政談 / 諸役人器量の選別なる事
御目付は殿中御史の職なり、非法をたゝすを當職とす、法式になれすしては叶はさることなり、當時は御老中若老中のつかひものゝやうになりたるは、若老中に下つかさなき故なり、寺社奉行は寺社のをさめを第一とし、出家社家等に不法なきやうに下知すること當職なるへし、左れは寺社の古實も達せすんはあるへからす、地方は算勘の職別の仔細なし、町奉行は町の治を第一とし、町方に惡人多く出て町中治まらすんは町奉行の越度たるへし、寺社奉行も地方奉行も町奉行も當時は公事を捌くことを重とする故、治めのかたをは誰心付く人なし、治め惡しきときはたれも惡事も上たことなく、公事のことは別に公事奉行を立てゝ法律に通達したる人を用ゆへし、斯の如く御役の筋皆各別にて器量の筋も變り有ることなるに、當時は御老中若老中寺社奉行の外は、皆大方は目付より立身することなる故、何れの役も目付の風なり、又勳階と云ふ事のなき故立身の筋大方極まりて、一役を十年も二十年も一代に勤むるやうにすること成りかたし、役々の器量を相應に撰む筋失行たり、
新字:御目付は殿中御史の職なり、非法をたゝすを当職とす、法式になれすしては叶はさることなり、当時は御老中若老中のつかひものゝやうになりたるは、若老中に下つかさなき故なり、寺社奉行は寺社のをさめを第一とし、出家社家等に不法なきやうに下知すること当職なるへし、左れは寺社の古実も達せすんはあるへからす、地方は算勘の職別の仔細なし、町奉行は町の治を第一とし、町方に悪人多く出て町中治まらすんは町奉行の越度たるへし、寺社奉行も地方奉行も町奉行も当時は公事を捌くことを重とする故、治めのかたをは誰心付く人なし、治め悪しきときはたれも悪事も上たことなく、公事のことは別に公事奉行を立てゝ法律に通達したる人を用ゆへし、斯の如く御役の筋皆各別にて器量の筋も変り有ることなるに、当時は御老中若老中寺社奉行の外は、皆大方は目付より立身することなる故、何れの役も目付の風なり、又勲階と云ふ事のなき故立身の筋大方極まりて、一役を十年も二十年も一代に勤むるやうにすること成りかたし、役々の器量を相応に撰む筋失行たり、
書き下し
御目付は殿中御史の職なり、非法をたゝすを当職とす、法式になれすしては叶はさることなり、当時は御老中若老中のつかひものゝやうになりたるは、若老中に下つかさなき故なり、寺社奉行は寺社のをさめを第一とし、出家社家等に不法なきやうに下知すること当職なるへし、左れは寺社の古実も達せすんはあるへからす、地方は算勘の職別の仔細なし、町奉行は町の治を第一とし、町方に悪人多く出て町中治まらすんは町奉行の越度たるへし、寺社奉行も地方奉行も町奉行も当時は公事を捌くことを重とする故、治めのかたをは誰心付く人なし、治め悪しきときはたれも悪事も上たことなく、公事のことは別に公事奉行を立てゝ法律に通達したる人を用ゆへし、斯の如く御役の筋皆各別にて器量の筋も変り有ることなるに、当時は御老中若老中寺社奉行の外は、皆大方は目付より立身することなる故、何れの役も目付の風なり、又勲階と云ふ事のなき故立身の筋大方極まりて、一役を十年も二十年も一代に勤むるやうにすること成りかたし、役々の器量を相応に撰む筋失行たり、
現代語訳
御目付は殿中の御史(監察官)の職であり、非法を正すのが本来の職務である。法式に通じていなければ務まらない。今は御老中・若老中の使い走りのようになっているが、それは若老中に下役がないためである。寺社奉行は寺社の治めを第一とし、出家・社家などに不法がないよう指図するのが本来の職務である。だから寺社の古い故実にも通じていなければならない。地方(勘定方)は算勘の職で、特に言うべきことはない。町奉行は町の治めを第一とし、町方に悪人が多く出て町中が治まらなければ町奉行の落ち度とすべきである。寺社奉行も地方奉行も町奉行も、今は公事(訴訟)を裁くことを主とするので、治める方面には誰も気づく人がいない。治めが悪くても誰もそれを落ち度として取り上げたことがない。公事のことは別に公事奉行を立てて、法律に通じた人を用いるべきである。このように御役の筋はそれぞれ別で、器量の筋も違いがあるのに、今は御老中・若老中・寺社奉行のほかは、たいていみな目付から出世するので、どの役も目付の気風になっている。また勲階(功績に応じた位階)というものがないので出世の道筋がおおかた決まってしまい、一つの役を十年も二十年も生涯勤めさせるようにはなりにくい。役々の器量をふさわしく選ぶ筋道が失われてしまった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・問學・六合を含むこと一粒の如し學者は只だ是れ氣盈つれば、便ち長進せず。六合を含むこと一粒の如く、之を覓むるも見えず。一粒を六合に吐き、之を出だして窮まらず。大人と謂ふ可し。而して自ら處すること庸人の如く、初めより自ら表異せず。退讓すること空夫の如く、初めより自ら滿足せず。掌を抵ち臂を攘げて世に人無しと視るは、之を善を以て人を服すと謂はば則ち可ならんや。
-
『十善法語』巻第六・不惡口戒秦ノ始皇カ古書ヲ燔キ。儒者ヲ坑ニシ。阿房宮ヲ造営セシ。晋ノ武帝カ羊車ニ乗テ後宮ニ遊ヒシ類。心ノ憍慢ヨリ起ル。実ヲ剋シテ云ハ。ミナ小器量ニ摂ス。若万民ヲ以テ子トセハ。儒者モ邪魔ニハナラヌ。天下ヲ以テ家トセハ。阿房宮ハ狭小ナル造営シヤ。天地陰陽ノ和合ヲ楽ハ。別ニ多人ヲ後宮ニ閉置ニハ及ヌシヤ。誠ノ大丈夫ハ此ニ異ナル所有ヘキシヤ。
-
歎異抄・第十二条たとい自余の教法は勝れたりとも、自らがためには器量及ばざれば、つとめがたし。 我も人も生死を離れんことこそ諸仏の御本意にておわしませば、御妨げあるべからず」とて、にくい気せずは、誰の人かありて仇をなすべきや。
-
『呻吟語』内篇・問學・只だ是れ器度小なり學者の大病痛は、只だ是れ器度小なり。
-
人物志・接識故に一流の人は、能く一流の善を識る。二流の人は、能く二流の美を識る。
-
『酔古堂剣掃』集峭・人に短有るは長を見はす所以作用有る者は、器宇定めて是れ凡ならず、受用有る者は、才情決然として露はれず。夫れ人に短有り、長を見はす所以なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る