政談 / 御徒士衆與力を頭の心儘に入るゝ事並に御旗本諸役人に召出さるゝ事
右の道理なる故古の堯舜禹湯文武の子孫も今は絕え失せて跡方も無し、日本の昔賴朝尊氏のあとも今はなし、其外名ある家も皆な失せ果て、今の大名と云は皆そのかみ輕き人なるか、軍功によりて今は上に昇る、夫も當時は大方、正統にてつきたる大名は稀なり、然かるに何時まても上は上、下は下と家筋を定めてくちにかゝへをかんとするときは、上にある大身ものは消失すへき時節にもはかなくなるをかゝへとむる故天地の道理に背き、才智の人上になく成ては世の末になりて亂世になり、下たるもの皆智の人出てゝ代をくつかへす、聖人は此の道理を能く知し召して代の長久ならんために賞罰の法を立てゝ、下たるものゝ才智ある立身をさせ取り立てゝ、上たるものゝ實子なくて滅亡すへきと、惡事ありて滅亡すへきは天心に任せて之を亡ほし、斯の如くなれは賢者はいつも上にありて、愚者はいつも下にある故、天地の道理に叶ひて代の傳はること長久なり、このかね合ひを知らさるときは天地人の全體の道理に通達せぬ故に、天心にかなはす眞の治めにあらすと知るへし、
新字:右の道理なる故古の堯舜禹湯文武の子孫も今は絶え失せて跡方も無し、日本の昔頼朝尊氏のあとも今はなし、其外名ある家も皆な失せ果て、今の大名と云は皆そのかみ軽き人なるか、軍功によりて今は上に昇る、夫も当時は大方、正統にてつきたる大名は稀なり、然かるに何時まても上は上、下は下と家筋を定めてくちにかゝへをかんとするときは、上にある大身ものは消失すへき時節にもはかなくなるをかゝへとむる故天地の道理に背き、才智の人上になく成ては世の末になりて乱世になり、下たるもの皆智の人出てゝ代をくつかへす、聖人は此の道理を能く知し召して代の長久ならんために賞罰の法を立てゝ、下たるものゝ才智ある立身をさせ取り立てゝ、上たるものゝ実子なくて滅亡すへきと、悪事ありて滅亡すへきは天心に任せて之を亡ほし、斯の如くなれは賢者はいつも上にありて、愚者はいつも下にある故、天地の道理に叶ひて代の伝はること長久なり、このかね合ひを知らさるときは天地人の全体の道理に通達せぬ故に、天心にかなはす真の治めにあらすと知るへし、
書き下し
右の道理なる故古の堯舜禹湯文武の子孫も今は絶え失せて跡方も無し、日本の昔頼朝尊氏のあとも今はなし、其外名ある家も皆な失せ果て、今の大名と云は皆そのかみ軽き人なるか、軍功によりて今は上に昇る、夫も当時は大方、正統にてつきたる大名は稀なり、然かるに何時まても上は上、下は下と家筋を定めてくちにかゝへをかんとするときは、上にある大身ものは消失すへき時節にもはかなくなるをかゝへとむる故天地の道理に背き、才智の人上になく成ては世の末になりて乱世になり、下たるもの皆智の人出てゝ代をくつかへす、聖人は此の道理を能く知し召して代の長久ならんために賞罰の法を立てゝ、下たるものゝ才智ある立身をさせ取り立てゝ、上たるものゝ実子なくて滅亡すへきと、悪事ありて滅亡すへきは天心に任せて之を亡ほし、斯の如くなれは賢者はいつも上にありて、愚者はいつも下にある故、天地の道理に叶ひて代の伝はること長久なり、このかね合ひを知らさるときは天地人の全体の道理に通達せぬ故に、天心にかなはす真の治めにあらすと知るへし、
現代語訳
右の道理であるから、古の堯・舜・禹・湯・文・武の子孫も今は絶え失せて跡形もない。日本の昔の頼朝や尊氏の跡も今はない。そのほか名のある家もみな失せ果て、今の大名というのはみな、その昔は軽い身分の人であったのが、軍功によって今は上に昇ったのである。それも今では、たいてい正統で家を継いだ大名はまれである。それなのに、いつまでも上は上、下は下と家筋を定めて、むやみに抱えておこうとするときは、上にいる大身の者が消え失せるべき時節にも、はかなくなるのを抱えとどめるので、天地の道理に背き、才知の人が上にいなくなっては世の末となって乱世になり、下の者の中から知恵ある人が出て世をくつがえす。聖人はこの道理をよくご存じで、世が長く続くように賞罰の法を立て、下の者で才知ある者を出世させて取り立て、上の者で実子がなく滅ぶべき者や、悪事があって滅ぶべき者は天の心に任せてこれを滅ぼす。このようにすれば賢者はいつも上にいて、愚者はいつも下にいるので、天地の道理に適い、世が長く伝わるのである。この兼ね合いを知らないときは、天地人の全体の道理に通じないので、天の心に適わず、真の治めではないと知るべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・知分⑤白圭、鄒の公子夏后啓に問いて曰く、「踐繩の節、四上の志、三晉の事、此れ天下のなり。晉に處るを以て、迭々晉の事を聞けども、未だ嘗て踐繩の節、四上之の志を聞かず。願わくは得て之を聞かん。」夏后啓曰く、「鄙人なり。焉ぞ以て問うに足らん。」白圭曰く、「願わくは公子の讓る毋からんことを。」夏后啓曰く、「以て為す可しと為す。故に之を為す。之を為すは、天下も禁ずること能わず。以て為す可からずと為す。故に之を釋つ。之を釋つるは、天下も使しむること能わず。」白圭曰く、「利も使しむること能わざるか。威も禁ずること能わざるか。」夏后啓曰く、「生も以て之を使しむるに足らざれば、則ち利曷ぞ以て之を使しむるに足らん。死も以て之を禁ずるに足らざれば、則ち害曷ぞ以て之を禁ずるに足らん。」白圭以て應うる無し。夏后啓辭して出づ。凡そ賢不肖を使うは異なり。不肖を使うには賞罰を以てし、賢を使うには義を以てす。故に賢主の其の下を使うや必ず義にし、賞罰を審らかにし、然る後賢不肖盡く用を為す。
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『五常訓』巻之五・信一賞罰は、必信にすと云ふは、功ある人をば、必恩賞をあたへ、罪ある者をば、必刑罰に行はんと、兼ねて人に示すは法なり。賞罰は人君の権なり。是なければ、善すすまず、悪こりず。君の権威を失へるなり。功あれども賞せず、罪あれども罰せざれば、是民に信なきなり。如此なれば、法やぶれて、民信ぜず。善をするに怠りてつとめず、悪をする事をおそれずして、罰ををかす者多し。かく法たたざれば、国あやふし。又尚書に、令出ては、これ行はしめ、背かしめざれといへり。いふ意は、法を出さば、初よく思案し、僉議して、後までやぶれなき法を立つべし。一たび下知を出して、法をたてば、後まで其法を行はしめて、背かしむる事なかれ。そむく者は必つみに行ふべし。如此なれば、いつまでも、法立ちてやぶれず。一たび下知を出して、後まで変ぜざるは、是信なり。もし後まで立ちがたき法ならば、初によく議論して、法を立つべからず。是始を慎むなり。若下知して後変ぜば、是上に信なくして、民信ぜず。君に権なくして、法たたず。
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『講孟余話』離婁下 第十七章此の章深く賢を蔽ふを悪む。賢を蔽ふとは、身大臣執政と成りて、下に賢者あるを知りながら抜用せざるの類を云ふ。賢を見て挙ぐること能はず、挙げて先にすること能はざるの義なり。賢を蔽ふすら孟子は深く悪んで不祥の実とす。況んや賢を嫉みて是れを陥るる如きは、孟子是れを如何とか云はん。然れども人私心を挟んで事を処する時は、忠勤の人にても或は己が愛憎を以てし、或は意見の異同を以て、賢を蔽ひ賢を陥るること、古今往々あることなり。慎むべし、戒むべし。
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『政談』御徒士衆與力を頭の心儘に入るゝ事並に御旗本諸役人に召出さるゝ事是れ人君賞罰の権と云ふものにて、強ちに善人をは残らす賞し、悪人をは残らす罰するには非す、一人を賞すれは千万人喜ひ、一人を罰すれは千万人恐るゝにて、世界生きかへりて人々の励み生し、世の風俗も上の御心儘にとをることなり、すぐれて善き賢才とすぐれて悪しき人とは各別のこと、其の外の人は何れも同様なる人にて、唯た上に立ちたる人の誘ひによりて風儀つれて善くも悪しくもなる事なり、是は人を生して使ふと殺して使ふとの差別なり、
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史記 魏世家昭公卒して六卿彊く、公室卑し。晋の頃公の十二年、韓宣子老し、魏献子国政を為す。晋の宗室の祁氏・羊舌氏相悪む。六卿之を誅し、尽く其の邑を取りて十県と為し、六卿各々其の子をして之が大夫と為らしむ。献子、趙簡子・中行文子・范献子と并びに晋の卿為り。其の後十四歳にして孔子魯に相たり。後四歳、趙簡子晋陽の乱を以て、韓・魏と共に范・中行氏を攻む。魏献子、魏侈を生む。魏侈、趙鞅と共に范・中行氏を攻む。魏侈の孫を魏桓子と曰ふ。韓康子・趙襄子と共に知伯を伐ち滅ぼし、其の地を分つ。桓子の孫を文侯都と曰ふ。魏の文侯の元年は、秦の霊公の元年なり。韓の武子・趙の桓子・周の威王と時を同じくす。六年、少梁に城く。十三年、子撃をして繁・龐を囲ましめ、其の民を出だす。十六年、秦を伐ち、臨晋・元裏に築く。十七年、中山を伐ち、子撃をして之を守らしめ、趙倉唐之に傅たり。子撃、文侯の師田子方に朝歌に逢ひ、車を引きて避け、下りて謁す。田子方礼を為さず。子撃因りて問ひて曰く、『富貴なる者人に驕るか。且つ貧賤なる者人に驕るか』と。子方曰く、『亦貧賤なる者人に驕るのみ。夫れ諸侯にして人に驕れば則ち其の国を失ひ、大夫にして人に驕れば則ち其の家を失ふ。貧賤なる者は、行ひ合はず、言用ひられずんば、則ち去りて楚・越に之くこと、屣を脱ぐが若く然り。奈何ぞ其れ之を同じくせんや』と。子撃懌ばずして去る。西のかた秦を攻め、鄭に至りて還り、雒陰・合陽に築く。廿二年、魏・趙・韓列して諸侯と為る。廿四年、秦我を伐ち、陽狐に至る。廿五年、子撃子罃を生む。
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孟子・離婁章句下其の間、寸を以てすること能はず。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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