政談 / 內曲輪外曲輪御門番の事
然るに荒井筑後と云ふものゝ申上ることを御先々御代に御用ひなされ、何れも御先々前御代のことをは多くは改め兼ぬることに成りたり、是も其內の一つなり、されとも江戶中は溢盃のことを一統に押ゆること仕にくさに、內曲輪はかりにて押へたるにや、上への禮儀ならは上下ともに脫ぐへきに供のものはかり脫かするは聞えぬこと也、丸の內は大名のすまいなるによりて大名への禮か、されは大名へ家來の馬上にて冠ふるは如何なることそや、內曲輪計かりにて君臣の禮を立つるは聞えぬことなり、下々の面々の主人への禮儀なれは、主人の心次第冠ふらするとも、脫がするともあるへきを、公儀より御目付の世話をやきてふるゝこと是れ亦聞えぬことなり、內曲輪を御目付の世話にて冠ふせぬより、今は下々も主人への禮儀にて冠ふらぬと云ふことを忘れて、外曲輪にては主人冠ふれと云はねとも冠ふる筈のことにして一統に冠ふるなり、此等は瑣細なることなれとも、世の移り行くに隨ひて何事も理筋を取違へ、御目付なとの世話にすましき事を大切らしくふるゝやうになることゝも重なりては、侮る心下に出來るものなれは改むへきこと也、
新字:然るに荒井筑後と云ふものゝ申上ることを御先々御代に御用ひなされ、何れも御先々前御代のことをは多くは改め兼ぬることに成りたり、是も其内の一つなり、されとも江戸中は溢盃のことを一統に押ゆること仕にくさに、内曲輪はかりにて押へたるにや、上への礼儀ならは上下ともに脱ぐへきに供のものはかり脱かするは聞えぬこと也、丸の内は大名のすまいなるによりて大名への礼か、されは大名へ家来の馬上にて冠ふるは如何なることそや、内曲輪計かりにて君臣の礼を立つるは聞えぬことなり、下々の面々の主人への礼儀なれは、主人の心次第冠ふらするとも、脱がするともあるへきを、公儀より御目付の世話をやきてふるゝこと是れ亦聞えぬことなり、内曲輪を御目付の世話にて冠ふせぬより、今は下々も主人への礼儀にて冠ふらぬと云ふことを忘れて、外曲輪にては主人冠ふれと云はねとも冠ふる筈のことにして一統に冠ふるなり、此等は瑣細なることなれとも、世の移り行くに随ひて何事も理筋を取違へ、御目付なとの世話にすましき事を大切らしくふるゝやうになることゝも重なりては、侮る心下に出来るものなれは改むへきこと也、
書き下し
然るに荒井筑後と云ふものゝ申上ることを御先々御代に御用ひなされ、何れも御先々前御代のことをは多くは改め兼ぬることに成りたり、是も其内の一つなり、されとも江戸中は溢盃のことを一統に押ゆること仕にくさに、内曲輪はかりにて押へたるにや、上への礼儀ならは上下ともに脱ぐへきに供のものはかり脱かするは聞えぬこと也、丸の内は大名のすまいなるによりて大名への礼か、されは大名へ家来の馬上にて冠ふるは如何なることそや、内曲輪計かりにて君臣の礼を立つるは聞えぬことなり、下々の面々の主人への礼儀なれは、主人の心次第冠ふらするとも、脱がするともあるへきを、公儀より御目付の世話をやきてふるゝこと是れ亦聞えぬことなり、内曲輪を御目付の世話にて冠ふせぬより、今は下々も主人への礼儀にて冠ふらぬと云ふことを忘れて、外曲輪にては主人冠ふれと云はねとも冠ふる筈のことにして一統に冠ふるなり、此等は瑣細なることなれとも、世の移り行くに随ひて何事も理筋を取違へ、御目付なとの世話にすましき事を大切らしくふるゝやうになることゝも重なりては、侮る心下に出来るものなれは改むへきこと也、
現代語訳
ところが、新井筑後守(白石)という者の申し上げることを先々代(六代家宣)の御代にお用いになり、先々前代のことは多くが改められることになった。これもそのうちの一つである。けれども江戸中で笠の行き過ぎを一律に押さえるのはやりにくいので、内曲輪だけで押さえたのであろうか。上への礼儀であるなら、上下ともに脱ぐべきなのに、供の者だけに脱がせるのは筋が通らない。丸の内は大名の住まいであるから大名への礼か。それなら大名に対して家来が馬上で笠をかぶるのはどういうことか。内曲輪だけで君臣の礼を立てるのは筋が通らない。下々が各自の主人に対してする礼儀なのだから、主人の心次第で、かぶらせることも脱がせることもあってよいのに、公儀から御目付が世話を焼いて触れを出すのも、これまた筋が通らない。内曲輪で御目付の世話によってかぶらせないようにしてから、今では下々も、主人への礼儀としてかぶらないのだということを忘れて、外曲輪では主人がかぶれと言わなくてもかぶるのが当然のこととして、一様にかぶっている。これらは些細なことではあるが、世の移り変わるにつれて何事も道理の筋を取り違え、御目付などが世話をすべきでないことを大切そうに触れ出すようなことが重なると、下に侮る心ができるものであるから、改めるべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『十七条憲法』第四条四に曰わく、群臣(まえつきみ)百寮(もものつかさ)、礼を以て本(もと)と為(せ)よ。其れ民を治むるの本、要(かなめ)は礼に在り。上(かみ)礼無くんば下(しも)斉(ととの)わず。下(しも)礼無くんば以て必ず罪有り。是(ここ)を以て、群臣礼有れば、位次(くらい)乱れず。百姓(ひゃくせい)礼有れば、国家(こっか)自(おのずか)ら治まる。
-
葉隠・聞書第一何某(なにがし)へ町方(まちかた)の何某が訴状(そじょう)を渡すべしと申し候時、請け取るまじきと申し候を、何某が居合わせ、「まず請け取り置き候て、無用と候わば返し申され候えかし」と申し候に付いて、「さらば請け取り置くべし」と申し候時、「請け取らせる物を請け取らずに置く事がなるものか」と、いやしめ申され候由、話す人あり。役所々々(やくしょやくしょ)にて慇懃に取り合うのが士の作法にてあらずとなり。
-
孟子・離婁章句上樂正子、子敖に從いて齊に之く。樂正子、孟子に見ゆ。孟子曰く、「子も亦た來たりて我を見るか。」曰く、「先生何為れぞ此の言を出だすや。」曰く、「子來たること幾日ぞ。」曰く、「昔者なり。」曰く、「昔者ならば、則ち我、此の言を出だすも、亦た宜ならずや。」曰く、「舍館未だ定まらざればなり。」曰く、「子、之を聞けりや。舍館定まりて、然る後に長者に見ゆることを求むるか。」曰く、「克、罪有り。」 <語釈> ○「樂正子」、趙注:魯の人樂正克、孟子の弟子なり、齊の右師子敖に從う、子敖、使いして魯に之く、樂正子、之に随い、來たりて齊に之く。○「昔者」、趙注:「昔者」は往なり、數日の閒を謂う。
-
孟子・離婁章句下公行子、子の喪有り。右師往きて弔す。門に入るや、進みて右師と言う者有り。右師の位に就きて右師と言う者有り。孟子、右師と言わず。右師悅ばずして曰く、「諸君子皆、驩と言う、孟子獨り驩と言わず。是れ驩を簡にするなり。」孟子、之を聞きて曰く、「禮に、『朝廷には位を歷て相與に言わず、階を踰えて相揖ぜず。』と。我、禮を行わんと欲するに、子敖は我を以て簡なりと為す。亦た異ならずや。」
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「恭者は人を侮らず、儉者は人より奪わず。人を侮り奪うの君は、惟だ順わざらんことを恐る。惡くんぞ恭儉を為すを得んや。恭儉は豈に聲音笑貌を以て為す可けんや。」
-
『武士道』第六章 禮儀・絶えず移りゆく流行を追う愚宜なり、衣食足りて礼節を知ると謂ひ、又たヴェブレン氏が多趣味の著『有閑階級論』に於て、礼は『有閑階級者の生活の産む所にして、又た之を表するものなり』と云ふこと。欧人ややもすれば我が礼儀の委曲繊巧に流るるを嗤ひ、思慮を役する大にして、之を固守すること其愚及ぶべからずと評す。予も亦た礼儀の繁縟なるよりして、徒に無用の細節に泥むことあるを知る。されど、泰西の絶えず移りゆく流行を追ふの愚に比するに、予は、にはかに其優劣を判ずるに苦しむものなり。然るに予は彼の流行すらも、なお之を目して、虚栄の癖好なりとせざるのみならず、反つて之を認めて、人心の断えず美を慕ふ所以なりとす。されば何すれぞ、繊巧なる儀礼を以て全く取るに足らずとせんや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る