政談 / 諸役人職分支配を分つ事
惣躰右に云ふ如く當時の御役は職掌繁多なり、寺社奉行も公事も聽く、訴訟をも聽く、御法事の儀式をも掌り、而かも同役幾人ありても月番を立てゝ一人へ受け込む故、平生心の行きわたる隙なし、其上その役の留帳委細なることなし、故に寺社奉行にかきらす諸役人ともに、此の方より委細に下知することはならす、下へ向ひて委細に書き出せと云ふこと當時役人のくせなり、故に右の節寺社奉行も增上寺に書き出せと云ひたるとき右の始末なり、此等はまだ小事なり、日光御社參御上洛もあらは是亦誰覺えたる人あるまじ、武備の筋に至りては平生專ら我か役として掌る人なくは、人々我こそ武家なりと云ふとも行きあたり存しやらるゝことなり、
新字:惣体右に云ふ如く当時の御役は職掌繁多なり、寺社奉行も公事も聴く、訴訟をも聴く、御法事の儀式をも掌り、而かも同役幾人ありても月番を立てゝ一人へ受け込む故、平生心の行きわたる隙なし、其上その役の留帳委細なることなし、故に寺社奉行にかきらす諸役人ともに、此の方より委細に下知することはならす、下へ向ひて委細に書き出せと云ふこと当時役人のくせなり、故に右の節寺社奉行も增上寺に書き出せと云ひたるとき右の始末なり、此等はまだ小事なり、日光御社参御上洛もあらは是亦誰覚えたる人あるまじ、武備の筋に至りては平生専ら我か役として掌る人なくは、人々我こそ武家なりと云ふとも行きあたり存しやらるゝことなり、
書き下し
惣体右に云ふ如く当時の御役は職掌繁多なり、寺社奉行も公事も聴く、訴訟をも聴く、御法事の儀式をも掌り、而かも同役幾人ありても月番を立てゝ一人へ受け込む故、平生心の行きわたる隙なし、其上その役の留帳委細なることなし、故に寺社奉行にかきらす諸役人ともに、此の方より委細に下知することはならす、下へ向ひて委細に書き出せと云ふこと当時役人のくせなり、故に右の節寺社奉行も增上寺に書き出せと云ひたるとき右の始末なり、此等はまだ小事なり、日光御社参御上洛もあらは是亦誰覚えたる人あるまじ、武備の筋に至りては平生専ら我か役として掌る人なくは、人々我こそ武家なりと云ふとも行きあたり存しやらるゝことなり、
現代語訳
総体、右に言うように、今の御役は職掌が繁多である。寺社奉行も公事も聴き、訴訟も聴き、御法事の儀式もつかさどり、しかも同役が何人あっても月番を立てて一人へ受け持たせるので、平生心の行き渡る暇がない。そのうえその役の留帳が詳細でない。ゆえに寺社奉行に限らず諸役人ともに、こちらから詳細に下知することができず、下に向かって「詳細に書き出せ」と言うことが今の役人の癖である。ゆえに右のとき、寺社奉行も増上寺に書き出せと言ったとき、右の始末である。これらはまだ小事である。日光御社参や御上洛でもあれば、これもまた誰も覚えている人はあるまい。武備の筋に至っては、平生もっぱら自分の役としてつかさどる人がいなければ、人々は我こそ武家だと言っても、行き当たって途方に暮れることである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』諸役人器量の選別なる事御目付は殿中御史の職なり、非法をたゝすを当職とす、法式になれすしては叶はさることなり、当時は御老中若老中のつかひものゝやうになりたるは、若老中に下つかさなき故なり、寺社奉行は寺社のをさめを第一とし、出家社家等に不法なきやうに下知すること当職なるへし、左れは寺社の古実も達せすんはあるへからす、地方は算勘の職別の仔細なし、町奉行は町の治を第一とし、町方に悪人多く出て町中治まらすんは町奉行の越度たるへし、寺社奉行も地方奉行も町奉行も当時は公事を捌くことを重とする故、治めのかたをは誰心付く人なし、治め悪しきときはたれも悪事も上たことなく、公事のことは別に公事奉行を立てゝ法律に通達したる人を用ゆへし、斯の如く御役の筋皆各別にて器量の筋も変り有ることなるに、当時は御老中若老中寺社奉行の外は、皆大方は目付より立身することなる故、何れの役も目付の風なり、又勲階と云ふ事のなき故立身の筋大方極まりて、一役を十年も二十年も一代に勤むるやうにすること成りかたし、役々の器量を相応に撰む筋失行たり、
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『政談』諸役人職分支配を分つ事学問幷に諸芸の筋是亦一筋なるへし、皆何れも御老中若老中の内の分ちて惣支配として、下に夫々の役人あるへし、礼儀作法の一向も凶礼の筋は目出たき筋にて之なき故誰詮議し置く人なし、御先々前御代御他界の節御治世三十年にて厳有院様御他界の時分のことは誰教へたるものなく、御儀式を存したる人なく、行き当り難義したるよし松平美濃守か語りし、箇様の筋も礼儀の筋を掌る役人こればかりを一役にしてあらは斯ることあるまじ、台徳院様御遠忌のときも寺社奉行より增上寺に委細書付差出たすへしと下知す、東叡山ばかりにて年ひさしく御法事として行はれ、增上寺にはそのかたなけれは誰知る人なし、出家は変りゆくものなれはいつれも知らす、只茫然としたるに增上寺に行者と云ふ者あり、これは妻帯なる故云ひつたへ書きつたへも少々ありて、それを本にして種々の偽を交へて書出し呼あけたりとて、かの寺の内証を知りたる人笑ひたるなり、
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事地かたには吟味役と云ふものありて将のやうなる者なれとも助なし、頭大勢なり、町奉行は助も允も尽く内与力と云ふものを家来に拵へて取捌かすること宜しからさることなり、寺社奉行は全く家来はかりを使ふ故、役替れは皆新規になりてものになれす、御奏者は家来を殿中へ呼ひてをし合なと云ふやう成ることをさするたくひ宜しからさることなり、御老中には若老中すけのやうなるものにて祐筆の組頭なそさんにもあたるへけれとも、しやうのやうなるものなくてこと足らす、若老中にも亦御旗本の支配をする所勤め各別なり、御老中若老中寺社奉行なとは大名にて家来を召しつかふて用ひ定る様なれとも、公儀の御用に家来をなれさすること詮なし、あたら御旗本を箇様のことに召し仕はれす候故、御旗本の者共に才智つかす、特に大名はものことに下の情に疎きものなり、学ても平人のことく得せぬものなり、されとも此等の御役は皆禄の相応有りて仰せ付けらるゝことなれは平人に仰せ付けられかたし、何れも御旗本の学問も有り才智あるものを、その下役にして使ひ立ては夫より外の役に仰せ付けらるゝにも事もなれ、又才智のほとも知れて宜かるへし、兎角に何の役にも頭役添役下役留役と云ふものを拵へ置かは諸事の為め宜かるへきなり、
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『政談』諸役人職分支配を分つ事惣して当時の有様我か事はい下の治むると云ふことをは夢にも知らす、何ことも下より申し出てさることは知りつゝも搆はず、只申し出てたるときに当りて申し出てたることばかりを捌くと云ふこと、執政を初じめ当時御役人のたて法なり、申し出てさることをも明かさ暗さを能く知り抜きて居て右の如くならは尤ものことなれとも、下に隔てられて何事の有るやらんも知らず、唯々申し出てたることばかりを捌かんとせは先例先格のあることはなるへし、先例も先格もなきことは当分の鼻の先きの智恵にて差当りに捌くこと必らす行支へ有るへきことなり、特に御老中若老中は御政務の役人なれは、一天下のことは皆知り尽してあるへきことなり、然れは何こと出来るとも捌き図に当るへし、
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『政談』諸役人職分支配を分つ事御老中は大名を支配し、若老中は御旗本を支配すれは、大名御旗本の官位の昇進役禄の增减参勤交替のこと縁組養子家督等のことは各々月番にても取捌くへきことなり、品々御政務の筋まで一つにして月番に受込み一月切に取捌くことゆゑ、御用繁多にして勤め方粗末なりと見えたり、周礼にも六官を分け、後世にも六部を分けたること古来の良制なり、御老中若老中にも役筋を分けて司とらせたきことなり、その分けやうは禁裡堂上方御門跡等のすぢは高家を下た司と云ふへし、礼儀作法殿中御規式のすぢは奏者物番を属官とすへし、寺社のすぢは今までの寺社奉行属官たるべし、町方のすぢは町奉行属官たるへし、御入毛のすぢは地方奉行相違なくたゞし、三奉行いつれも公事訴訟ともに掌とること故御用繁多にして粗末のことゝも多し、町奉行は御城下を三つにも四つにも仕切りて別々に分ち掌らせて、町方の治めを第一とし、訴訟までを受さすへし、地かたも治めを第一として訴訟迄を掌さしむへし、寺社も此通りなり、
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『政談』諸役人職分支配を分つ事皆何れも御政務の筋を分けて掌る人なき故その一向きを平生ともに専一に心掛くることなく、只鼻の先きにて御用多きを自慢して忙はしげに走りまはるばかりを専一とすること当時の風俗なる故なり、特に学問幷に法を立すしては時にとり御政務の筋にも非す、急用ならぬことなる故下よりその道の人申し上けたきことあれとも、御老中若老中なと忙はしげに働かるゝ中へは其道の人も得申し出てぬなり、たま〳〵申し出てゝも大方はけちらかれて揚けられぬ、是によりて学問の筋諸芸の筋は日々に衰へ行くことなり、皆定まりて掌る人なき故なり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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