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政談 / 諸役人職分支配を分つ事

就中寺社は大寺大社なとは遠國まても吟呼し置くへき事也、其の仔細は大寺大社なとは遠國にても國寺の支配に漏るゝものなる故也、その高下輕重をつけ由緒すぢめある分は兼ねて奉行所に留ありたきことなり、何もかも留め扣へ無き故差當りて捌き圖にあたらす、譬へは春日八幡なと御修覆の願ひ出たらん時、結搆に仰せ付けられたるあとにて、熱田鹿島なとの願ひ出てたらんとき、それも取り持つ人よくて右の願ひさしつゝきに仰せ付けられたる、又そのあとにて出雲大社なと願出てたらんとき、兼てより日本國中の大社は何々と階級を立てゝ御定めなき故、何れを上、何れを下、何か如何程と云ふ定規無くては、料見も付けかたかるへし、かねて制度の定めはなくて下より申し出てたる事はかりを捌くと立つること故何事も〳〵皆圖にあたらぬ也、

新字:就中寺社は大寺大社なとは遠国まても吟呼し置くへき事也、其の仔細は大寺大社なとは遠国にても国寺の支配に漏るゝものなる故也、その高下軽重をつけ由緒すぢめある分は兼ねて奉行所に留ありたきことなり、何もかも留め扣へ無き故差当りて捌き図にあたらす、譬へは春日八幡なと御修覆の願ひ出たらん時、結搆に仰せ付けられたるあとにて、熱田鹿島なとの願ひ出てたらんとき、それも取り持つ人よくて右の願ひさしつゝきに仰せ付けられたる、又そのあとにて出雲大社なと願出てたらんとき、兼てより日本国中の大社は何々と階級を立てゝ御定めなき故、何れを上、何れを下、何か如何程と云ふ定規無くては、料見も付けかたかるへし、かねて制度の定めはなくて下より申し出てたる事はかりを捌くと立つること故何事も〳〵皆図にあたらぬ也、

書き下し

就中寺社は大寺大社なとは遠国まても吟呼し置くへき事也、其の仔細は大寺大社なとは遠国にても国寺の支配に漏るゝものなる故也、その高下軽重をつけ由緒すぢめある分は兼ねて奉行所に留ありたきことなり、何もかも留め扣へ無き故差当りて捌き図にあたらす、譬へは春日八幡なと御修覆の願ひ出たらん時、結搆に仰せ付けられたるあとにて、熱田鹿島なとの願ひ出てたらんとき、それも取り持つ人よくて右の願ひさしつゝきに仰せ付けられたる、又そのあとにて出雲大社なと願出てたらんとき、兼てより日本国中の大社は何々と階級を立てゝ御定めなき故、何れを上、何れを下、何か如何程と云ふ定規無くては、料見も付けかたかるへし、かねて制度の定めはなくて下より申し出てたる事はかりを捌くと立つること故何事も〳〵皆図にあたらぬ也、

現代語訳

とりわけ寺社は、大寺・大社などは遠国までも吟味しておくべきことである。その子細は、大寺・大社などは遠国でも国寺の支配に漏れるものだからである。その高下・軽重をつけ、由緒・筋目のある分は、前もって奉行所に記録があってほしいことである。何もかも留め控えがないので、さしあたって捌きが的を射ない。たとえば春日・八幡などが御修復を願い出たとき、結構に仰せ付けられた後で、熱田・鹿島などの願いが出たとき、それも取り持つ人がよくて右の願いに引き続き仰せ付けられた。またその後で出雲大社などが願い出たとき、前もって日本国中の大社は何々と階級を立てて御定めがないので、どれが上、どれが下、何がどれほどという定規がなくては、料簡も付けにくいであろう。前もって制度の定めはなくて、下から申し出たことばかりを捌くと立てるので、何事も何事も皆的を射ないのである。

解説

寺社行政の具体例である。大寺大社は遠国でも地元の支配から外れがちなので、格や由緒を前もって奉行所に記録しておくべきだと徂徠は言う。記録も格付けもないため、春日・八幡の修復を手厚く認めた後に熱田・鹿島が願い出ると、取り次ぐ人次第で認め、さらに出雲大社が来たときには比べる物差しがない。申請順と口利きで決まる資源配分は、不公平と混乱を生む。現代の予算配分や投資判断でも、事前の優先順位と基準がなければ、声の大きい順に決まってしまう。基準を先に定めることが公正の土台である。

この章句が説くこと

寺社基準配分記録制度政談

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