甲陽軍鑑 / 品第十六
雖然それは大なる上の御損なり、其故は法をおもんじ奉り、何事も無事にとばかりならば、諸侍男道のきつかけをはづし、みな不足を堪忍仕る臆病者になり候はん、又男のきつかけをばはづすまじきとて、男を立て候はゞ、其身の疵になる儀をあらため候べし、其改むるをばはやかどがちなりとて、法度をそむくに罷り成り、さだめて御成敗か不然は國をおはるゝかにて候べし、然らば則ちよき侍一人もなうして、信玄公の御鋒は悉くよはかるべき義眼前に候、
新字:雖然それは大なる上の御損なり、其故は法をおもんじ奉り、何事も無事にとばかりならば、諸侍男道のきつかけをはづし、みな不足を堪忍仕る臆病者になり候はん、又男のきつかけをばはづすまじきとて、男を立て候はゞ、其身の疵になる儀をあらため候べし、其改むるをばはやかどがちなりとて、法度をそむくに罷り成り、さだめて御成敗か不然は国をおはるゝかにて候べし、然らば則ちよき侍一人もなうして、信玄公の御鋒は悉くよはかるべき義眼前に候、
書き下し
雖然それは大なる上の御損なり、其故は法をおもんじ奉り、何事も無事にとばかりならば、諸侍男道のきつかけをはづし、みな不足を堪忍仕る臆病者になり候はん、又男のきつかけをばはづすまじきとて、男を立て候はゞ、其身の疵になる儀をあらため候べし、其改むるをばはやかどがちなりとて、法度をそむくに罷り成り、さだめて御成敗か不然は国をおはるゝかにて候べし、然らば則ちよき侍一人もなうして、信玄公の御鋒は悉くよはかるべき義眼前に候、
現代語訳
けれどもそれは大きな上の御損である。その故は、法を重んじ奉り、何ごとも無事にとばかりであれば、諸侍は男の道のきっかけを外し、みな不足を堪忍する臆病者になりましょう。また男のきっかけを外すまいといって男を立てるならば、その身の疵になる儀を改めるべきです。その改めることを、早くも角が立つといって法度に背くことになり、きっと御成敗か、そうでなければ国を追われるかでありましょう。そうなれば、よい侍が一人もなくて、信玄公の御鋒はことごとく弱くなるであろうことは眼前です。とりわけ侍大将も武道のきっかけの意地を外したならば、武士の道が廃り、上の御ためが悪くございます。
解説

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『政談』諸役人に器量を選ふ事是れ其事をする人の上に付きて云ふとき斯の如し、又事の上に付きて云ふとき、惣して少しの害をすてねは大なる功は立てがたき者なり、譬へは風を引きたる人を療治するときは汗を発して風を追ふなり、汗は身の津液にて大切なる物、されとも身の津液をは其の儘置きて風ばかりをつんぼりと取ることは、医道に於て之無きことなり、食傷瘀血を下すも斯の如く、下すときは津液ともに下りてその人虚〇〇〇、津液は下さすして食傷瘀血ばかりをふきて取る事はならぬことなり、一切の事は皆斯の如し、故に大なる功あらは小過は宥さて叶はさることなり、聖人の語は斯の如く様々の道理備はりて、今日の事情の上にも深切なることなり、然かるを小過を咎むるは仁心なきなどゝ論語の講釈をする故、意味の深長に功用の広大なることを知らぬも是亦末世になりたる学問の弊なるへし、
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抱朴子外篇・詰鮑夫れ谷帛積めば則ち民に饑寒の倹有り、百官備われば則ち坐して供奉の費を靡し、宿衛に徒食の衆有り、百姓に遊手の人を養う。民の衣食に乏しきは、自給すら已に劇し。況んや賦斂を加え、重ぬるに苦役を以てするをや。下は命に堪えず、且つ凍え且つ饑え、法を冒すこと斯に濫なり、是に於いて在り。王者は上に憂労し、台鼎は下に顰戚し、深きに臨み薄きを履み、禍の及ぶを懼る。智勇の用いられざるを恐る、故に厚爵重禄以て之を誘う。奸釁の不虞を恐る、故に厳城深池以て之に備う。而るに知らず、禄厚ければ則ち民匱しくして臣騎り、城厳しければ則ち役重くして攻巧みなるを。故に鹿台の金を散じ、鉅橋の粟を発すれば、歓然たらざる莫し。況んや本より金を聚めず、民粟を斂めざるをや。牛を桃林に休め、馬を華山に放ち、載ち幹戈を戢め、載ち弓矢を櫜むるすら、猶お以て泰と為す。況んや本より軍旅無く、戦わず戍らざるをや。茅茨土階、織を棄て葵を抜き、囊を雑えて幃と為し、裘を濯い布被し、妾は帛を衣ず、馬は粟を秣わず、倹以て物を率い、以て美談と為す。所謂盜跖の財を分かち、少なきを取るを譲と為し、陸処の魚の、相い煦むるに沫を以てするなり。
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『韓非子』存韓第二凶器なり」と。審らかに用ゐざる可からざる也。
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『政談』御城下にて御用の外早馬を禁する事御城下にて御用の外は早馬を禁したること律の法にて和漢共に古は斯くの如し、当時は御城下広大なれは内曲輪はかりを制すへきか、此制法なき故大下馬を乗込みたるたぐひも間々有りし、御城下にて大名の供廻りを大勢連れて大路を塞けて、供を割らは討棄なとにすると云ふこと、元来軍中の法にて太平の代にあるましきことなり、上を憚らさることなり、今は打棄なとゝ云ことは止ぬ、御先々前御代の頃より供を幾きりにも切ることになりて少しは宜しけれとも、道を塞けて手をふり、きをひかゝりて、威かつかましきは同然なり、二巻目に云ひたる如く御城下はいくはいの人数を、ことのほかに減し、何れもしやうそくに成りたらは、此の風俗自から已むへし、されとも大名の家来皆な知行所に住するやうになり、かち士なとに渡り者を用ひたれは、田舎士の片くなゝる心にて、却て供を割らは打棄と云ふ様に覚えて喧嘩なと之あるへきか、
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。