政談 / 御城下にて御用の外早馬を禁する事
古は車馬は中通を行き、かち立ちは男女分れて道の左右を行くこと是れ禮法なり、何れも途中も禮讓の見ことなるやうに御城下は有りたきことなり、小笠原佐渡守は特の外軍法を心懸けたる人と承はる、御先々前御代の頃途中にて人の込合ふ所にては、いつも供廻りを一行にして道の脇を手はしかく通りたるを見る人減したる也、そなへは幅ひろく立てゝ供をわらは打すてと云ふやうなることは軍法の字になつみ、武家の作法はかくの如しと覺えたる物にて武道の衰へたるなり、操練の法によく熟したるときは斯の如くかゝはるへきことに非す、况して太平の時節宜しからさるなり、此外御禮日なとに大手先き特の外に込合ふ事法制の立たさるゆゑなり、大名の供廻りを減少したらは少しはよかるへけれとも、大に法制の立たぬうちはさまてのかはりはあるまじ、殿中に出仕日は殊の外にさはかし、是も禮のなき故なり、何れも御老中を初め無學なる故に操練のことも禮のことも不案內故斯の如し、
新字:古は車馬は中通を行き、かち立ちは男女分れて道の左右を行くこと是れ礼法なり、何れも途中も礼譲の見ことなるやうに御城下は有りたきことなり、小笠原佐渡守は特の外軍法を心懸けたる人と承はる、御先々前御代の頃途中にて人の込合ふ所にては、いつも供廻りを一行にして道の脇を手はしかく通りたるを見る人減したる也、そなへは幅ひろく立てゝ供をわらは打すてと云ふやうなることは軍法の字になつみ、武家の作法はかくの如しと覚えたる物にて武道の衰へたるなり、操練の法によく熟したるときは斯の如くかゝはるへきことに非す、況して太平の時節宜しからさるなり、此外御礼日なとに大手先き特の外に込合ふ事法制の立たさるゆゑなり、大名の供廻りを減少したらは少しはよかるへけれとも、大に法制の立たぬうちはさまてのかはりはあるまじ、殿中に出仕日は殊の外にさはかし、是も礼のなき故なり、何れも御老中を初め無学なる故に操練のことも礼のことも不案内故斯の如し、
書き下し
古は車馬は中通を行き、かち立ちは男女分れて道の左右を行くこと是れ礼法なり、何れも途中も礼譲の見ことなるやうに御城下は有りたきことなり、小笠原佐渡守は特の外軍法を心懸けたる人と承はる、御先々前御代の頃途中にて人の込合ふ所にては、いつも供廻りを一行にして道の脇を手はしかく通りたるを見る人減したる也、そなへは幅ひろく立てゝ供をわらは打すてと云ふやうなることは軍法の字になつみ、武家の作法はかくの如しと覚えたる物にて武道の衰へたるなり、操練の法によく熟したるときは斯の如くかゝはるへきことに非す、況して太平の時節宜しからさるなり、此外御礼日なとに大手先き特の外に込合ふ事法制の立たさるゆゑなり、大名の供廻りを減少したらは少しはよかるへけれとも、大に法制の立たぬうちはさまてのかはりはあるまじ、殿中に出仕日は殊の外にさはかし、是も礼のなき故なり、何れも御老中を初め無学なる故に操練のことも礼のことも不案内故斯の如し、
現代語訳
古は、車馬は道の中央を通り、徒歩の者は男女が分かれて道の左右を行くのが礼法であった。どれも途中でも礼譲が見事であるように、御城下はありたいものである。小笠原佐渡守はことのほか軍法を心がけた人と聞いている。先々前代の御代のころ、途中で人の込み合う所では、いつも供回りを一列にして道の脇を手早く通ったのを見る人が感心したものである。備えを幅広く立てて、列を割れば討ち捨てというようなことは、軍法の字面にとらわれ、武家の作法はこういうものだと思い込んだもので、武道の衰えである。操練の法によく熟していれば、このようにこだわるべきことではない。まして太平の時節にはよろしくない。このほか、御礼の日などに大手門の前がことのほか込み合うのは、法制が立っていないからである。大名の供回りを減らせば少しはよくなるだろうが、大いに法制が立たないうちは、それほどの変わりはあるまい。登城日の殿中はことのほか騒がしい。これも礼がないからである。どれも老中をはじめ無学であるために、操練のことも礼のことも不案内であるから、このようなのである。
解説
この章句が説くこと
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