政談 / 諸役人職分支配を分つ事
譬へは國境鄕村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絕ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御當家の御定めありたきことなり、御當家の御定め無きに遠國の事を在江戶の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取證據無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を證據とす、これは先方の時分にて惣躰の模樣違ひたる時代を證據に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は徃古の綸旨等を證據に引くも年數遙かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御當家の御定めなき故也、
新字:譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
書き下し
譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
現代語訳
たとえば国境・郷村の境・山林の境などがはっきりせず、度々あちこちの訴訟が絶えることがない。これは前もってその所を支配する人が、自分の支配所をはっきり知らないからである。その支配所を知っていて、事が起こりそうな所は、下から申し出なくても申し立てて、御当家(徳川家)の御定めがあってほしいことである。御当家の御定めがないのに遠国のことを在江戸の奉行が捌こうとしても、しようがない。これによって軽い身分の検使を遣わせば、ばかり者の格で、証拠がなければ捌かれないので、小田原(北条氏)、または信玄、または信長公、または太閤などのときの奉行の書物を証拠とする。これは先方の時分で、総体の模様が違った時代を証拠に引くことで、らちもないことである。あるいは室町家、あるいは鎌倉、あるいは往古の綸旨などを証拠に引くのも、年数が遥かに隔たっていて、らちもないことである。これは皆、奉行をする面々がとかく何事も先例を引き付ける癖で、引くべきでない先例を引くのである。これは皆、御当家の御定めがないからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』公儀御身上の制度の事抑々諸矦には其土地を全く賜はるに、土産を上る道理は如何のことそと云ふに、五穀と人民とは何れの国にても皆ある者なる故、其土地を下し置るゝ上は年貢米と夫役とは其君の所格となる、偖其外の諸物は土地に随ひて各別にすくれたる所ありて諸国一様にあらざる故、土産の貢の上一人に上ること是れ少しも無理なることにあらす、道理の当然古今の定法なり、然れは当時の諸大名は古の諸矦なれは土産の貢を奉るべきこと例と云ひ道理と云ひ献せすして叶はさることなるを、当時其沙汰なきことは室町家の末に至り天下乱れて武家国郡を押領し、年久しき郡県の作法なる租庸調をだにも奉らねは、增て土産の貢にも及はす、其後太閤秀吉公天下を一統まし〳〵けれとも、文盲にして其仔細を知り玉はす、御当家になりては大坂御陣の翌年東照宮御他界なる故、此制度定め玉はぬを例として大名は貢を出さぬものと心得居ること大なるひがことなり、
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『政談』江戶町中並に武家屋敷の締りの事是によりて碁盤の目を盛る愚案の仕方は、武家屋敷も町方の如く一町々々に木戸を付け木戸番を置き、一町々々肝煎を仰せ付られ諸事をまうし合はせ、弃もの等これ有ときは、木戸を打たせ、夜中ならばひやうし木又は竹のつゝを吹するやうにすべし、当時辻番と云ふものありて何の用に立たぬ、をのれ〳〵又は割合にて辻番のものいりを出す、このものいりにては、木戸を付け木戸番を置くことは大かた成るべきなり、町も御堀端には木戸なし、是も木戸を付けたきなり、江戸はづれ田舎へ取り付く境目にも、木戸を付けたきことなり、和漢の古法かくの如し、総して夜行を禁ずる事古法なり、都のはづれ田舎へとりつく所は、外郭とて元来堀をほり、土手をつくこと武備の一つなり、それほどになくとも木戸を付けて境すべきことなり、元来この境も立ざる故、いづ方までが江戸の内にて、是より田舎なりと云ふ境なく、民のこゝろまゝに、家を建つゞくる故、江戸の広さ年々に広まり行き、誰許すともなく、奉行御役人にも一人として心付く人もなくて、いつの間にか北は千住、南は品川まで家つゞきになりたるなり、これ亦古法を知らざる誤りなり、
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尚書・君牙嗚呼(ああ)!丕いに顕らかなるかな、文王の謨。丕いに承くるかな、武王の烈。我が後人を啓き佑け、咸く正を以てして欠くる罔し。爾惟れ敬みて乃の訓を明らかにし、用て先王に奉じ若へ。文・武の光命に対揚し、前人に追配せよ。』王若のごとく曰く、『君牙よ、乃惟れ先正に由り、旧典時れ式れ、民の治乱は茲に在り。乃の祖考の行ふ攸に率ひ、乃の辟の乂むる有るを昭らかにせよ。』
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尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
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『甲陽軍鑑』品第四十七其後仰出しには、彼落合彥助事曲淵に年こそおとりたりとも、武辺の事さのみおとる者にてなし、さるについて逍遥軒にとらせ候所に、曲淵が蔵前にて奉行どもに雑言の事赦免せしめてありとて、いつもさやう有べきと存、事下より上をはからふたる様子言語同断、口惜く思召し候、其上第一に彼彥助をあれほどの臆病者にて有べしとは御存知なし、
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「先人に則有り、三のみ」と。子墨子曰く、「孰れか先人にして則有ること三のみと曰わん。子は未だ人の先に有りて後に生ずるを知らざるなり」と。
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