墨子 / 貴義
子墨子曰:古之聖王欲傳其道於後世,是故書之竹帛,鏤之金石,傳遺後世子孫,欲後世子孫法之也。今聞先王之遺而不為,是廢先王之傳也。
新字:子墨子曰:古之聖王欲伝其道於後世,是故書之竹帛,鏤之金石,伝遺後世子孫,欲後世子孫法之也。今聞先王之遺而不為,是廃先王之伝也。
書き下し
子墨子曰く、古の聖王、其の道を後世に傳えんと欲す。是の故に之を竹帛に書し、之を金石に鏤み、後世の子孫に傳え遺す。後世の子孫の之を法とせんことを欲すればなり。今、先王の遺を聞きて為さざるは、是れ先王の傳を廢するなり。
現代語訳
墨子が言った。昔の聖王は自分の道を後の世に伝えようとした。だから竹や帛に書き、金石に刻んで、後の世の子孫に伝え遺した。後の世の子孫にそれを法としてほしかったからだ。いま先王の遺したものを聞いていながら行わないのは、先王の伝えを廃することである。
解説
記録が残っているのに実行しないことを、伝承を絶やす行為だと言います。書き残す側の意図は、読まれることではなく行われることにあった。読んで終わりにすることを「廃する」と呼ぶのは厳しい言い方ですが、引き継ぎ資料や手順書が読まれるだけになっている状況に、そのまま当たります。残す側の目的をどこに置くかで、書き方も変わってきます。
この章句が説くこと
記録実行継承伝承法
関連する章句
-
『政談』諸役人職分支配を分つ事学問幷に諸芸の筋是亦一筋なるへし、皆何れも御老中若老中の内の分ちて惣支配として、下に夫々の役人あるへし、礼儀作法の一向も凶礼の筋は目出たき筋にて之なき故誰詮議し置く人なし、御先々前御代御他界の節御治世三十年にて厳有院様御他界の時分のことは誰教へたるものなく、御儀式を存したる人なく、行き当り難義したるよし松平美濃守か語りし、箇様の筋も礼儀の筋を掌る役人こればかりを一役にしてあらは斯ることあるまじ、台徳院様御遠忌のときも寺社奉行より增上寺に委細書付差出たすへしと下知す、東叡山ばかりにて年ひさしく御法事として行はれ、增上寺にはそのかたなけれは誰知る人なし、出家は変りゆくものなれはいつれも知らす、只茫然としたるに增上寺に行者と云ふ者あり、これは妻帯なる故云ひつたへ書きつたへも少々ありて、それを本にして種々の偽を交へて書出し呼あけたりとて、かの寺の内証を知りたる人笑ひたるなり、
-
『韓非子』飾邪第十九強弱是くの如く其れ明らかなり。而るに世主為さず。国の亡ぶること宜なり。
-
『後世への最大遺物』第二回・第三の遺物は思想である位地がありませぬと、えらい人でも志を抱いて空しく山間に終ってしまった者もたくさんあります。それゆえに事業をもって人を評することはできないことは、明かなることだろうと思います。それゆえに私に事業の天才もなし、またこれをなすの位地もなし、友達もなし、社会の賛成もなかったならば、私は身を滅ぼして死んでしまい、世の中に何も遺すことはできないかという問題が起ってくる。それでもし私に金を溜めることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の思想です。もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を、筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。
-
『後世への最大遺物』第二回・人に頼らず天と己にたよるその考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して、自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって、経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。それでわれわれもそういう人の生涯、二宮金次郎先生のような人の生涯を見ますときに、「もしあの人にもああいうことができたならば、私にもできないことはない」という考えを起します。普通の考えではありますけれども、非常に価値のある考えであります。それで人に頼らずとも、われわれが神にたより己にたよって宇宙の法則に従えば、この世界はわれわれの望むとおりになり、この世界にわが考えを行うことができるという感覚が起ってくる。
-
『後世への最大遺物』第二回・己の信ずることを実行する者己の信ずることを実行するものが真面目なる信者です。ただただ壮言大語することは誰にもできます。いくら神学を研究しても、いくら哲学書を読みても、われわれの信じた主義を真面目に実行するところの精神がありませぬあいだは、神はわれわれにとって異邦人であります。それゆえに、われわれは神がわれわれに知らしたことをそのまま実行いたさなければなりません。こういたさねばならぬと思うたことは、われわれはことごとく実行しなければならない。もしわれわれが、正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、そのとおりにわれわれは実行しなければならない。これを称して真面目なる信徒と申すのです。
-
『講孟余話』盡心下 第八章・第九章夫れより秋田を経、津軽に入る。秋田・津軽の界は、即ち陸奥の界にして、矢立嶺と云ふを踰えて下れば津軽の碇関なり。此処にては関法も更に厳に見え、余も奇策を得ずして、銭二百孔ばかりを出して切手を受け得たり。津軽領内何れの旅舎にても切手の有無を問ひて然る後宿を許す。故に此処にて切手を受けずんば頗る窮することあるべきに、二百孔を費やして大いに幸ひを得たり。已にして其の城下弘前にて又切手を改めて受く、時に又銭を要すること前の如し。夫れより馬門関に至り切手を納め了る、此処は津軽・南部の界なり。後に是れを詳らかにするに、荘内・秋田・津軽・南部・仙台等、切手の法大同小異にて、皆関にて銭を要することなり。然れども奥羽は商賈の往来夥しき所故、商賈を待つが為めにして、士人は大抵見通しにすることと見ゆ。独り津軽最も僻遠の地に在るを以て其の法頑固なり。其の他感ずべきは米沢なり。米沢の切手は津軽に同じけれども、関吏曾て一銭を要せず、是れ真に暴を禦ぐの法なり。他藩暴を為す者と同日の論にあらず。第九章 「身道を行はざれば、妻子に行はれず。人を使ふに道を以てせざれば、妻子に行はるる能はず」、言近くして旨遠し。論弁を待たず、只実行を要するのみ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る