政談 / 諸役人職分支配を分つ事
惣して當時の有樣我か事はい下の治むると云ふことをは夢にも知らす、何ことも下より申し出てさることは知りつゝも搆はず、只申し出てたるときに當りて申し出てたることばかりを捌くと云ふこと、執政を初じめ當時御役人のたて法なり、申し出てさることをも明かさ暗さを能く知り抜きて居て右の如くならは尤ものことなれとも、下に隔てられて何事の有るやらんも知らず、唯々申し出てたることばかりを捌かんとせは先例先格のあることはなるへし、先例も先格もなきことは當分の鼻の先きの智惠にて差當りに捌くこと必らす行支へ有るへきことなり、特に御老中若老中は御政務の役人なれは、一天下のことは皆知り盡してあるへきことなり、然れは何こと出來るとも捌き圖に當るへし、
新字:惣して当時の有様我か事はい下の治むると云ふことをは夢にも知らす、何ことも下より申し出てさることは知りつゝも搆はず、只申し出てたるときに当りて申し出てたることばかりを捌くと云ふこと、執政を初じめ当時御役人のたて法なり、申し出てさることをも明かさ暗さを能く知り抜きて居て右の如くならは尤ものことなれとも、下に隔てられて何事の有るやらんも知らず、唯々申し出てたることばかりを捌かんとせは先例先格のあることはなるへし、先例も先格もなきことは当分の鼻の先きの智恵にて差当りに捌くこと必らす行支へ有るへきことなり、特に御老中若老中は御政務の役人なれは、一天下のことは皆知り尽してあるへきことなり、然れは何こと出来るとも捌き図に当るへし、
書き下し
惣して当時の有様我か事はい下の治むると云ふことをは夢にも知らす、何ことも下より申し出てさることは知りつゝも搆はず、只申し出てたるときに当りて申し出てたることばかりを捌くと云ふこと、執政を初じめ当時御役人のたて法なり、申し出てさることをも明かさ暗さを能く知り抜きて居て右の如くならは尤ものことなれとも、下に隔てられて何事の有るやらんも知らず、唯々申し出てたることばかりを捌かんとせは先例先格のあることはなるへし、先例も先格もなきことは当分の鼻の先きの智恵にて差当りに捌くこと必らす行支へ有るへきことなり、特に御老中若老中は御政務の役人なれは、一天下のことは皆知り尽してあるへきことなり、然れは何こと出来るとも捌き図に当るへし、
現代語訳
総じて今のありさまは、自分の職分の下を治めるということは夢にも知らず、何事も下から申し出ないことは、知っていても構わず、ただ申し出たときに当たって、申し出たことばかりを捌くということが、執政をはじめ今の御役人の立て方である。申し出ないことも、明るいところ暗いところをよく知り抜いていて右のようであるならばもっともなことであるが、下に隔てられて何事があるやらも知らず、ただ申し出たことばかりを捌こうとすれば、先例・先格のあることはできるであろう。先例も先格もないことは、当座の鼻先の知恵でさしあたり捌くので、必ず行き詰まりがあるであろう。ことに御老中・若老中は御政務の役人なので、一天下のことは皆知り尽くしているべきである。そうであれば何事が起こっても、捌きが的を射るであろう。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公十三年 奥主有り、外援無し善に下りて齊肅、賄を藏せず、欲に從はず、施舍して倦まず、善を求めて厭かず。是を以って國を有つ、亦た宜ならずや。我が先君文公は、狐季姬の子なり。獻に寵有り。學を好みて貳はず。生まれて十七年、士五人有り。先大夫子餘・子犯有りて、以って腹心と為す。魏犨・賈佗有りて、以って股肱と為す。齊・宋・秦・楚有りて、以って外主と為す。欒・郤・狐・先有りて、以って内主と為す。亡ぐること十九年、志を守ること彌々篤し。惠・懷民を棄て、民從ひて之に與す。獻に異親無く、民に異望無し。天方に晉を相く。將た何を以ってか文に代へん。此の二君は、子干に異なり。共には寵子有り、國には奧主有り。民に施す無く、外に援無し。晉を去れども送らず、楚に歸れども逆へず。何を以ってか國を冀はん」と。晉虒祁を成す。諸侯の朝して歸る者、皆貳心有り。郠を取るが為の故に、晉將に諸侯を以って來り討たんとす。叔向曰く、「諸侯以って威を示さざる可からず」と。乃ち並びに會を徵して吳に告ぐ。
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『重職心得箇条』第四条先格古例に二つあり、家法の例格あり、仕癖の例格あり、先づ今此の事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付け、時宜を考へて然る後例格を検し、今日に引き合わすべし。仕癖の例格にても、其の通りにて能(よ)き事は其の通りにし、時宜に叶はざる事は拘泥すべからず。自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病(つうへい)なるべし。
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