政談 / 諸役人に器量を選ふ事
惣して劔術馬術戰ひの上にても全躰にはまる所に妙用發し、かたきの打つ太刀のまに入りて眞術になる所にて敵に勝つも是也、某幼少より文章を好みて書くに昔書きたる文章をあとから見れは、偖も我ながら能く書きたることかな、如何にして斯くは書きたると思ふ文章あり、是れ全躰にはまりたる時とはまらぬ時とは違ふ故なり、人の才智はいつも同しことなれとも、其の事にはまらねは其の人の才智の全躰にならぬ故、其の才智十分に現はれぬなり、能く此事にはまりて見れは全躰になる故、才智の全く出現する、此妙所はわざをせぬ人は知らぬことなり、斯の如き道理にて人を知る道は矢張人を使ふ所にあり、毛頭我か使ひやうのよきにて其人に才智生するには非す、古より歷史を考ふるに善き人の中頃より變して惡しくなることあり、何の才智もなきやうさる人、使ひやふにて才智現はれ出るたぐひ極めて多し、大將たる人の職分は全く此の所に止まる、近ごろ甲州の板垣信賢か誰も見よの歌にて忽ちに惡しく成りたるも此たぐひなり、
新字:惣して剣術馬術戦ひの上にても全体にはまる所に妙用発し、かたきの打つ太刀のまに入りて真術になる所にて敵に勝つも是也、某幼少より文章を好みて書くに昔書きたる文章をあとから見れは、偖も我ながら能く書きたることかな、如何にして斯くは書きたると思ふ文章あり、是れ全体にはまりたる時とはまらぬ時とは違ふ故なり、人の才智はいつも同しことなれとも、其の事にはまらねは其の人の才智の全体にならぬ故、其の才智十分に現はれぬなり、能く此事にはまりて見れは全体になる故、才智の全く出現する、此妙所はわざをせぬ人は知らぬことなり、斯の如き道理にて人を知る道は矢張人を使ふ所にあり、毛頭我か使ひやうのよきにて其人に才智生するには非す、古より歴史を考ふるに善き人の中頃より変して悪しくなることあり、何の才智もなきやうさる人、使ひやふにて才智現はれ出るたぐひ極めて多し、大将たる人の職分は全く此の所に止まる、近ごろ甲州の板垣信賢か誰も見よの歌にて忽ちに悪しく成りたるも此たぐひなり、
書き下し
惣して剣術馬術戦ひの上にても全体にはまる所に妙用発し、かたきの打つ太刀のまに入りて真術になる所にて敵に勝つも是也、某幼少より文章を好みて書くに昔書きたる文章をあとから見れは、偖も我ながら能く書きたることかな、如何にして斯くは書きたると思ふ文章あり、是れ全体にはまりたる時とはまらぬ時とは違ふ故なり、人の才智はいつも同しことなれとも、其の事にはまらねは其の人の才智の全体にならぬ故、其の才智十分に現はれぬなり、能く此事にはまりて見れは全体になる故、才智の全く出現する、此妙所はわざをせぬ人は知らぬことなり、斯の如き道理にて人を知る道は矢張人を使ふ所にあり、毛頭我か使ひやうのよきにて其人に才智生するには非す、古より歴史を考ふるに善き人の中頃より変して悪しくなることあり、何の才智もなきやうさる人、使ひやふにて才智現はれ出るたぐひ極めて多し、大将たる人の職分は全く此の所に止まる、近ごろ甲州の板垣信賢か誰も見よの歌にて忽ちに悪しく成りたるも此たぐひなり、
現代語訳
総じて剣術・馬術・戦いの上でも、全体(身も心も)がはまるところに妙用が発し、敵の打つ太刀の間に入って真の術となるところで敵に勝つのもこれである。私は幼少から文章を好んで書いてきたが、昔書いた文章を後から見ると、さても我ながらよく書いたものだ、どうしてこう書けたのかと思う文章がある。これは全体がはまった時とはまらない時とは違うからである。人の才智はいつも同じであるけれども、その事にはまらなければその人の才智が全体にならないので、その才智は十分に現れないのである。よくその事にはまってみれば全体になるので、才智がすっかり現れる。この妙所は、技を行わない人にはわからないことである。このような道理であるから、人を知る道はやはり人を使うところにある。少しも自分の使い方がよいからその人に才智が生じるのではない。昔から歴史を考えると、善い人が中頃から変わって悪くなることがあり、何の才智もないような人が、使い方によって才智が現れ出る類いは極めて多い。大将たる人の職分はまったくこの所にとどまる。近頃、甲州の板垣信賢(底本のまま)が「誰も見よ」の歌でたちまち悪くなったのもこの類いである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
-
『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
-
尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
-
『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
-
『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
-
『甲陽軍鑑』品第十一一年前代駿河にて今川義元公の時、山本勘介三河国牛くほより今川殿へ奉公の望に参るといへども、彼山本勘介散々夫男にて、其上一眼指も不叶、足はちんばなり、然れども大剛の者なれば義元公へめしおかるゝ様にと広原勘介が宿成る故、おとなの朝比奈兵衛の尉をもつて申上げるは、彼の山本勘介大剛の者なり、殊更城とり陣取り一切の軍法を能く鍛練いたす、京流の兵法も上手なり、軍配をも存知仕つりたる者なりと申せとも、義元公かこへましまさず、駿河にてモヽ味の人の取りがといの山形は第一片輪者数取り服なり其法は其最を人数もとたずして何とて左様の義存ぜん、今川殿へ奉公に出て度きとて虚言を云ふなりと各申すにより、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る