政談 / 御城下にて御用の外早馬を禁する事
御城下にて御用の外は早馬を禁したること律の法にて和漢共に古は斯くの如し、當時は御城下廣大なれは內曲輪はかりを制すへきか、此制法なき故大下馬を乘込みたるたぐひも間々有りし、御城下にて大名の供廻りを大勢連れて大路を塞けて、供を割らは討棄なとにすると云ふこと、元來軍中の法にて太平の代にあるましきことなり、上を憚らさることなり、今は打棄なとゝ云ことは止ぬ、御先々前御代の頃より供を幾きりにも切ることになりて少しは宜しけれとも、道を塞けて手をふり、きをひかゝりて、威かつかましきは同然なり、二卷目に云ひたる如く御城下はいくはいの人數を、ことのほかに減し、何れもしやうそくに成りたらは、此の風俗自から已むへし、されとも大名の家來皆な知行所に住するやうになり、かち士なとに渡り者を用ひたれは、田舍士の片くなゝる心にて、却て供を割らは打棄と云ふ樣に覺えて喧嘩なと之あるへきか、
新字:御城下にて御用の外は早馬を禁したること律の法にて和漢共に古は斯くの如し、当時は御城下広大なれは内曲輪はかりを制すへきか、此制法なき故大下馬を乗込みたるたぐひも間々有りし、御城下にて大名の供廻りを大勢連れて大路を塞けて、供を割らは討棄なとにすると云ふこと、元来軍中の法にて太平の代にあるましきことなり、上を憚らさることなり、今は打棄なとゝ云ことは止ぬ、御先々前御代の頃より供を幾きりにも切ることになりて少しは宜しけれとも、道を塞けて手をふり、きをひかゝりて、威かつかましきは同然なり、二巻目に云ひたる如く御城下はいくはいの人数を、ことのほかに減し、何れもしやうそくに成りたらは、此の風俗自から已むへし、されとも大名の家来皆な知行所に住するやうになり、かち士なとに渡り者を用ひたれは、田舎士の片くなゝる心にて、却て供を割らは打棄と云ふ様に覚えて喧嘩なと之あるへきか、
書き下し
御城下にて御用の外は早馬を禁したること律の法にて和漢共に古は斯くの如し、当時は御城下広大なれは内曲輪はかりを制すへきか、此制法なき故大下馬を乗込みたるたぐひも間々有りし、御城下にて大名の供廻りを大勢連れて大路を塞けて、供を割らは討棄なとにすると云ふこと、元来軍中の法にて太平の代にあるましきことなり、上を憚らさることなり、今は打棄なとゝ云ことは止ぬ、御先々前御代の頃より供を幾きりにも切ることになりて少しは宜しけれとも、道を塞けて手をふり、きをひかゝりて、威かつかましきは同然なり、二巻目に云ひたる如く御城下はいくはいの人数を、ことのほかに減し、何れもしやうそくに成りたらは、此の風俗自から已むへし、されとも大名の家来皆な知行所に住するやうになり、かち士なとに渡り者を用ひたれは、田舎士の片くなゝる心にて、却て供を割らは打棄と云ふ様に覚えて喧嘩なと之あるへきか、
現代語訳
御城下で御用以外の早馬を禁じたことは律の法であり、日本も中国も昔はこのようであった。今は御城下が広大であるから、内曲輪だけを制限すべきだろうか。この制法がないために、大下馬(下馬すべき場所)まで乗り込んだたぐいの者もときどきあった。御城下で大名が供回りを大勢連れて大路をふさぎ、供の列を割って通る者は討ち捨てるなどということは、もともと軍中の法であって、太平の世にあってはならないことである。上をはばからないことである。今は討ち捨てなどということはなくなった。先々前代の御代のころから供の列を幾切れにも切ることになって、少しはよくなったが、道をふさいで手を振り、気負いかかって威張りがましいのは同じである。二巻目で述べたように、御城下にいる大勢の人数をことのほか減らし、どれも質素になれば、この風俗は自然とやむだろう。けれども大名の家来が皆知行所に住むようになり、徒士などに渡り者を用いるようになれば、田舎侍のかたくなな心で、かえって供の列を割れば討ち捨てというように思い込んで、喧嘩などが起こるかもしれない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第十六雖然それは大なる上の御損なり、其故は法をおもんじ奉り、何事も無事にとばかりならば、諸侍男道のきつかけをはづし、みな不足を堪忍仕る臆病者になり候はん、又男のきつかけをばはづすまじきとて、男を立て候はゞ、其身の疵になる儀をあらため候べし、其改むるをばはやかどがちなりとて、法度をそむくに罷り成り、さだめて御成敗か不然は国をおはるゝかにて候べし、然らば則ちよき侍一人もなうして、信玄公の御鋒は悉くよはかるべき義眼前に候、
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『政談』諸役人に器量を選ふ事是れ其事をする人の上に付きて云ふとき斯の如し、又事の上に付きて云ふとき、惣して少しの害をすてねは大なる功は立てがたき者なり、譬へは風を引きたる人を療治するときは汗を発して風を追ふなり、汗は身の津液にて大切なる物、されとも身の津液をは其の儘置きて風ばかりをつんぼりと取ることは、医道に於て之無きことなり、食傷瘀血を下すも斯の如く、下すときは津液ともに下りてその人虚〇〇〇、津液は下さすして食傷瘀血ばかりをふきて取る事はならぬことなり、一切の事は皆斯の如し、故に大なる功あらは小過は宥さて叶はさることなり、聖人の語は斯の如く様々の道理備はりて、今日の事情の上にも深切なることなり、然かるを小過を咎むるは仁心なきなどゝ論語の講釈をする故、意味の深長に功用の広大なることを知らぬも是亦末世になりたる学問の弊なるへし、
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『韓非子』存韓第二凶器なり」と。審らかに用ゐざる可からざる也。
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『淮南子』泰族訓故に事に一孔を鑿ちて百隟を生じ、一物を樹えて萬葉を生ずる者有り。鑿つ所は以て便と爲すに足らずして、開く所は以て敗と爲すに足る。樹うる所は以て利と爲すに足らずして、生ずる所は以て濊と爲すに足る。愚者は小利に惑いて、其の大害を忘る。昌羊は蚤虱を去るも、人 庠せざる者は、其の蛉窮を來すが爲なり。狸は鼠を執うるも、庭に脫す可からざる者は、雞を捕らうるが爲なり。故に事に小に利ありて大に害あり、此に得て彼に亡う者有り。故に棋を行る者は、或いは兩を食らいて路 窮まり、或いは踦を予えて勝を取る。利を偷むは以て行と爲す可からずして、智術は以て法と爲す可からず。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著郎官何洵直、本部の印を失う。公曰く、洵直誠に罪有り。然れども重く之を譴めば、則ち今より猾吏皆以て主司を制する有らんと。乃ち其の罪を薄くす。
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『長短経』是非〔是に曰く〕管子曰く「今を疑う者は之を古に察し、来を知らざる者は之を往に視る」と。古語に曰く「死人と病を同じくする者は、生く可からざるなり。亡国と行いを同じくする者は、存す可からざるなり」と。〔非に曰く〕呂氏春秋に曰く「夫れ人の食を以て死する者有れば、天下の食を禁ぜんと欲するは、悖れり。舟に乗りて死する者有れば、天下の船を禁ぜんと欲するは、悖れり。兵を用いて其の国を喪う者有れば、天下の兵を偃せんと欲するは、悖れり」と。杜恕曰く「夫れ奸臣賊子は、古より今に及ぶまで、未だ嘗て有らずんばあらず。百歳に一人なれば、是れを踵を継ぐと為す。千里に一人なれば、是れを肩を比ぶと為す。而るに挙げて以て戒と為すは、是れ猶お一たび噎びて人の食を禁ずるがごときなり。噎ぶ者少なしと雖も、餓うる者必ず多し」と。
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