政談 / 代官と云ふ役の事
此の以前天草陣のとき肥後の川尻と云船付きにて細川越中守藏あり、その所の代官を川北九太夫と云ふ、物を心得たるものにて、平生地鐵炮の數をしらへ置き、はまへの間數をつもり置きたり、天草に一揆出て沙汰すると否や濱邊に一間に一本つゝ拭を打せ、一本々々に火繩を挾み、三間に一提つゝ鐵炮を配り、夜もすから鐵炮を打せたり、一揆とも籠城支度に川尻の米をとらんとて半途まて兵船を押し出たしたれとも、火繩の夥しく見え鐵炮の音しける故熊本の軍兵早川尻を堅めあると心得半途より引かへしたると、後にいけとりのものかたりけると云ふことを承はる、そのとき川尻の米を切り取たらは、天草の兵粮澤山になりて、城たやすく落ましけれは、川北か仕方主人の爲天下のためすくれたる勳功なり、されとも其時分もかやうなることは功に立たす、川北後に城攻のとき一番乘をしたる故千石になりたるなり、されは代官は武備をそなへすしては叶はさることなり、勘定のかたはかりを地方奉行の下知を得、役儀の仔細は御老中か若老中なとの直支配にして、重き役に定めたき事なり、
新字:此の以前天草陣のとき肥後の川尻と云船付きにて細川越中守蔵あり、その所の代官を川北九太夫と云ふ、物を心得たるものにて、平生地鉄炮の数をしらへ置き、はまへの間数をつもり置きたり、天草に一揆出て沙汰すると否や浜辺に一間に一本つゝ拭を打せ、一本々々に火縄を挟み、三間に一提つゝ鉄炮を配り、夜もすから鉄炮を打せたり、一揆とも籠城支度に川尻の米をとらんとて半途まて兵船を押し出たしたれとも、火縄の夥しく見え鉄炮の音しける故熊本の軍兵早川尻を堅めあると心得半途より引かへしたると、後にいけとりのものかたりけると云ふことを承はる、そのとき川尻の米を切り取たらは、天草の兵粮沢山になりて、城たやすく落ましけれは、川北か仕方主人の為天下のためすくれたる勲功なり、されとも其時分もかやうなることは功に立たす、川北後に城攻のとき一番乗をしたる故千石になりたるなり、されは代官は武備をそなへすしては叶はさることなり、勘定のかたはかりを地方奉行の下知を得、役儀の仔細は御老中か若老中なとの直支配にして、重き役に定めたき事なり、
書き下し
此の以前天草陣のとき肥後の川尻と云船付きにて細川越中守蔵あり、その所の代官を川北九太夫と云ふ、物を心得たるものにて、平生地鉄炮の数をしらへ置き、はまへの間数をつもり置きたり、天草に一揆出て沙汰すると否や浜辺に一間に一本つゝ拭を打せ、一本々々に火縄を挟み、三間に一提つゝ鉄炮を配り、夜もすから鉄炮を打せたり、一揆とも籠城支度に川尻の米をとらんとて半途まて兵船を押し出たしたれとも、火縄の夥しく見え鉄炮の音しける故熊本の軍兵早川尻を堅めあると心得半途より引かへしたると、後にいけとりのものかたりけると云ふことを承はる、そのとき川尻の米を切り取たらは、天草の兵粮沢山になりて、城たやすく落ましけれは、川北か仕方主人の為天下のためすくれたる勲功なり、されとも其時分もかやうなることは功に立たす、川北後に城攻のとき一番乗をしたる故千石になりたるなり、されは代官は武備をそなへすしては叶はさることなり、勘定のかたはかりを地方奉行の下知を得、役儀の仔細は御老中か若老中なとの直支配にして、重き役に定めたき事なり、
現代語訳
以前、天草の陣(島原・天草一揆)のとき、肥後の川尻という船着き場に細川越中守の蔵があった。その土地の代官を川北九太夫という。物事をわきまえた者で、平生から地鉄砲(土地の者が持つ鉄砲)の数を調べておき、浜辺の間数を測っておいた。天草に一揆が起こったと聞くやいなや、浜辺に一間ごとに一本ずつ杭を打たせ、一本一本に火縄を挟み、三間に一挺ずつ鉄砲を配り、夜通し鉄砲を撃たせた。一揆勢は籠城の支度に川尻の米を奪おうと、途中まで兵船を押し出したが、火縄がおびただしく見え、鉄砲の音がしたので、熊本の軍勢がもう川尻を固めていると思い、途中から引き返したと、後に捕虜が語ったということを承っている。そのとき川尻の米を奪われていたら、天草方の兵糧は豊富になって、城はたやすく落ちなかったであろうから、川北のやり方は主君のため、天下のための優れた勲功である。しかしその時分にも、こうしたことは功として認められず、川北は後に城攻めのとき一番乗りをしたので千石になったのである。だから代官は武備を備えなくてはならない。勘定の方面だけは地方奉行の指図を受け、役儀の細かなことは御老中か若老中などの直接の支配として、重い役に定めたいことである。
解説
この章句が説くこと
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一中庸に、凡そ事予めすれば則ち立ち、予めせざれば則ち廃る、言前に定まれば則ち跲かず、事前に定まれば則ち困しまずといへり。予とはかねてと云ふ意、事を前に定むるなり。万事かねて思案して定むれば、事立ちて行はる。さなければ、事すたりて行はれず。物いふにも、かねて先思案していへば、言つまづかず。事を行ふにも、かねて思案して定むれば、事にのぞみて、行きあたり、くるしまず。
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うひ山ぶみ・第六段まことに然あるべきことにて、その学のしなを正し、まなびやうの法をも正して、ゆくさきよこさまなるあしき方に落チざるやう、又其業のはやく成るべきやう、すべて功多かるべきやうを、はじめよりよくしたゝめて、入らまほしきわざ也、
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