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政談 / 內曲輪外曲輪御門番の事

內曲輪外曲輪の御門番をする侍足輕の己か主人の親類に下座すること謂れなきこと也、仔細は內曲輪外曲輪も畢竟は廓門なり、然れは此番所は公儀の御番所なり、然るに私の下座は門相違なり、御門番は畢竟御城の警衛なれは嚴密なるへきことなり、惣下座の仁の外は下座堅く有るましきことなり、町人足を足輕中間に拵へ置くこと一ころ仰出されの趣あれとも、今に內證は元の如し、是は畢竟御城の警衛なりと云ふ本意を忘れて番所に勤め慣れたる巧者ものを搆へ置き、仕落なきやうにとすることなる故、右の如くなる自分のつめひらきをすることを第一とするより起れり、町人足を中間足輕にする事は出替り奉公人と云ふこと己まぬ內は、此紛らかしは止み難し、

新字:内曲輪外曲輪の御門番をする侍足軽の己か主人の親類に下座すること謂れなきこと也、仔細は内曲輪外曲輪も畢竟は廓門なり、然れは此番所は公儀の御番所なり、然るに私の下座は門相違なり、御門番は畢竟御城の警衛なれは厳密なるへきことなり、惣下座の仁の外は下座堅く有るましきことなり、町人足を足軽中間に拵へ置くこと一ころ仰出されの趣あれとも、今に内証は元の如し、是は畢竟御城の警衛なりと云ふ本意を忘れて番所に勤め慣れたる巧者ものを搆へ置き、仕落なきやうにとすることなる故、右の如くなる自分のつめひらきをすることを第一とするより起れり、町人足を中間足軽にする事は出替り奉公人と云ふこと己まぬ内は、此紛らかしは止み難し、

書き下し

内曲輪外曲輪の御門番をする侍足軽の己か主人の親類に下座すること謂れなきこと也、仔細は内曲輪外曲輪も畢竟は廓門なり、然れは此番所は公儀の御番所なり、然るに私の下座は門相違なり、御門番は畢竟御城の警衛なれは厳密なるへきことなり、惣下座の仁の外は下座堅く有るましきことなり、町人足を足軽中間に拵へ置くこと一ころ仰出されの趣あれとも、今に内証は元の如し、是は畢竟御城の警衛なりと云ふ本意を忘れて番所に勤め慣れたる巧者ものを搆へ置き、仕落なきやうにとすることなる故、右の如くなる自分のつめひらきをすることを第一とするより起れり、町人足を中間足軽にする事は出替り奉公人と云ふこと己まぬ内は、此紛らかしは止み難し、

現代語訳

内曲輪・外曲輪の御門番をする侍や足軽が、自分の主人の親類に下座(ひざまずいて礼)をするのは、いわれのないことである。そのわけは、内曲輪・外曲輪といっても、つまるところは城郭の門である。だからこの番所は公儀の番所である。それなのに私的な下座をするのは筋違いである。御門番はつまるところ御城の警衛であるから、厳密であるべきである。決められた総下座の対象の方以外には、下座は決してあってはならない。町の人足を足軽・中間に仕立てて置くことは、一時禁止のお達しがあったが、今も内実は元のままである。これはつまるところ、御城の警衛だという本意を忘れて、番所勤めに慣れた巧者な者を雇っておき、しくじりのないようにしようとするからであり、右のような自分の都合による取り繕いを第一とすることから起こっている。町人足を中間・足軽にすることは、出替り奉公人という仕組みがなくならないうちは、このごまかしはやみがたい。

解説

城門の番人が、公の番所でありながら自分の主人の親類に私的な礼をすることを、徂徠は筋違いだと咎める。門番の本務は城の警衛であり、公の場に私の礼を持ち込めば規律が崩れる。さらに、番所勤めに慣れた町人足を雇って間違いなく見せようとする慣行も、警衛という本意を忘れた取り繕いだという。その根には、一年ごとに雇い替える出替り奉公人の制度があると徂徠は見る。公私の区別と、外注に頼って本来の機能を空洞化させる危うさは、今の組織にもそのまま当てはまる。

この章句が説くこと

公私警衛本意規律門番政談

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