政談 / 御徒士衆與力を頭の心儘に入るゝ事並に御旗本諸役人に召出さるゝ事
太平久しく經れは能き人は下より出てゝ、上の人は愚かになり行くことは如何樣なることなれは、惣して人の才智は樣々の難義困究をするより出來るものなり、惣して人の身は使ふ處逞しくなるものにて、手を使ふ時は腕强くなり、足を使へは足强く成り、弓鐵砲ねらひを仕ふ、夫は目强くなり、心を使へは心に才智生す、難義困究に樣々會ふときは樣々にもまれて才智逞しくなる、是れ自然の道理なり、故に孟子には天より大任を此の人に下すへしと思召す時は、先つ樣々の難義をさすると云ことあり、殊に下にても之て出來たる才智故、下のことに能く通達して國の治めに最も宜しきなり、
新字:太平久しく経れは能き人は下より出てゝ、上の人は愚かになり行くことは如何様なることなれは、惣して人の才智は様々の難義困究をするより出来るものなり、惣して人の身は使ふ処逞しくなるものにて、手を使ふ時は腕強くなり、足を使へは足強く成り、弓鉄砲ねらひを仕ふ、夫は目強くなり、心を使へは心に才智生す、難義困究に様々会ふときは様々にもまれて才智逞しくなる、是れ自然の道理なり、故に孟子には天より大任を此の人に下すへしと思召す時は、先つ様々の難義をさすると云ことあり、殊に下にても之て出来たる才智故、下のことに能く通達して国の治めに最も宜しきなり、
書き下し
太平久しく経れは能き人は下より出てゝ、上の人は愚かになり行くことは如何様なることなれは、惣して人の才智は様々の難義困究をするより出来るものなり、惣して人の身は使ふ処逞しくなるものにて、手を使ふ時は腕強くなり、足を使へは足強く成り、弓鉄砲ねらひを仕ふ、夫は目強くなり、心を使へは心に才智生す、難義困究に様々会ふときは様々にもまれて才智逞しくなる、是れ自然の道理なり、故に孟子には天より大任を此の人に下すへしと思召す時は、先つ様々の難義をさすると云ことあり、殊に下にても之て出来たる才智故、下のことに能く通達して国の治めに最も宜しきなり、
現代語訳
太平が久しく続くと、良い人は下から出て、上の人は愚かになっていくのはどういうわけかといえば、総じて人の才知はさまざまな難儀や困窮をすることから生まれるものである。総じて人の身は使うところがたくましくなるもので、手を使えば腕が強くなり、足を使えば足が強くなり、弓や鉄砲で狙いをつけることをすれば目が強くなり、心を使えば心に才知が生じる。難儀や困窮にさまざまに会えば、さまざまにもまれて才知がたくましくなる。これは自然の道理である。だから『孟子』には、天が大任をこの人に下そうとお思いになるときは、まずさまざまな難儀をさせるということがある。ことに下の境遇で身についた才知であるから、下のことによく通じていて、国の治めに最もよいのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
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尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
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『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
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『甲陽軍鑑』品第十一一年前代駿河にて今川義元公の時、山本勘介三河国牛くほより今川殿へ奉公の望に参るといへども、彼山本勘介散々夫男にて、其上一眼指も不叶、足はちんばなり、然れども大剛の者なれば義元公へめしおかるゝ様にと広原勘介が宿成る故、おとなの朝比奈兵衛の尉をもつて申上げるは、彼の山本勘介大剛の者なり、殊更城とり陣取り一切の軍法を能く鍛練いたす、京流の兵法も上手なり、軍配をも存知仕つりたる者なりと申せとも、義元公かこへましまさず、駿河にてモヽ味の人の取りがといの山形は第一片輪者数取り服なり其法は其最を人数もとたずして何とて左様の義存ぜん、今川殿へ奉公に出て度きとて虚言を云ふなりと各申すにより、
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