政談 / 公儀御身上の制度の事
抑々諸矦には其土地を全く賜はるに、土產を上る道理は如何のことそと云ふに、五穀と人民とは何れの國にても皆ある者なる故、其土地を下し置るゝ上は年貢米と夫役とは其君の所格となる、偖其外の諸物は土地に隨ひて各別にすくれたる所ありて諸國一樣にあらざる故、土產の貢の上一人に上ること是れ少しも無理なることにあらす、道理の當然古今の定法なり、然れは當時の諸大名は古の諸矦なれは土產の貢を奉るべきこと例と云ひ道理と云ひ献せすして叶はさることなるを、當時其沙汰なきことは室町家の末に至り天下亂れて武家國郡を押領し、年久しき郡縣の作法なる租庸調をだにも奉らねは、增て土產の貢にも及はす、其後太閤秀吉公天下を一統まし〳〵けれとも、文盲にして其仔細を知り玉はす、御當家になりては大坂御陣の翌年東照宮御他界なる故、此制度定め玉はぬを例として大名は貢を出さぬものと心得居ること大なるひがことなり、
新字:抑々諸矦には其土地を全く賜はるに、土産を上る道理は如何のことそと云ふに、五穀と人民とは何れの国にても皆ある者なる故、其土地を下し置るゝ上は年貢米と夫役とは其君の所格となる、偖其外の諸物は土地に随ひて各別にすくれたる所ありて諸国一様にあらざる故、土産の貢の上一人に上ること是れ少しも無理なることにあらす、道理の当然古今の定法なり、然れは当時の諸大名は古の諸矦なれは土産の貢を奉るべきこと例と云ひ道理と云ひ献せすして叶はさることなるを、当時其沙汰なきことは室町家の末に至り天下乱れて武家国郡を押領し、年久しき郡県の作法なる租庸調をだにも奉らねは、增て土産の貢にも及はす、其後太閤秀吉公天下を一統まし〳〵けれとも、文盲にして其仔細を知り玉はす、御当家になりては大坂御陣の翌年東照宮御他界なる故、此制度定め玉はぬを例として大名は貢を出さぬものと心得居ること大なるひがことなり、
書き下し
抑々諸矦には其土地を全く賜はるに、土産を上る道理は如何のことそと云ふに、五穀と人民とは何れの国にても皆ある者なる故、其土地を下し置るゝ上は年貢米と夫役とは其君の所格となる、偖其外の諸物は土地に随ひて各別にすくれたる所ありて諸国一様にあらざる故、土産の貢の上一人に上ること是れ少しも無理なることにあらす、道理の当然古今の定法なり、然れは当時の諸大名は古の諸矦なれは土産の貢を奉るべきこと例と云ひ道理と云ひ献せすして叶はさることなるを、当時其沙汰なきことは室町家の末に至り天下乱れて武家国郡を押領し、年久しき郡県の作法なる租庸調をだにも奉らねは、增て土産の貢にも及はす、其後太閤秀吉公天下を一統まし〳〵けれとも、文盲にして其仔細を知り玉はす、御当家になりては大坂御陣の翌年東照宮御他界なる故、此制度定め玉はぬを例として大名は貢を出さぬものと心得居ること大なるひがことなり、
現代語訳
そもそも諸侯にはその土地をすっかり賜っているのに、土産を差し上げる道理はどういうことかといえば、五穀と人民はどの国にもみなあるものなので、その土地を下し置かれた上は、年貢米と夫役はその君の取り分となる。さて、そのほかの諸物は、土地によってそれぞれ特に優れたところがあって、諸国一様ではないので、土産の貢ぎを上一人に差し上げることは少しも無理なことではない。道理の当然で、古今の定法である。そうであれば、今の諸大名は古の諸侯なのだから、土産の貢ぎを奉ることは、先例からいっても道理からいっても、献上しないわけにはいかないことなのに、今その沙汰がないのは、室町家の末に至って天下が乱れ、武家が国郡を押領し、長年の郡県の作法である租庸調さえ奉らなかったので、まして土産の貢ぎには及ばなかったからである。その後、太閤秀吉公が天下を統一なさったが、学問がなくてそのわけをご存じなかった。御当家の世になっては、大坂の御陣の翌年に東照宮(家康)が御他界されたので、この制度をお定めにならなかったのを先例として、大名は貢ぎを出さないものと心得ているのは、大きな誤りである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
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『玉勝間』四の巻 法親王のはじめ続世継に、覚行法親王の御事を申していわく、わらわにても親王の御名え給わねども、親王の宣旨こうぶり給えり。後二条のおとど、出家の後は、例無きよし侍りけれども、白川院、内親王と云う事も有れば、法親王もなどか無からんとて、始めて法師の後、親王と聞こえ給いしなり。かくて後ぞ、打ち続きいづくにも、出家ののちの親王きこえ給うめる、と有り。法内親王の御例は、今の世までも、いまだおわしまさず。
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尚書・君牙嗚呼(ああ)!丕いに顕らかなるかな、文王の謨。丕いに承くるかな、武王の烈。我が後人を啓き佑け、咸く正を以てして欠くる罔し。爾惟れ敬みて乃の訓を明らかにし、用て先王に奉じ若へ。文・武の光命に対揚し、前人に追配せよ。』王若のごとく曰く、『君牙よ、乃惟れ先正に由り、旧典時れ式れ、民の治乱は茲に在り。乃の祖考の行ふ攸に率ひ、乃の辟の乂むる有るを昭らかにせよ。』
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「先人に則有り、三のみ」と。子墨子曰く、「孰れか先人にして則有ること三のみと曰わん。子は未だ人の先に有りて後に生ずるを知らざるなり」と。
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『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
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尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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