政談 / 諸役人職分支配を分つ事
業平天神と云ふは業平と云ふすまうとりの墓に何ものやらん小きほこらを立てたるが、今は在五中將となりたり、小六明神と云ふは小六と云ふ馬かたなり、根津權現と云ふは靑楊院樣御家中にて根津某と云ふ稚きものゝ刑にあひたるか祟るとて小きほこらを立てたるが、後には女中の取扱ひにて今は特の外に結搆になる、此たくひ其數を知らす、某赤木の同心の地を借り住たりしに屋數の內に稻荷のほこらあり、前に借りたる人立てたるなるを夫とは知らす、程なくその地を同心にかへすとき、右の社を某にいつ方へか引けと云ふ、玆に至りて始て前借りたる人の立てたることを知りて毀させたり、某か住みたる家をうそすゑと云ふにして、別人つゝきて居住せは件の社は其まゝあるへし、その內に同心の故老も死失せは此社はいつよりありとも知る人なく、後は如何やうにならんも測り難し、このたぐひ世上に多かるへし、寺社奉行公事訴訟の申出つるばかりを役にして、寺社の治めと云ふ事は之なき故、何事も下の心次第如何なることのあるも知らぬなるへし、
新字:業平天神と云ふは業平と云ふすまうとりの墓に何ものやらん小きほこらを立てたるが、今は在五中将となりたり、小六明神と云ふは小六と云ふ馬かたなり、根津権現と云ふは青楊院様御家中にて根津某と云ふ稚きものゝ刑にあひたるか祟るとて小きほこらを立てたるが、後には女中の取扱ひにて今は特の外に結搆になる、此たくひ其数を知らす、某赤木の同心の地を借り住たりしに屋数の内に稲荷のほこらあり、前に借りたる人立てたるなるを夫とは知らす、程なくその地を同心にかへすとき、右の社を某にいつ方へか引けと云ふ、玆に至りて始て前借りたる人の立てたることを知りて毀させたり、某か住みたる家をうそすゑと云ふにして、別人つゝきて居住せは件の社は其まゝあるへし、その内に同心の故老も死失せは此社はいつよりありとも知る人なく、後は如何やうにならんも測り難し、このたぐひ世上に多かるへし、寺社奉行公事訴訟の申出つるばかりを役にして、寺社の治めと云ふ事は之なき故、何事も下の心次第如何なることのあるも知らぬなるへし、
書き下し
業平天神と云ふは業平と云ふすまうとりの墓に何ものやらん小きほこらを立てたるが、今は在五中将となりたり、小六明神と云ふは小六と云ふ馬かたなり、根津権現と云ふは青楊院様御家中にて根津某と云ふ稚きものゝ刑にあひたるか祟るとて小きほこらを立てたるが、後には女中の取扱ひにて今は特の外に結搆になる、此たくひ其数を知らす、某赤木の同心の地を借り住たりしに屋数の内に稲荷のほこらあり、前に借りたる人立てたるなるを夫とは知らす、程なくその地を同心にかへすとき、右の社を某にいつ方へか引けと云ふ、玆に至りて始て前借りたる人の立てたることを知りて毀させたり、某か住みたる家をうそすゑと云ふにして、別人つゝきて居住せは件の社は其まゝあるへし、その内に同心の故老も死失せは此社はいつよりありとも知る人なく、後は如何やうにならんも測り難し、このたぐひ世上に多かるへし、寺社奉行公事訴訟の申出つるばかりを役にして、寺社の治めと云ふ事は之なき故、何事も下の心次第如何なることのあるも知らぬなるへし、
現代語訳
業平天神というのは、業平という相撲取りの墓に、何者やら小さな祠を建てたのが、今は在五中将(在原業平)となった。小六明神というのは小六という馬方である。根津権現というのは、青楊院様(徳川綱重か)の御家中で根津某という幼い者が刑にあったのが祟るといって小さな祠を建てたのが、後には女中の取り扱いで、今はことのほか結構になった。このたぐいはその数を知らない。私(徂徠)は赤城の同心の地を借りて住んでいたところ、屋敷の内に稲荷の祠があった。前に借りた人が建てたものなのを、それとは知らず、ほどなくその地を同心に返すとき、右の社を私にどこかへ引けと言う。ここに至って初めて前に借りた人が建てたことを知って壊させた。私が住んだ家を他の者が受け継いで、別人が続いて住めば、件の社はそのままあるであろう。そのうちに同心の古老も死に失せれば、この社はいつからあるとも知る人がなく、後はどのようになるかも測りがたい。このたぐいは世の中に多いであろう。寺社奉行が公事訴訟の申し出るのばかりを役にして、寺社の治めということはないので、何事も下の心次第で、どのようなことがあるかも知らないのであろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下去る夜半に曰く、兎角移らぬ物哉。あゝ苦労して何の用にも立たず、頓て打腐りて、只在りて果す迄よと也。
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『玉勝間』五の巻 しのぶもぢずりされどまことに然かなりけんも知りがたきを、ひたぶるに偽言なりとは云うべくもあらず。その石の事は、とまれかくまれ、信夫郡より出だせりし事は、論無きをや。
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『玉勝間』三の巻 五十師原山辺御井四つには、斎内親王の宮仕えし給うことならば、いつきのみことも、ひめみことも何とも、其御事と聞こゆる詞あるべきに、さること一言も無くて、ゆくりなく大宮づかえと云うべき物かは。唯だ天皇に仕え奉る女官たちなる事、論無き物をや。五つには、ももしきの大宮人とは、天皇に仕え奉る人とこそ聞こえたれ。たとい本は大内より来し人なればとても、今斎王に仕え奉り居る人を、うちまかせて然か云わん事はいかが。六つには、もし斎王の大御神に仕え給う事を詠める歌ならむには、反歌に御井の事のみを詠めるは、何のよしぞや。七つには、かの鈴鹿郡なる山の辺の事を、俗説なりとて、やぶられたるもあたらず。俗説とは、赤人の跡と云う事なり。赤人の事は、山辺という地の名によりて、附会したる物なれば、其説こそ俗説なれ、それをとり捨てたらむに、何の俗なる事か有らん。そもそもしか赤人の事を云いよせたるも、もと山辺という所、又古き清水のある故なれば、それもかえりて、古き跡なる証とこそすべけれ。又かの山辺村に、古え倭姫の命の宮有りしと云うも、偽なりとて、そのよしを論ぜられたるもあたらず。
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『夜船閑話』序住菴の諸子各々悲泣作礼して云く、吾が師大慈大悲、願くは内観の大略を書せよ。書して留めて後来禅病疲倦吾が輩の如き者を救へ。師即ち頷す。立処に草稿成る。
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『驢鞍橋』卷下良有て曰く、内々聞きしこと、其地の修行者衆、我物語を聞き得たる人一人も□なし、皆違つて居ると云ふ。何れも我前にては聞かるゝやうなれども、或は法語々録等を見て、人人仏法を修し、我法を修する人なし。しかも我物語をも、是等と一つに思へり。我云ふはずつきと別也。只牙咬をして死ぬこと一つを窮むること也。誠に若き時より八十迄如是用ゐ来る計也。更に仏法に非ず。我もそつと若くんば、其地へ上り、我物語を聞きし人人に往き逢ひ、正三か物語を聞きたと云ひめさるゝな、皆ちかへり必す沙汰めさるゝな。正三が沙汰ふつゝといやなりと云ひ渡し度思ふと也。
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論語・述而篇子曰わく、述べて作らず、信じて古を好む。竊かに我を老彭に比す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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