛弓矢のみ、然れども敵国試みるを待たずして詘す。城郭集めず、溝池掘らず、固塞樹てず、機変張らず、然れども国晏然として外を畏れずして固き者は、他の故無し、道を明らかにして之を均分し、時に使ひて誠に之を愛すれば、則ち下之に応ずること景響の如し。命に由らざる者有りて、然る後に之を俟つに刑を以てすれば、則ち民罪を知る。故に一人を刑して天下服す。罪人其の上を尤めず、罪の己に在るを知ればなり。是の故に刑罰省きて威行はるること流るるが如し、他の故無し、其の道に由るが故なり。故に其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。古者帝堯の天下を治むるや、蓋し一人を殺し二人を刑して天下治まる。伝に曰く、「威厲しくして試みず、刑措きて用ひず」と。
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『驢鞍橋』卷上一日語て曰く、あはれ仏法にて天下の仕置を仰付けあらば、只畜生一つを以て治めんと思ふ也。太閤の時代迄は、喧嘩横死死罪の者一年に三千程の積り也。御当代には政道正く世□める故に、横死死罪の者千人程の積りと云ふ人あり。是れを以て思ふに如何に人暗くして聞かずとも、仏法を以てせば慥に五百六百には成るべし。然れば亦大なる太平の基也。しかも大分に所領を取る役人も入らず治るべき也。
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