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政談 / 奉公人年を僞る事

當時十四五歲になるものゝいまた小身にて御奉公もせぬうちに死したるか、兼ねて年を僞りて十七滿になりたるは其の人の伯父のあるをは差置とていとこちがいなどの二三歲なるを、他苗を搆はす年をます五六歳も僞りて養子に願へば、願ひの通り仰付けらるゝ事なり、然れは其の先祖の御奉公故に跡を立て玉ふにてはなくて、其の小身にて未た御奉公もせぬ十四五歲になるものゝ跡目を立て玉ふやうなり、是れ皆法の立やう惡しき故跡目を立てらるゝ本意を忘れて例にかゝはる故なり、大名には家相續とて年にもかゝはらさる例あれとも、旗本を支配するともから此の例を引かぬは、ひろく例をも考へす、唯我か扱ひ習ひたる仕くせしかけにて申し立つれは何の詮議も無きこと、是亦當時は何もかも願ひと云事はやる故なり、且又次男三男を他苗にても養子にやりたきと人々のぞみをかけて其支配の頭に賴む故、賴れたるか默しかたくて斯の如く仕なすもあるへし、此等は願ひに搆はす其の支配同苗の親類はなきかと吟味して申し立つへきこと也、畢竟文盲なれは同苗にても苗他にても跡さへ立ては同しこと也と心得る故もあるへし、

新字:当時十四五歳になるものゝいまた小身にて御奉公もせぬうちに死したるか、兼ねて年を偽りて十七満になりたるは其の人の伯父のあるをは差置とていとこちがいなどの二三歳なるを、他苗を搆はす年をます五六歳も偽りて養子に願へば、願ひの通り仰付けらるゝ事なり、然れは其の先祖の御奉公故に跡を立て玉ふにてはなくて、其の小身にて未た御奉公もせぬ十四五歳になるものゝ跡目を立て玉ふやうなり、是れ皆法の立やう悪しき故跡目を立てらるゝ本意を忘れて例にかゝはる故なり、大名には家相続とて年にもかゝはらさる例あれとも、旗本を支配するともから此の例を引かぬは、ひろく例をも考へす、唯我か扱ひ習ひたる仕くせしかけにて申し立つれは何の詮議も無きこと、是亦当時は何もかも願ひと云事はやる故なり、且又次男三男を他苗にても養子にやりたきと人々のぞみをかけて其支配の頭に頼む故、頼れたるか黙しかたくて斯の如く仕なすもあるへし、此等は願ひに搆はす其の支配同苗の親類はなきかと吟味して申し立つへきこと也、畢竟文盲なれは同苗にても苗他にても跡さへ立ては同しこと也と心得る故もあるへし、

書き下し

当時十四五歳になるものゝいまた小身にて御奉公もせぬうちに死したるか、兼ねて年を偽りて十七満になりたるは其の人の伯父のあるをは差置とていとこちがいなどの二三歳なるを、他苗を搆はす年をます五六歳も偽りて養子に願へば、願ひの通り仰付けらるゝ事なり、然れは其の先祖の御奉公故に跡を立て玉ふにてはなくて、其の小身にて未た御奉公もせぬ十四五歳になるものゝ跡目を立て玉ふやうなり、是れ皆法の立やう悪しき故跡目を立てらるゝ本意を忘れて例にかゝはる故なり、大名には家相続とて年にもかゝはらさる例あれとも、旗本を支配するともから此の例を引かぬは、ひろく例をも考へす、唯我か扱ひ習ひたる仕くせしかけにて申し立つれは何の詮議も無きこと、是亦当時は何もかも願ひと云事はやる故なり、且又次男三男を他苗にても養子にやりたきと人々のぞみをかけて其支配の頭に頼む故、頼れたるか黙しかたくて斯の如く仕なすもあるへし、此等は願ひに搆はす其の支配同苗の親類はなきかと吟味して申し立つへきこと也、畢竟文盲なれは同苗にても苗他にても跡さへ立ては同しこと也と心得る故もあるへし、

現代語訳

今は、十四、五歳になる者がまだ小身で奉公もしないうちに死んだ場合、かねて年を偽って十七歳満になっていた者であれば、その人の伯父がいるのを差し置いて、いとこ違いなどの二、三歳になる者を、他の苗字であっても構わず、年を五、六歳も増して偽り、養子に願い出れば、願いのとおり仰せ付けられる。そうであれば、その先祖の奉公のゆえに跡を立てられるのではなくて、小身でまだ奉公もしない十四、五歳になる者の跡目を立てられるようなものである。これは皆、法の立て方が悪いために、跡目を立てられる本意を忘れて先例にこだわるからである。大名には家相続といって年齢にもかかわらない例があるが、旗本を支配する者たちがこの例を引かないのは、広く例をも考えず、ただ自分の扱い慣れた仕癖のままに申し立てるので、何の詮議もないのである。これもまた、今は何もかも願いということがはやっているからである。また、次男・三男を他の苗字であっても養子にやりたいと人々が望みをかけて、その支配の頭に頼むので、頼まれた者が黙っていられずにこのようにすることもあるだろう。これらは願いに構わず、その支配下に同じ苗字の親類はいないかと吟味して申し立てるべきである。つまるところ文盲であるから、同じ苗字でも他の苗字でも跡さえ立てば同じことだと心得ているためでもあるだろう。

解説

奉公もしていない少年の死後、伯父を差し置いて、年を偽った幼児を他家から養子に立てる。これでは先祖の功に報いるという本意から外れ、少年の跡目を立てているにすぎないと徂徠は言う。原因は、法の立て方の悪さ、先例への固執、扱い慣れた手順の惰性、そして何でも願いで通す風潮である。大名には年齢に拘らない家相続の例があるのに、担当者は広く例を調べない。慣れた処理の型に流されず、制度の本意と他の先例を照らし合わせることが、実務家の務めである。

この章句が説くこと

先例本意惰性相続実務政談

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