政談 / 御徒士衆與力を頭の心儘に入るゝ事並に御旗本諸役人に召出さるゝ事
御徒士衆與力を頭の心儘に入るゝこと故悉く金の沙汰に成りて、町人百姓又は小普請手代是なる金にて與力に成り居るを、又金を出して御番衆の養子にする中經にするたくひ當時は甚た多し、此等は戰塲を務むるものなれは箇樣には有るましきこと也、御徒士は元來御譜第也、御徒士よりは立身もしたる輩多し、久世三四郞なと御徒士より出たり、御先々前御代の時身上ならすとて申含せ、御願ひ申し出てたるより御譜第にては無きになりて、請狀にて組に入るゝことあるましきことなり、公儀にて人を召し使はるゝに請狀と云ふことは如何なることそや、日本國中は御國なり、何事も仰せ付けられ次第の事なり、餘りに御役人の不學なるより斯の如くの事起れり、
新字:御徒士衆与力を頭の心儘に入るゝこと故悉く金の沙汰に成りて、町人百姓又は小普請手代是なる金にて与力に成り居るを、又金を出して御番衆の養子にする中経にするたくひ当時は甚た多し、此等は戦塲を務むるものなれは箇様には有るましきこと也、御徒士は元来御譜第也、御徒士よりは立身もしたる輩多し、久世三四郎なと御徒士より出たり、御先々前御代の時身上ならすとて申含せ、御願ひ申し出てたるより御譜第にては無きになりて、請状にて組に入るゝことあるましきことなり、公儀にて人を召し使はるゝに請状と云ふことは如何なることそや、日本国中は御国なり、何事も仰せ付けられ次第の事なり、余りに御役人の不学なるより斯の如くの事起れり、
書き下し
御徒士衆与力を頭の心儘に入るゝこと故悉く金の沙汰に成りて、町人百姓又は小普請手代是なる金にて与力に成り居るを、又金を出して御番衆の養子にする中経にするたくひ当時は甚た多し、此等は戦塲を務むるものなれは箇様には有るましきこと也、御徒士は元来御譜第也、御徒士よりは立身もしたる輩多し、久世三四郎なと御徒士より出たり、御先々前御代の時身上ならすとて申含せ、御願ひ申し出てたるより御譜第にては無きになりて、請状にて組に入るゝことあるましきことなり、公儀にて人を召し使はるゝに請状と云ふことは如何なることそや、日本国中は御国なり、何事も仰せ付けられ次第の事なり、余りに御役人の不学なるより斯の如くの事起れり、
現代語訳
御徒士衆や与力を、頭の思うままに組に入れるので、ことごとく金のやりとりになり、町人や百姓、また小普請の手代がその金で与力になっているのを、さらに金を出して御番衆の養子にする中継ぎにする類いが、今ははなはだ多い。これらは戦場を務める者であるから、このようなことがあってはならない。御徒士はもともと御譜代である。御徒士から出世した者も多い。久世三四郎なども御徒士から出た。御先々前代(数代前の将軍)の時に、暮らしが立たないからと言い含めて願い出させたことから、御譜代ではないことになって、請状(身元保証書)で組に入れるようになったが、これはあってはならないことである。公儀が人を召し使われるのに請状というのはどういうことか。日本国中は将軍の御国である。何事も仰せ付けられ次第のことである。あまりに御役人が学問をしないので、このようなことが起こったのである。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第十一一年前代駿河にて今川義元公の時、山本勘介三河国牛くほより今川殿へ奉公の望に参るといへども、彼山本勘介散々夫男にて、其上一眼指も不叶、足はちんばなり、然れども大剛の者なれば義元公へめしおかるゝ様にと広原勘介が宿成る故、おとなの朝比奈兵衛の尉をもつて申上げるは、彼の山本勘介大剛の者なり、殊更城とり陣取り一切の軍法を能く鍛練いたす、京流の兵法も上手なり、軍配をも存知仕つりたる者なりと申せとも、義元公かこへましまさず、駿河にてモヽ味の人の取りがといの山形は第一片輪者数取り服なり其法は其最を人数もとたずして何とて左様の義存ぜん、今川殿へ奉公に出て度きとて虚言を云ふなりと各申すにより、
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『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
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『政談』諸役人に器量を選ふ事されば人を知ると云ふは如何様にして知るかと云ふに、其の人を一日廻り居たれはとて其人の器量は知れぬことなり、然かるに愚かなる人は大将の目かねと云ひて、名将は一目見ても器量ある人を知るなとゝ云ふやうにて褒むるなり、夫を愚かなる人は真と心得、己れの眼力にて器量ある人を見出さんとす、ト者か神道にあらすんは知れぬ事なり、其の仔細は人になし、ちか身の器量如何なることに得手なりや、譬へはさむらい大将ならは昔甲州にて名を得たる馬塲美濃かやうなりや、内藤修理かやうなりや、山県三郎兵衛かやうなりや、高坂弾正左衛門かやうなりや、古漢の代の季慮かやうなりや、程不識かやうなるかと問はんとき、其の人己れか自身の器量を自身とさけすみて見んに全く知れまじ、其の仔細は如何なることぞと云ふに、ついにいりなと云ふものをして見ねは自身にても知れぬなり、自身にてさへ知られぬことを外より見て知るべきやう曽て之なき事なり、
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『家道訓』巻之二・総論中一奴婢は、才力ありて質実なるこそねがはしけれど、かかる者はまれなり。才弁にして利口なる者は、多くはまことすくなくして、主をあざむき、かだましき事を行ふ。家主たる人、もし是を喜びて家事をまかせては、必ず大なる禍となる。才徳二ながら得がたければ、才鈍くとも質実なるを好むべし。鈍くしてはかゆかざれども、質実なれば、主人の教にしたがひやすく、後の禍なし。
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『新書』大政下世として聖無きは無きも、或いは知るを得ざるなり。国として士無きは無きも、或いは得る能わざるなり。故に世は未だ嘗て聖無きにあらざるなり、而れども聖は聖王を得ざれば則ち起たず。国は未だ嘗て士無きにあらざるなり、君子を得ざれば則ち助けず。上聖明なれば則ち士は闇飾す。故に聖王上位に在れば、則ち士は百里にして一人有るも、則ち猶お有ること無きがごとし。故に王者衰うれば、則ち士は没す。故に暴乱位に上れば、則ち千里にして一人有るも、則ち猶お肩を比ぶるがごとし。故に国は不幸にして明君無き者有り。君明なれば、則ち国に不幸にして賢士無き者無し。故に古より今に至るまで、沢に水無き有るも、国に士無き無し。故に士は得易くして求め難く、致し易くして留め難きなり。故に士を求めて道を以てせざれば、境内を周徧するも一人を得ること能わず。故に士を求めて道を以てすれば、則ち国中に多く之有り。此れを士は得易くして求め難しと謂うなり。故に士を待するに敬を以てすれば、則ち士は必ず居る。士を待するに道を以てせざれば、則ち士は必ず去る。此れを士は致し易くして留め難しと謂うなり。
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
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