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政談 / 御城下にて御用の外早馬を禁する事

加藤清正家の古老の物語りに、高麗陣のとき朝鮮人とは替り大明の軍法には及はさることゝもあり、大軍をとりまはすこと殊の外に自由なることにて、日本の合戰にては終に見ぬことなり、卷たる城を卷ほくすに只今まて城を手いたく攻むる歟と思へは、忽ちの內にその人數はいつくへ行きたるならん、一人も見えぬことこれ有り、また城をのらるれは日本にてはその城は早落るものなるに、大明のせいのこもりたる城を本田玄蕃と云ふもの日本にてのる心得にてのりて犬死を仕たり、清正の家來飯田覺兵衛夫を見て晋州の城をのる時、國々の弓矢の風儀格別なるを了簡して後陣をまち合はせ、塀に手をかけ居てつゝくせいの皆なひた〳〵とのらんとするとき、城へ飛ひ入り一番乘りを仕りたるとものかたりせりと承はる、

新字:加藤清正家の古老の物語りに、高麗陣のとき朝鮮人とは替り大明の軍法には及はさることゝもあり、大軍をとりまはすこと殊の外に自由なることにて、日本の合戦にては終に見ぬことなり、巻たる城を巻ほくすに只今まて城を手いたく攻むる歟と思へは、忽ちの内にその人数はいつくへ行きたるならん、一人も見えぬことこれ有り、また城をのらるれは日本にてはその城は早落るものなるに、大明のせいのこもりたる城を本田玄蕃と云ふもの日本にてのる心得にてのりて犬死を仕たり、清正の家来飯田覚兵衛夫を見て晋州の城をのる時、国々の弓矢の風儀格別なるを了簡して後陣をまち合はせ、塀に手をかけ居てつゝくせいの皆なひた〳〵とのらんとするとき、城へ飛ひ入り一番乗りを仕りたるとものかたりせりと承はる、

書き下し

加藤清正家の古老の物語りに、高麗陣のとき朝鮮人とは替り大明の軍法には及はさることゝもあり、大軍をとりまはすこと殊の外に自由なることにて、日本の合戦にては終に見ぬことなり、巻たる城を巻ほくすに只今まて城を手いたく攻むる歟と思へは、忽ちの内にその人数はいつくへ行きたるならん、一人も見えぬことこれ有り、また城をのらるれは日本にてはその城は早落るものなるに、大明のせいのこもりたる城を本田玄蕃と云ふもの日本にてのる心得にてのりて犬死を仕たり、清正の家来飯田覚兵衛夫を見て晋州の城をのる時、国々の弓矢の風儀格別なるを了簡して後陣をまち合はせ、塀に手をかけ居てつゝくせいの皆なひた〳〵とのらんとするとき、城へ飛ひ入り一番乗りを仕りたるとものかたりせりと承はる、

現代語訳

加藤清正の家の古老の話に、朝鮮の役のとき、朝鮮人とは違って明の軍法には及ばないことがいくつもあったという。大軍を取り回すことがことのほか自由で、日本の合戦では最後まで見なかったことである。囲んだ城の包囲を解くのに、たった今まで城を手厳しく攻めているかと思えば、たちまちのうちにその人数はどこへ行ったのか、一人も見えなくなることがあった。また、城に乗り込まれれば日本ではその城はすぐに落ちるものなのに、明の兵が籠もった城に本田玄蕃という者が日本で乗り込むつもりで乗り込んで、犬死にをした。清正の家来の飯田覚兵衛はそれを見て、晋州城に乗り込むとき、国々の戦い方の流儀が格別に違うことを悟って、後続の部隊を待ち合わせ、塀に手をかけて待ち、続く軍勢が皆ひたひたと乗り込もうとするときに、城へ飛び込んで一番乗りをしたと語ったと聞いている。

解説

加藤清正家に伝わる朝鮮出兵の見聞である。明の軍は大軍を自在に動かし、包囲を解くときには一瞬で姿を消した。日本流に城へ単身乗り込んだ者は犬死にし、飯田覚兵衛は流儀の違いを見抜いて後続を待ち、一番乗りを果たしたという。徂徠はこれを、訓練と法令が行き届いた集団の強さの例として引く。個人の武勇に頼る組織と、仕組みで動く組織の差である。慣れたやり方が通じない相手に出会ったとき、まず流儀の違いを見極めることの大切さも教えている。

この章句が説くこと

操練法令組織兵法加藤清正政談

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