政談 / 養子の事
養子のこと他苗の養子聟養子は古之なきことなり、北條家のとき所領を女子に讓ることを許したるより他苗にて相續すること起れり、果は賴朝卿のあとを藤原氏にて繼かせ、天下は北條の手に入る謀計の所爲と云へし、其の後ち戰國の時分人の國を取るへき計策に他家へ我か子を遣はし、亡家の臣下をなづけんかために其の養子と號し、他苗を名のらするたぐひあるよりして世の風俗となり、他苗養子聟養子を許さて叶はさることに成りたり、古の道に違ひたることなれば禁制あるへきことなり、
新字:養子のこと他苗の養子婿養子は古之なきことなり、北条家のとき所領を女子に譲ることを許したるより他苗にて相続すること起れり、果は頼朝卿のあとを藤原氏にて継かせ、天下は北条の手に入る謀計の所為と云へし、其の後ち戦国の時分人の国を取るへき計策に他家へ我か子を遣はし、亡家の臣下をなづけんかために其の養子と号し、他苗を名のらするたぐひあるよりして世の風俗となり、他苗養子婿養子を許さて叶はさることに成りたり、古の道に違ひたることなれば禁制あるへきことなり、
書き下し
養子のこと他苗の養子婿養子は古之なきことなり、北条家のとき所領を女子に譲ることを許したるより他苗にて相続すること起れり、果は頼朝卿のあとを藤原氏にて継かせ、天下は北条の手に入る謀計の所為と云へし、其の後ち戦国の時分人の国を取るへき計策に他家へ我か子を遣はし、亡家の臣下をなづけんかために其の養子と号し、他苗を名のらするたぐひあるよりして世の風俗となり、他苗養子婿養子を許さて叶はさることに成りたり、古の道に違ひたることなれば禁制あるへきことなり、
現代語訳
養子について言えば、他の姓からの養子や婿養子は、古にはなかったことである。北条家の時代に所領を女子に譲ることを許してから、他姓で家を継ぐことが起こった。ついには頼朝卿の跡を藤原氏に継がせ、天下が北条の手に入ったのは謀略のしわざと言うべきである。その後、戦国の時代には、人の国を奪う策として他家へわが子を送り込み、滅んだ家の家臣をなつけるためにその家の養子と称して他姓を名のらせる類があったことから世の風俗となり、他姓の養子や婿養子を許さなければ立ち行かないことになった。古の道に違うことであるから、禁制があるべきである。
解説
この章句が説くこと
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