政談 / 能の事
當時猿樂に物入り多き故、改めて樂を用ひんとすれは舞樂の物入り亦莫大なり、その上樂にうたひもの絕えたる故人情に遠きものなり、此等を考へ合せて愚案をめぐらすに、後鳥羽帝の御作に宴曲と云ものあり、一二冊は世間にもあるものなり、長門の家中に大內家より持ち傳へたりとて、全部十册餘にしたる宴曲の譜あり、その譜のていうたひよりはふしすこし長く、聲明などよりはみじかきものなり、間々に調子付けあれはうたひものを重にして樂を付けものにしたるものと見えたり、一番のなかさいつれもうたひの曲舞樂となり、春夏秋冬雜賀神祇釋敎戀無常にて、うたの類の如くに一番々々に名を付けたるものなり、折にふれ時にとりてそのことに應して裝束は一統にかりぎぬかひたゝれを用ひたらは、能のかはりにして費へも少なく、又文物も調ひて然るへきことのやう思はる、是は巧者なる仁に仰付けられ、二三年も四五年もかゝらは成就すへきことなり、なれとも是等のことは諸事の制度も調ひ、世上も豊によくすわりたる以後のことなるへけれは、急くへきことにもあらす、
新字:当時猿楽に物入り多き故、改めて楽を用ひんとすれは舞楽の物入り亦莫大なり、その上楽にうたひもの絶えたる故人情に遠きものなり、此等を考へ合せて愚案をめぐらすに、後鳥羽帝の御作に宴曲と云ものあり、一二冊は世間にもあるものなり、長門の家中に大内家より持ち伝へたりとて、全部十册余にしたる宴曲の譜あり、その譜のていうたひよりはふしすこし長く、声明などよりはみじかきものなり、間々に調子付けあれはうたひものを重にして楽を付けものにしたるものと見えたり、一番のなかさいつれもうたひの曲舞楽となり、春夏秋冬雑賀神祇釈教恋無常にて、うたの類の如くに一番々々に名を付けたるものなり、折にふれ時にとりてそのことに応して装束は一統にかりぎぬかひたゝれを用ひたらは、能のかはりにして費へも少なく、又文物も調ひて然るへきことのやう思はる、是は巧者なる仁に仰付けられ、二三年も四五年もかゝらは成就すへきことなり、なれとも是等のことは諸事の制度も調ひ、世上も豊によくすわりたる以後のことなるへけれは、急くへきことにもあらす、
書き下し
当時猿楽に物入り多き故、改めて楽を用ひんとすれは舞楽の物入り亦莫大なり、その上楽にうたひもの絶えたる故人情に遠きものなり、此等を考へ合せて愚案をめぐらすに、後鳥羽帝の御作に宴曲と云ものあり、一二冊は世間にもあるものなり、長門の家中に大内家より持ち伝へたりとて、全部十册余にしたる宴曲の譜あり、その譜のていうたひよりはふしすこし長く、声明などよりはみじかきものなり、間々に調子付けあれはうたひものを重にして楽を付けものにしたるものと見えたり、一番のなかさいつれもうたひの曲舞楽となり、春夏秋冬雑賀神祇釈教恋無常にて、うたの類の如くに一番々々に名を付けたるものなり、折にふれ時にとりてそのことに応して装束は一統にかりぎぬかひたゝれを用ひたらは、能のかはりにして費へも少なく、又文物も調ひて然るへきことのやう思はる、是は巧者なる仁に仰付けられ、二三年も四五年もかゝらは成就すへきことなり、なれとも是等のことは諸事の制度も調ひ、世上も豊によくすわりたる以後のことなるへけれは、急くへきことにもあらす、
現代語訳
今は猿楽に費用が多くかかるので、改めて雅楽を用いようとすれば、舞楽の費用もまた莫大である。そのうえ雅楽には歌うものが絶えてしまっているので、人情に遠いものである。これらを考え合わせて愚案をめぐらすと、後鳥羽帝の御作に宴曲というものがある。一、二冊は世間にもある。長門(毛利)の家中に、大内家から持ち伝えたといって、全部で十冊余りにまとめた宴曲の譜がある。その譜の様子は、謡よりは節が少し長く、声明などよりは短いものである。ところどころに調子付けがあるので、歌うものを主にして楽を添えものにしたものと見える。一番の長さはどれも謡の曲舞くらいで、春・夏・秋・冬・雑・賀・神祇・釈教・恋・無常と、歌の部立てのように一番一番に名を付けたものである。折にふれ時に応じてその事にふさわしいものを用い、装束は一様に狩衣か直垂を用いれば、能の代わりにして費用も少なく、また文物も整って、しかるべきことのように思われる。これは巧者な人に仰せ付けられ、二、三年も四、五年もかければ成就するだろう。けれども、これらのことは諸事の制度も整い、世の中も豊かによく落ち着いたあとのことであろうから、急ぐべきことでもない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『政談』妾を隱し物とする事只今大名の家に上ろう御方と云ふものあり、是古の媵なるへし、中頃より本妻の嫉妬の心にかたうとして夫の召使ふ者のやうには今はせぬなるへし、備前の松平伊予守か奥方の風儀宜しとて某か妻の母語る、若き時分其家に仕へて能く知りたり、妻なり子を持ちたる女も矢張奥方へ仕へて外の女中並にて何のかはりめなし、唯〻切米の少し善きと奉公の楽なるまでのことなり、伊予守か奥方賢良の婦人にて、左様のものと見れは特に懇にせられたり、奥方にての遊ひは管絃歌楽手習なとまでなり、三味線筑紫琴なとは大名のせぬことなりとて堅く之無しとなり、是は新太郎少将聖人の道を深く信して、家内を能く治めたる余風残りて斯の如し、されとも礼と云ふものを立てされは唯〻主人のもの好きと云ふことなる故其風破れたりと承る、されは妻妾のことも礼制を立てたきこと也、
-
論語・八佾篇子曰く、『周、二代を監みて、郁郁として文なる哉。吾、周に従う。』
-
論語・八佾篇子曰く、『夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず。』
-
『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・無形の気風ついに上下の間隔絶して、おのおの一種無形の気風をなせり。その気風とは、いわゆるスピリットなるものにて、にわかにこれを動かすべからず。近日に至り政府の外形は大いに改まりたれども、その専制抑圧の気風は今なお存せり。人民もやや権利を得るに似たれども、その卑屈不信の気風は依然として旧に異ならず。この気風は無形無体にして、にわかに一個の人につき一場の事を見て名状すべきものにあらざれども、その実の力ははなはだ強くして、世間全体の事跡に顕わるるを見れば、明らかにその虚にあらざるを知るべし。
-
『政談』武家旅宿の境遇を改むる事当時は大かた成人と云ふもの和らかに下の情に疎く、幼少と変なし、御譜代外様と云ふも今は名はかりにて同し事なり、御代初めの時分にて外様大名は御をつかまつりたるものゝ子孫なれは、御用心あらんも尤もなり、御譜代も武剛を者の子ともにてなるほとそのころまては差別有るべけれとも、今日に至りては何れも親縁の中に成り、何れも〳〵江戸育ちにて江戸を古郷と思ふ人なり、其家中の大禄の家来も皆な生まれかはりになり、代々其の家中にて人に崇めらるゝ故、其の主人とさのみ変らすうつかりなり、総体の様子に国持大名に奥ゆかしきことあるは所換をせす古き風俗を持ち伝へたる故のことなり、然れは御科ありての所換は各別の事、向後所換を停止ありて家中の武士をも皆知行所を呉れて面々知行所に居住せは、軍兵の数昔に帰りて日本武道の再興なるへし、大切のことなり、
-
『茶の本』第一章 人情の碗・あの男は茶気がない日本が長い間世界から孤立していたのは、自省をする一助となって、茶道の発達に非常に好都合であった。われらの住居、習慣、衣食、陶漆器、絵画等――文学でさえも――すべてその影響をこうむっている。いやしくも日本の文化を研究せんとする者は、この影響の存在を無視することはできない。茶道の影響は、貴人の優雅な閨房にも、下賤の者の住み家にも行き渡ってきた。わが田夫は花を生けることを知り、わが野人も山水を愛でるに至った。俗に「あの男は茶気がない」という。もし人が、わが身の上におこるまじめながらの滑稽を知らないならば。また浮世の悲劇にとんじゃくもなく、浮かれ気分で騒ぐ半可通を「あまり茶気があり過ぎる」と言って非難する。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る