政談 / 武家旅宿の境遇を改むる事
當時は大かた成人と云ふもの和らかに下の情に疎く、幼少と變なし、御譜代外樣と云ふも今は名はかりにて同し事なり、御代初めの時分にて外樣大名は御をつかまつりたるものゝ子孫なれは、御用心あらんも尤もなり、御譜代も武剛を者の子ともにてなるほとそのころまては差別有るべけれとも、今日に至りては何れも親緣の中に成り、何れも〳〵江戶育ちにて江戶を古鄕と思ふ人なり、其家中の大祿の家來も皆な生まれかはりになり、代々其の家中にて人に崇めらるゝ故、其の主人とさのみ變らすうつかりなり、總躰の樣子に國持大名に奧ゆかしきことあるは所換をせす古き風俗を持ち傳へたる故のことなり、然れは御科ありての所換は各別の事、向後所換を停止ありて家中の武士をも皆知行所を吳れて面々知行所に居住せは、軍兵の數昔に歸りて日本武道の再興なるへし、大切のことなり、
新字:当時は大かた成人と云ふもの和らかに下の情に疎く、幼少と変なし、御譜代外様と云ふも今は名はかりにて同し事なり、御代初めの時分にて外様大名は御をつかまつりたるものゝ子孫なれは、御用心あらんも尤もなり、御譜代も武剛を者の子ともにてなるほとそのころまては差別有るべけれとも、今日に至りては何れも親縁の中に成り、何れも〳〵江戸育ちにて江戸を古郷と思ふ人なり、其家中の大禄の家来も皆な生まれかはりになり、代々其の家中にて人に崇めらるゝ故、其の主人とさのみ変らすうつかりなり、総体の様子に国持大名に奥ゆかしきことあるは所換をせす古き風俗を持ち伝へたる故のことなり、然れは御科ありての所換は各別の事、向後所換を停止ありて家中の武士をも皆知行所を呉れて面々知行所に居住せは、軍兵の数昔に帰りて日本武道の再興なるへし、大切のことなり、
書き下し
当時は大かた成人と云ふもの和らかに下の情に疎く、幼少と変なし、御譜代外様と云ふも今は名はかりにて同し事なり、御代初めの時分にて外様大名は御をつかまつりたるものゝ子孫なれは、御用心あらんも尤もなり、御譜代も武剛を者の子ともにてなるほとそのころまては差別有るべけれとも、今日に至りては何れも親縁の中に成り、何れも〳〵江戸育ちにて江戸を古郷と思ふ人なり、其家中の大禄の家来も皆な生まれかはりになり、代々其の家中にて人に崇めらるゝ故、其の主人とさのみ変らすうつかりなり、総体の様子に国持大名に奥ゆかしきことあるは所換をせす古き風俗を持ち伝へたる故のことなり、然れは御科ありての所換は各別の事、向後所換を停止ありて家中の武士をも皆知行所を呉れて面々知行所に居住せは、軍兵の数昔に帰りて日本武道の再興なるへし、大切のことなり、
現代語訳
今はたいてい成人という者も柔弱で、下の事情に疎く、幼少と変わりがない。御譜代・外様というのも今は名ばかりで同じことである。御代の初めの頃は、外様大名は(徳川家に)敵対した者の子孫なので、ご用心されるのももっともである。御譜代も武勇剛強な者の子どもたちで、なるほどその頃までは区別があってよかったが、今日に至っては、いずれも親類縁者の間柄になり、いずれもいずれも江戸育ちで、江戸を故郷と思う人々である。その家中の大禄の家来もみな代替わりして、代々その家中で人に崇められるので、その主人とそれほど変わらず、うっかりしている。全体の様子として国持ち大名に奥ゆかしさがあるのは、国替えをせず古い風俗を持ち伝えているからである。そうであれば、罪があっての国替えは別として、今後は国替えを停止され、家中の武士にもみな知行所を与えて、それぞれ知行所に住めば、軍兵の数は昔に戻り、日本の武道の再興となるだろう。大切なことである。
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇子曰く、『周、二代を監みて、郁郁として文なる哉。吾、周に従う。』
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・無形の気風ついに上下の間隔絶して、おのおの一種無形の気風をなせり。その気風とは、いわゆるスピリットなるものにて、にわかにこれを動かすべからず。近日に至り政府の外形は大いに改まりたれども、その専制抑圧の気風は今なお存せり。人民もやや権利を得るに似たれども、その卑屈不信の気風は依然として旧に異ならず。この気風は無形無体にして、にわかに一個の人につき一場の事を見て名状すべきものにあらざれども、その実の力ははなはだ強くして、世間全体の事跡に顕わるるを見れば、明らかにその虚にあらざるを知るべし。
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論語・八佾篇子曰く、『夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず。』
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『政談』能の事当時猿楽に物入り多き故、改めて楽を用ひんとすれは舞楽の物入り亦莫大なり、その上楽にうたひもの絶えたる故人情に遠きものなり、此等を考へ合せて愚案をめぐらすに、後鳥羽帝の御作に宴曲と云ものあり、一二冊は世間にもあるものなり、長門の家中に大内家より持ち伝へたりとて、全部十册余にしたる宴曲の譜あり、その譜のていうたひよりはふしすこし長く、声明などよりはみじかきものなり、間々に調子付けあれはうたひものを重にして楽を付けものにしたるものと見えたり、一番のなかさいつれもうたひの曲舞楽となり、春夏秋冬雑賀神祇釈教恋無常にて、うたの類の如くに一番々々に名を付けたるものなり、折にふれ時にとりてそのことに応して装束は一統にかりぎぬかひたゝれを用ひたらは、能のかはりにして費へも少なく、又文物も調ひて然るへきことのやう思はる、是は巧者なる仁に仰付けられ、二三年も四五年もかゝらは成就すへきことなり、なれとも是等のことは諸事の制度も調ひ、世上も豊によくすわりたる以後のことなるへけれは、急くへきことにもあらす、
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『茶の本』第一章 人情の碗・あの男は茶気がない日本が長い間世界から孤立していたのは、自省をする一助となって、茶道の発達に非常に好都合であった。われらの住居、習慣、衣食、陶漆器、絵画等――文学でさえも――すべてその影響をこうむっている。いやしくも日本の文化を研究せんとする者は、この影響の存在を無視することはできない。茶道の影響は、貴人の優雅な閨房にも、下賤の者の住み家にも行き渡ってきた。わが田夫は花を生けることを知り、わが野人も山水を愛でるに至った。俗に「あの男は茶気がない」という。もし人が、わが身の上におこるまじめながらの滑稽を知らないならば。また浮世の悲劇にとんじゃくもなく、浮かれ気分で騒ぐ半可通を「あまり茶気があり過ぎる」と言って非難する。
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『長短経』定名然る後に聖人は父子君臣を為して、以て之が紀綱と為す。紀綱既に正しく、天下大いに定まる。天下大いに定まりて、然る後に六律を正し、五声を和し、詩頌を絃歌す。此を之れ徳音と謂い、徳音之を楽と謂う。詩に云う「莫として其の徳音、其の徳克く明らかなり。克く明らかに克く類し、克く長じ克く君たり、此の大邦に王たり。克く順い克く比し、文王に比す。其の徳悔いること靡く、既に帝の祉を受け、孫子に施す」と。此の謂いなり。今、君の好む所の者は、溺音か。鄭の音は濫を好みて、志を淫す。宋の音は燕安にして、志を溺らす。衛の音は趨数にして、志を煩わす。斉の音は傲僻にして、志を驕らす。四者は皆色に淫して徳を害す。是を以て祭祀に用いず』と。此れ音と楽との異なりなり」と。
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