政談 / 諸役人職分支配を分つ事
學問幷に諸藝の筋是亦一筋なるへし、皆何れも御老中若老中の內の分ちて惣支配として、下に夫々の役人あるへし、禮儀作法の一向も凶禮の筋は目出たき筋にて之なき故誰詮議し置く人なし、御先々前御代御他界の節御治世三十年にて嚴有院樣御他界の時分のことは誰敎へたるものなく、御儀式を存したる人なく、行き當り難義したるよし松平美濃守か語りし、箇樣の筋も禮儀の筋を掌る役人こればかりを一役にしてあらは斯ることあるまじ、台德院樣御遠忌のときも寺社奉行より增上寺に委細書付差出たすへしと下知す、東叡山ばかりにて年ひさしく御法事として行はれ、增上寺にはそのかたなけれは誰知る人なし、出家は變りゆくものなれはいつれも知らす、只茫然としたるに增上寺に行者と云ふ者あり、これは妻帶なる故云ひつたへ書きつたへも少々ありて、それを本にして種々の僞を交へて書出し呼あけたりとて、かの寺の內證を知りたる人笑ひたるなり、
新字:学問幷に諸芸の筋是亦一筋なるへし、皆何れも御老中若老中の内の分ちて惣支配として、下に夫々の役人あるへし、礼儀作法の一向も凶礼の筋は目出たき筋にて之なき故誰詮議し置く人なし、御先々前御代御他界の節御治世三十年にて厳有院様御他界の時分のことは誰教へたるものなく、御儀式を存したる人なく、行き当り難義したるよし松平美濃守か語りし、箇様の筋も礼儀の筋を掌る役人こればかりを一役にしてあらは斯ることあるまじ、台徳院様御遠忌のときも寺社奉行より增上寺に委細書付差出たすへしと下知す、東叡山ばかりにて年ひさしく御法事として行はれ、增上寺にはそのかたなけれは誰知る人なし、出家は変りゆくものなれはいつれも知らす、只茫然としたるに增上寺に行者と云ふ者あり、これは妻帯なる故云ひつたへ書きつたへも少々ありて、それを本にして種々の偽を交へて書出し呼あけたりとて、かの寺の内証を知りたる人笑ひたるなり、
書き下し
学問幷に諸芸の筋是亦一筋なるへし、皆何れも御老中若老中の内の分ちて惣支配として、下に夫々の役人あるへし、礼儀作法の一向も凶礼の筋は目出たき筋にて之なき故誰詮議し置く人なし、御先々前御代御他界の節御治世三十年にて厳有院様御他界の時分のことは誰教へたるものなく、御儀式を存したる人なく、行き当り難義したるよし松平美濃守か語りし、箇様の筋も礼儀の筋を掌る役人こればかりを一役にしてあらは斯ることあるまじ、台徳院様御遠忌のときも寺社奉行より增上寺に委細書付差出たすへしと下知す、東叡山ばかりにて年ひさしく御法事として行はれ、增上寺にはそのかたなけれは誰知る人なし、出家は変りゆくものなれはいつれも知らす、只茫然としたるに增上寺に行者と云ふ者あり、これは妻帯なる故云ひつたへ書きつたへも少々ありて、それを本にして種々の偽を交へて書出し呼あけたりとて、かの寺の内証を知りたる人笑ひたるなり、
現代語訳
学問ならびに諸芸の筋もまた一筋とすべきである。皆いずれも御老中・若老中のうちから分けて総支配とし、下にそれぞれの役人があるべきである。礼儀作法の一方面でも、凶礼の筋はめでたい筋ではないので、誰も詮議しておく人がない。先々前の御代の御他界のとき、御治世三十年で厳有院様(家綱)の御他界の時分のことは誰も教える者がなく、御儀式を知っている人がなく、行き当たって難儀したと松平美濃守(柳沢吉保)が語った。このような筋も、礼儀の筋をつかさどる役人がこればかりを一役としていたならば、このようなことはあるまい。台徳院様(秀忠)の御遠忌のときも、寺社奉行から増上寺に委細を書付で差し出すようにと下知した。東叡山(寛永寺)ばかりで年久しく御法事として行われ、増上寺にはそのやり方がないので誰も知る人がない。出家は変わってゆくものなので、いずれも知らない。ただ茫然としていたところ、増上寺に行者という者がいた。これは妻帯なので言い伝えや書き伝えも少々あって、それを元にしていろいろな偽りを交えて書き出し、読み上げたといって、その寺の内情を知った人が笑ったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』貴義子墨子曰く、古の聖王、其の道を後世に傳えんと欲す。是の故に之を竹帛に書し、之を金石に鏤み、後世の子孫に傳え遺す。後世の子孫の之を法とせんことを欲すればなり。今、先王の遺を聞きて為さざるは、是れ先王の傳を廢するなり。
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『驢鞍橋』卷下去る夜半に曰く、兎角移らぬ物哉。あゝ苦労して何の用にも立たず、頓て打腐りて、只在りて果す迄よと也。
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『玉勝間』三の巻 五十師原山辺御井四つには、斎内親王の宮仕えし給うことならば、いつきのみことも、ひめみことも何とも、其御事と聞こゆる詞あるべきに、さること一言も無くて、ゆくりなく大宮づかえと云うべき物かは。唯だ天皇に仕え奉る女官たちなる事、論無き物をや。五つには、ももしきの大宮人とは、天皇に仕え奉る人とこそ聞こえたれ。たとい本は大内より来し人なればとても、今斎王に仕え奉り居る人を、うちまかせて然か云わん事はいかが。六つには、もし斎王の大御神に仕え給う事を詠める歌ならむには、反歌に御井の事のみを詠めるは、何のよしぞや。七つには、かの鈴鹿郡なる山の辺の事を、俗説なりとて、やぶられたるもあたらず。俗説とは、赤人の跡と云う事なり。赤人の事は、山辺という地の名によりて、附会したる物なれば、其説こそ俗説なれ、それをとり捨てたらむに、何の俗なる事か有らん。そもそもしか赤人の事を云いよせたるも、もと山辺という所、又古き清水のある故なれば、それもかえりて、古き跡なる証とこそすべけれ。又かの山辺村に、古え倭姫の命の宮有りしと云うも、偽なりとて、そのよしを論ぜられたるもあたらず。
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『玉勝間』五の巻 しのぶもぢずりされどまことに然かなりけんも知りがたきを、ひたぶるに偽言なりとは云うべくもあらず。その石の事は、とまれかくまれ、信夫郡より出だせりし事は、論無きをや。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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