政談 / 當時の役儀にも文武の差別ある事
當時は役儀に文武あることを知らず、大坂御城代御番頭諸物頭舟手などは武役なり、其の外の御役人は老中より以下皆文官なり、當時は何れも武家なりと云ひて文官も學問をせず、武士の武士くさきは惡しきとて武官も上郞の樣になる、責めては文武の差別を知らせたきこと也、
新字:当時は役儀に文武あることを知らず、大坂御城代御番頭諸物頭舟手などは武役なり、其の外の御役人は老中より以下皆文官なり、当時は何れも武家なりと云ひて文官も学問をせず、武士の武士くさきは悪しきとて武官も上郎の様になる、責めては文武の差別を知らせたきこと也、
書き下し
当時は役儀に文武あることを知らず、大坂御城代御番頭諸物頭舟手などは武役なり、其の外の御役人は老中より以下皆文官なり、当時は何れも武家なりと云ひて文官も学問をせず、武士の武士くさきは悪しきとて武官も上郎の様になる、責めては文武の差別を知らせたきこと也、
現代語訳
今は役目に文武の別があることを知らない。大坂城代・番頭・諸物頭・船手などは武官の役である。そのほかの役人は、老中以下皆文官である。今はどれも武家だと言って、文官も学問をしない。武士が武士くさいのは悪いと言って、武官も公家のようになっている。せめて文武の別を知らせたいものである。
解説
短い一章だが、徂徠の制度論の要点が凝縮されている。武家政権の役職を、軍事を担う武官と、行政を担う文官に分けて考えよというのである。皆が「武家」だという建前のために、文官は学問をせず、武官は武張るのを嫌って軟弱になる。役割の性格を見極めずに同じ物差しで人を扱えば、どちらの専門性も育たない。現代の組織でも、管理部門と現場部門、企画と実行では、求める能力も育て方も違う。職務の性格を言葉にして区別することが、人材育成の出発点になる。
この章句が説くこと
文武役割学問人材職務政談
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