政談 / 御老中への年始の禮を御目付にて觸るゝ事
年始の禮に御老中の宅へ參る日限を御目付よりふるゝこと近年始まりたり、是れ亦相違なり、御老中への年始の禮は面々の相對の禮儀なり、御老中なりとも不和ならん人、又は存しよりあらは年始の禮に參るましき也、御老中とても朋輩なる故也、夫を御目付よりふるゝときは相對の禮を公法にするなり、御目付は公儀の役人なり、公儀の役人か相對の禮を差圖することあるましきこと也、此等は昔は之なきことなるに、近年御老中の高ぶり强く、御目付なとは覺えす御老中の使ひ者となりて、己か作法を咎かむる職掌なることを忘れたるにより、斯くの如くなる門違は出來たるなり、
新字:年始の礼に御老中の宅へ参る日限を御目付よりふるゝこと近年始まりたり、是れ亦相違なり、御老中への年始の礼は面々の相対の礼儀なり、御老中なりとも不和ならん人、又は存しよりあらは年始の礼に参るましき也、御老中とても朋輩なる故也、夫を御目付よりふるゝときは相対の礼を公法にするなり、御目付は公儀の役人なり、公儀の役人か相対の礼を差図することあるましきこと也、此等は昔は之なきことなるに、近年御老中の高ぶり強く、御目付なとは覚えす御老中の使ひ者となりて、己か作法を咎かむる職掌なることを忘れたるにより、斯くの如くなる門違は出来たるなり、
書き下し
年始の礼に御老中の宅へ参る日限を御目付よりふるゝこと近年始まりたり、是れ亦相違なり、御老中への年始の礼は面々の相対の礼儀なり、御老中なりとも不和ならん人、又は存しよりあらは年始の礼に参るましき也、御老中とても朋輩なる故也、夫を御目付よりふるゝときは相対の礼を公法にするなり、御目付は公儀の役人なり、公儀の役人か相対の礼を差図することあるましきこと也、此等は昔は之なきことなるに、近年御老中の高ぶり強く、御目付なとは覚えす御老中の使ひ者となりて、己か作法を咎かむる職掌なることを忘れたるにより、斯くの如くなる門違は出来たるなり、
現代語訳
年始の礼に老中の屋敷へ参上する日取りを、御目付から触れ出すことが近年始まった。これもまた筋違いである。老中への年始の礼は、各自が相手に対して行う私的な礼儀である。相手が老中であっても、不和な人や思うところのある人は、年始の礼に行かなくてよい。老中といっても同輩だからである。それを御目付から触れ出すときは、相対の礼を公の法にすることになる。御目付は公儀の役人である。公儀の役人が相対の礼を指図することはあってはならない。これらは昔はなかったことなのに、近年は老中の高ぶりが強く、御目付などは知らず知らずのうちに老中の使い走りとなって、自分が老中の作法をも咎める職掌であることを忘れたために、このような筋違いができたのである。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第六章 禮儀・絶えず移りゆく流行を追う愚宜なり、衣食足りて礼節を知ると謂ひ、又たヴェブレン氏が多趣味の著『有閑階級論』に於て、礼は『有閑階級者の生活の産む所にして、又た之を表するものなり』と云ふこと。欧人ややもすれば我が礼儀の委曲繊巧に流るるを嗤ひ、思慮を役する大にして、之を固守すること其愚及ぶべからずと評す。予も亦た礼儀の繁縟なるよりして、徒に無用の細節に泥むことあるを知る。されど、泰西の絶えず移りゆく流行を追ふの愚に比するに、予は、にはかに其優劣を判ずるに苦しむものなり。然るに予は彼の流行すらも、なお之を目して、虚栄の癖好なりとせざるのみならず、反つて之を認めて、人心の断えず美を慕ふ所以なりとす。されば何すれぞ、繊巧なる儀礼を以て全く取るに足らずとせんや。
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