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弁名 / 禮

是禮樂之敎。雖在默而識之。然人之知。有至焉。有不至焉。故孔子有時乎。擧一隅以語其義。義者先王所以制禮之義。戴記所載皆是已。祇人之知。有至焉。有不至焉。故七十子之信先王者。不及孔子之信先王也。其人之信七十子者。亦不及七十子之信孔子也。故其欲喩人之急。論說其義之弗已。日以蔓衍。以至於戰國之時。義遂離乎禮而孤行。不復就禮言其義。觀孟子書可見已。自此其後。去古益遠。義理之說益盛。囂然以亂天下。先王孔子之敎。蕩乎盡焉。悲夫。

新字:是礼楽之教。雖在黙而識之。然人之知。有至焉。有不至焉。故孔子有時乎。挙一隅以語其義。義者先王所以制礼之義。戴記所載皆是已。祇人之知。有至焉。有不至焉。故七十子之信先王者。不及孔子之信先王也。其人之信七十子者。亦不及七十子之信孔子也。故其欲喩人之急。論説其義之弗已。日以蔓衍。以至於戦国之時。義遂離乎礼而孤行。不復就礼言其義。観孟子書可見已。自此其後。去古益遠。義理之説益盛。囂然以乱天下。先王孔子之教。蕩乎尽焉。悲夫。

書き下し

是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。

現代語訳

この礼楽の教えは、言葉にせず会得することにあるとはいえ、人の知恵には届く者と届かない者がいる。それで孔子は時に、一つの隅を挙げてその義(意味)を語った。義とは先王が礼を制定した意味のことで、『礼記』(戴記)に載っているのがみなそれである。ただ人の知恵には届く者と届かない者がいる。だから七十人の弟子が先王を信じる度合いは、孔子が先王を信じる度合いに及ばず、その後の人が七十人の弟子を信じる度合いも、弟子たちが孔子を信じる度合いに及ばない。そのため人にわからせようと急ぐあまり、義をしきりに論じて止まず、日ごとにはびこって、戦国時代になると、義はついに礼から離れて独り歩きし、礼に即して義を語ることがなくなった。孟子の書を見ればわかる。それ以後、古からますます遠ざかり、義理の説がいよいよ盛んになって、騒がしく天下を乱し、先王と孔子の教えはすっかり消え失せてしまった。悲しいことだ。

解説

礼の意味を説明すること自体は孔子もした。しかし世代を下るごとに先王への信頼が薄れ、人を説得しようと焦って解説ばかりが増え、戦国時代には意味の議論が礼そのものから切り離されて独り歩きしたと徂徠は見る。『孟子』はその代表であり、宋代の義理学はその行き着いた先である。現場の手順を伴わない理念論が膨らむと、組織は言葉だけで動いている気になる。解説は型に即してこそ生きるという戒めとして読める。

この章句が説くこと

礼義孟子義理礼楽伝承

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