政談 / 諸役人に器量を選ふ事
後の世は瑣細なる氣遣ひ强くして大なる益あることを知らず、是御器量の各別に違ひ玉へる所也、申すも愚かなる御ことなれとも、東照宮の御ことには感し奉る御こと多し、惣して人を御前へ召し玉ふに、加判の面々より諸番頭諸物頭諸役人も出つる、又輕き番衆なども皆不時に召され、或は御政務御用の筋を仰せ談せらるゝこともあり、或は其の者の先祖のことなど仰せらるゝこともあり、或ひは御酒を飮ませ、或は御庭の石を直させ御覽あることもあり、或は御なぶりなされて引き込む者もあり、何も取りさだめず埓もなきやうの御ことなりと承はる、最初御小身より天下を知し召したる故、御行儀は兎角あそばされすと舌の長きまゝに評判するものもあれとも、只神應の奧深くましますことを感し奉るなり、重立ちたる御役人ばかりを召して御用の筋計りを仰せ談せられて事すむべきことなれとも、御存しあるまじき筋の儀を仰出さるゝ事あるとき、御前へ出づる人極まるときは是誰が申し上げたるらんと云ふこと大方推量もなるものなる故、斯る御ことゝ存し奉るなり、其の上末のものまでも御旗本の面々なづき奉りしことは斯る御こと故一入なるべしと存し奉るなり、
新字:後の世は瑣細なる気遣ひ強くして大なる益あることを知らず、是御器量の各別に違ひ玉へる所也、申すも愚かなる御ことなれとも、東照宮の御ことには感し奉る御こと多し、惣して人を御前へ召し玉ふに、加判の面々より諸番頭諸物頭諸役人も出つる、又軽き番衆なども皆不時に召され、或は御政務御用の筋を仰せ談せらるゝこともあり、或は其の者の先祖のことなど仰せらるゝこともあり、或ひは御酒を飲ませ、或は御庭の石を直させ御覧あることもあり、或は御なぶりなされて引き込む者もあり、何も取りさだめず埓もなきやうの御ことなりと承はる、最初御小身より天下を知し召したる故、御行儀は兎角あそばされすと舌の長きまゝに評判するものもあれとも、只神応の奥深くましますことを感し奉るなり、重立ちたる御役人ばかりを召して御用の筋計りを仰せ談せられて事すむべきことなれとも、御存しあるまじき筋の儀を仰出さるゝ事あるとき、御前へ出づる人極まるときは是誰が申し上げたるらんと云ふこと大方推量もなるものなる故、斯る御ことゝ存し奉るなり、其の上末のものまでも御旗本の面々なづき奉りしことは斯る御こと故一入なるべしと存し奉るなり、
書き下し
後の世は瑣細なる気遣ひ強くして大なる益あることを知らず、是御器量の各別に違ひ玉へる所也、申すも愚かなる御ことなれとも、東照宮の御ことには感し奉る御こと多し、惣して人を御前へ召し玉ふに、加判の面々より諸番頭諸物頭諸役人も出つる、又軽き番衆なども皆不時に召され、或は御政務御用の筋を仰せ談せらるゝこともあり、或は其の者の先祖のことなど仰せらるゝこともあり、或ひは御酒を飲ませ、或は御庭の石を直させ御覧あることもあり、或は御なぶりなされて引き込む者もあり、何も取りさだめず埓もなきやうの御ことなりと承はる、最初御小身より天下を知し召したる故、御行儀は兎角あそばされすと舌の長きまゝに評判するものもあれとも、只神応の奥深くましますことを感し奉るなり、重立ちたる御役人ばかりを召して御用の筋計りを仰せ談せられて事すむべきことなれとも、御存しあるまじき筋の儀を仰出さるゝ事あるとき、御前へ出づる人極まるときは是誰が申し上げたるらんと云ふこと大方推量もなるものなる故、斯る御ことゝ存し奉るなり、其の上末のものまでも御旗本の面々なづき奉りしことは斯る御こと故一入なるべしと存し奉るなり、
現代語訳
後の世は瑣細な気遣いが強くて、大きな益があることを知らない。これは御器量が格別に違っておられたところである。申すのも愚かなことであるが、東照宮のなさったことには感じ入ることが多い。総じて人を御前へお召しになるのに、加判の面々(老中)から諸番頭・諸物頭・諸役人も出る。また軽い番衆なども皆不意に召され、あるいは御政務・御用の筋を仰せ相談なさることもあり、あるいはその者の先祖のことなどをおっしゃることもあり、あるいは御酒を飲ませ、あるいは御庭の石を直させて御覧になることもあり、あるいはおからかいになって引き込む者もあり、何も取り決めず、とりとめもないようなことであったと承っている。最初御小身から天下をお治めになったので、御行儀はとかくなさらないと、口さがなく評判する者もあるけれども、ただ神慮の奥深くいらっしゃることに感じ入るのである。主立った御役人ばかりを召して御用の筋だけを仰せ相談なさって事は済むはずであるが、ご存じのはずのない筋のことを仰せ出されることがあるとき、御前へ出る人が決まっていれば、これは誰が申し上げたのだろうと大方推量もできるものであるから、このようになさったのだと存じ上げる。そのうえ末の者まで御旗本の面々がなつき申し上げたのは、このようなことであったからひとしおであったろうと存じ上げる。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第十三又武略なうして不叶敵三所あり、先づ一番に大敵二番にみかたの大将より敵の大将覚ゑなうして大身なるに、武略然るべし、其子細はおほへの人が覚えなき人に対々にもすれば、前の覚ゑを無にして敵方へ名をとらする、まして負くれば勿体なし、此理をもつて武略尤もなり、三番に强敵は殊更みかたへ行て聞き度事なれば、是れによつての武略なり、武略には見たる斗りも首尾とこのはず、きいたばかりもあやうし、其品々に心つけること肝要なり、扨てこそ上杉家の本間·井又をは近国迄響きわたり、信玄公十六歳にて聞き給ひ、両人を絵にかきくも我内の者ともに拝せんと被仰ける由々、甘利備守度々雑談申され候、就中此次ぎからして能くよみわけ給へ、
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『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
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『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
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尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
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