政談 / 奉公人年を僞る事
奉公人の年を僞ること是亦定法のやうになりて、奉行御役人も怪まず尤のことのやうに覺えて居ること有るましき事なり、御奉公に出つる最初に先一番に僞りをさすること如何なることそや、是は實子なきときは必す養子にて跡をつかすると立てゝ、夫より十七以下にて養子ならずと云ふ法あるより起れり、跡を立つへき家ならは伯父に甥の跡を繼せても苦しかるまじ、其の仔細は先祖の勤忠によりて其の家を斷絕せぬ道理なるゆゑ、其の先祖のために子孫ならは其の死したる人の養子にせずとも跡は立つへきことなり、其の死したる人に勳功にてもありて、跡を立つへき筋ならは、伯父は養子にならねは立てかたきなり、
新字:奉公人の年を偽ること是亦定法のやうになりて、奉行御役人も怪まず尤のことのやうに覚えて居ること有るましき事なり、御奉公に出つる最初に先一番に偽りをさすること如何なることそや、是は実子なきときは必す養子にて跡をつかすると立てゝ、夫より十七以下にて養子ならずと云ふ法あるより起れり、跡を立つへき家ならは伯父に甥の跡を継せても苦しかるまじ、其の仔細は先祖の勤忠によりて其の家を断絶せぬ道理なるゆゑ、其の先祖のために子孫ならは其の死したる人の養子にせずとも跡は立つへきことなり、其の死したる人に勲功にてもありて、跡を立つへき筋ならは、伯父は養子にならねは立てかたきなり、
書き下し
奉公人の年を偽ること是亦定法のやうになりて、奉行御役人も怪まず尤のことのやうに覚えて居ること有るましき事なり、御奉公に出つる最初に先一番に偽りをさすること如何なることそや、是は実子なきときは必す養子にて跡をつかすると立てゝ、夫より十七以下にて養子ならずと云ふ法あるより起れり、跡を立つへき家ならは伯父に甥の跡を継せても苦しかるまじ、其の仔細は先祖の勤忠によりて其の家を断絶せぬ道理なるゆゑ、其の先祖のために子孫ならは其の死したる人の養子にせずとも跡は立つへきことなり、其の死したる人に勲功にてもありて、跡を立つへき筋ならは、伯父は養子にならねは立てかたきなり、
現代語訳
奉公人が年を偽ることも、これまた定法のようになって、奉行や役人も怪しまず、もっともなことのように思っているのは、あってはならないことである。奉公に出る最初に、まず一番に偽りをさせるとは、どういうことか。これは、実子がないときは必ず養子で跡を継がせると決めて、そのうえ十七歳以下では養子にできないという法があることから起こった。跡を立てるべき家であれば、伯父に甥の跡を継がせても差し支えあるまい。そのわけは、先祖の勤めと忠義によってその家を断絶させないという道理なのだから、その先祖のために子孫であれば、その死んだ人の養子にしなくても跡は立てるべきである。その死んだ人に勲功でもあって跡を立てるべき筋であれば、伯父は養子にならなければ立てにくいのである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』奉公人年を僞る事当時十四五歳になるものゝいまた小身にて御奉公もせぬうちに死したるか、兼ねて年を偽りて十七満になりたるは其の人の伯父のあるをは差置とていとこちがいなどの二三歳なるを、他苗を搆はす年をます五六歳も偽りて養子に願へば、願ひの通り仰付けらるゝ事なり、然れは其の先祖の御奉公故に跡を立て玉ふにてはなくて、其の小身にて未た御奉公もせぬ十四五歳になるものゝ跡目を立て玉ふやうなり、是れ皆法の立やう悪しき故跡目を立てらるゝ本意を忘れて例にかゝはる故なり、大名には家相続とて年にもかゝはらさる例あれとも、旗本を支配するともから此の例を引かぬは、ひろく例をも考へす、唯我か扱ひ習ひたる仕くせしかけにて申し立つれは何の詮議も無きこと、是亦当時は何もかも願ひと云事はやる故なり、且又次男三男を他苗にても養子にやりたきと人々のぞみをかけて其支配の頭に頼む故、頼れたるか黙しかたくて斯の如く仕なすもあるへし、此等は願ひに搆はす其の支配同苗の親類はなきかと吟味して申し立つへきこと也、畢竟文盲なれは同苗にても苗他にても跡さへ立ては同しこと也と心得る故もあるへし、
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『政談』出替り奉公人の締りの事此のこと中頃より人を殺すを不仁なるなとゝ云ふやうなる理屈はやりて、夫に武家にあるましき利勘の詮議を第一にするより、給金を取戻すにて欠落の罪消え行き、法の乱れたる故近年欠落することを奉公人の常とする風俗、斯の如く執行はずは曽て巳へからさるなり、当時は地頭御代官も手前の知行所支配所より事の出るを外聞悪しきとて、奉公人の出るを知らぬ分にする事当時の風俗なり、されども何程知らぬ分にするとも知行支配たる百姓にはまぎれなし、其者のいつ方に居るか知ぬことは己が職分を忘れたるなり、又きみかまを立つる風俗にて手前の知行支配のものと他の人との勝負をおもふこゝろ是れ亦御城下にての公法をないかしろにし上を敬はさる我意なれは、斯の如くの風俗の衰ふるやうに有りたきことなり、さて又その奉公人御当地出生のものならば、町にても武家にても其家本より証文を出し諸事右の如くなるべし、地頭御代官もその家もとも公法を重んする所をきつとまもり、粗末に取りあつかふべからざることなり、
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『政談』出替り奉公人の締りの事御城下の町人は町々に人別帳あれども店を逐立て、又自分よりも店替する事自由なり、元来他国よりのあつまりものにて親類も御当地になし、根本来歴を誰もしらぬ者なり、さて奉公人は皆田舎より新たに出たるものにて、受人とは元来よりの知る人にてもなきに請に立つことなり、それ故人主を立つれども人ぬし又住所を定めず、さて人召し置くものは手形一枚を証拠として、誰何町の誰店と云ふことばかりを目あてとして召し置くことなり、これ元来その不慥なるを搆はず只公法を以て召おくなれば、御先々前御代にうけ人の家主にかゝること無理なるやうなれども、元来人召しおくものゝ目あてともする所斯の如くなるやうに法を立てたることは無理と云ひがたし、されども受に立ちたるは家主は知らぬことなりと云ふところより見れば無理なるやうなり、されども家賃店賃を取るべきためにもともしらぬ者に店をかすより悪事出来するなれば、公法を丈夫に立つる仕方は家主にかゝることとも云ふべし、されども元来その公法の立てやう宜しからざる所より様々の奸曲出来る故、当時さばきを仕かへて見れば、家主のため計りになりて受人の奸曲同じことなり、これ皆宜しからざる法を其儘にし置きて、其上にて様々とさはきを仕かゆる故、何ほど仕かへても行きとゞかざることなり、
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『政談』家斷絕したる隱居並に妻へ御扶持下さるへき事隠居したる者其の子或ひは孫に子なくて跡目断絶したるとき、右の隠居天竺浪人になるたぐひ多し、此等は其の身一代恙なく御奉公を仕舞たるものなれは御扶持下さるへき事なり、潰れたるものゝ妻も御扶持方下さるへきことなり、此等は大名の家にもあるへし、此の御手当なき故愈〻下より隠して成りともつかもなきものなりとも養子にして立たがること也、
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『政談』養子の事これよりして筋もなきもの金にて人の跡を買ひ、町人小ふしん手代座頭のたぐひの御旗本に混するたぐひ其の数を知らす、先祖の奉公によりて賜はりたる知行を外のものに遣はさるへきやうなし、婿養子になると云ふこと元来男の所存あらんものゝすへきことにあらす、武家の妻女に法外のことあるも婿養子の家に有ることなり、但し上の御取り立にて立身したるものゝ子なく、同姓の親類もなきには先祖に対する筋にあらされは、上の思召にて他苗を養子に下さるゝことも苦しかるまじき也、其の時は古例に任せ苗字ばかり養父の苗字を名のり、姓は其の者の本性たるへし、惣して他苗の相続を許さぬことは聖人の法にて深意あることなり、国家の治めに付きて仔細あること筆紙に記し難し、
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『政談』出替り奉公人の締りの事兎角武家柔に而かも愚かになり事の始終の呑込なく、又軽薄第一の風俗になりたる故、少し目高き人の家に件の欠落もの住み居れは勿論のこと、大抵同輩の者のかたに住居ても断りを申し遣はすことを遠慮することに大方はなりたり、又夫を召しをきたるものも届をうければ其の者はこの方をも今朝欠落したるなどゝ紛かし、当分八釜しき目をせぬ様にするを利口なりとするたぐひ多し、左様の者を召し置くは法に背くその上傍輩への無礼なり、無礼は我が身の瑕瑾なりと云ふことは夢にもしらす、又昔の武士の左様なるものを構ひ置きたることも抜群のたがひにて、只何もかも利口を先きとし、ものをすりぬけよけはづし、ことの始終をしつはりと取りさばき身に引きうけへきことはへらす、引うくることは絶てこれなき世界となる故、その風俗なることになりて公法のとが人の欠落逐電をも奉行御役人も下々のさやうなることはめづらしからさること、さやうにつじつまの合ふやうにはさばきはならぬものと云ひのゝしりて未熟ふせんぎなるとりあつかひなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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