政談 / 諸大名の困窮を救ふ事
昔は大名に物をつかはすること上策なれとも、今は諸大名の困窮至極になりたれは身上をよくたもちて永々參勤交代のなるやうにする事是當時の良策なるへし、其仕方は之も公儀と同斷にて其國より出つるものを直に取用ひて金にてものを調へぬ仕方有へし、家中の武士をは皆知行所を割り渡して面々の知行所に居住し城下へ勤番をするやうにし、偖參勤の節召つるゝ人數を殊の外に减少し、御城下徃來の供まわりをも隨分に減し、奧方の作法より始まり其身の持やう、食事衣服器物家居人のつかひやう音信贈答使しやの次第冠婚喪祭の禮まて、その官位知行高に應し何れも隨分に物入少く取りつゝきのなるやうに積り、上より制度を立て玉ふへき事なり、公儀にばかり制度を立てゝそれに準すへしなとゝあるやう成ことにては今まて並を見合はせて仕來りたることを既に格と名を付けたれは之を改むることなりかたし、この格と名を付たることをやふることは公儀より新たに制度を立玉はすしては仲々破れ難し、之れを破らすしては諸大名の身上は直るへからさるなり、
新字:昔は大名に物をつかはすること上策なれとも、今は諸大名の困窮至極になりたれは身上をよくたもちて永々参勤交代のなるやうにする事是当時の良策なるへし、其仕方は之も公儀と同断にて其国より出つるものを直に取用ひて金にてものを調へぬ仕方有へし、家中の武士をは皆知行所を割り渡して面々の知行所に居住し城下へ勤番をするやうにし、偖参勤の節召つるゝ人数を殊の外に减少し、御城下往来の供まわりをも随分に減し、奥方の作法より始まり其身の持やう、食事衣服器物家居人のつかひやう音信贈答使しやの次第冠婚喪祭の礼まて、その官位知行高に応し何れも随分に物入少く取りつゝきのなるやうに積り、上より制度を立て玉ふへき事なり、公儀にばかり制度を立てゝそれに準すへしなとゝあるやう成ことにては今まて並を見合はせて仕来りたることを既に格と名を付けたれは之を改むることなりかたし、この格と名を付たることをやふることは公儀より新たに制度を立玉はすしては仲々破れ難し、之れを破らすしては諸大名の身上は直るへからさるなり、
書き下し
昔は大名に物をつかはすること上策なれとも、今は諸大名の困窮至極になりたれは身上をよくたもちて永々参勤交代のなるやうにする事是当時の良策なるへし、其仕方は之も公儀と同断にて其国より出つるものを直に取用ひて金にてものを調へぬ仕方有へし、家中の武士をは皆知行所を割り渡して面々の知行所に居住し城下へ勤番をするやうにし、偖参勤の節召つるゝ人数を殊の外に减少し、御城下往来の供まわりをも随分に減し、奥方の作法より始まり其身の持やう、食事衣服器物家居人のつかひやう音信贈答使しやの次第冠婚喪祭の礼まて、その官位知行高に応し何れも随分に物入少く取りつゝきのなるやうに積り、上より制度を立て玉ふへき事なり、公儀にばかり制度を立てゝそれに準すへしなとゝあるやう成ことにては今まて並を見合はせて仕来りたることを既に格と名を付けたれは之を改むることなりかたし、この格と名を付たることをやふることは公儀より新たに制度を立玉はすしては仲々破れ難し、之れを破らすしては諸大名の身上は直るへからさるなり、
現代語訳
昔は大名に物を使わせることが上策であったが、今は諸大名の困窮が極まったので、財政をよく保って末永く参勤交代ができるようにすることが当節の良策であろう。そのやり方は、これも公儀と同じで、その国から出る物を直接取り用いて、金で物を調えない仕方があるべきである。家中の武士にはみな知行所を割り渡して、各自の知行所に住まわせ、城下へは勤番をするようにし、さて参勤の際に召し連れる人数をとりわけ減らし、御城下を往来する供回りもできるだけ減らし、奥方の作法をはじめ、その身の処し方、食事・衣服・器物・住まい・人の使い方、音信・贈答・使者の次第、冠婚葬祭の礼まで、その官位・知行高に応じて、いずれもできるだけ出費が少なく続けていけるように見積もり、お上から制度を立てられるべきことである。公儀にだけ制度を立てて、それに準ずべしなどというようなことでは、今まで横並びを見比べて続けてきたことをすでに「格」と名づけているので、これを改めることは難しい。この格と名づけたことを破るのは、公儀から新たに制度を立てられなければなかなか破れない。これを破らなければ、諸大名の財政は直らないのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』離婁上 首章此の章、徒善にても徒法にても用を済まさず、法と善と兼備するに非ざれば不可なることを云ひて、重きを法に帰し、仁心仁聞ありて民其の沢を被らざるを議る。孟子の所謂法は即ち王政なり、仁政なり、五畝の宅・百畝の田・庠序学校の設けの類なり。然れども後世政を執る者深く察せず、却つて此の語に誤らるる者あり。宋の王安石、明の方孝孺の如き皆是れなり。安石・孝孺皆謂へらく、政の要は法の善悪にありと。故に務めて法度を紛更変易せんと欲す。是れ大いに非なり。大凡道に汚隆あり徳に厚薄ありと云へども、創業垂統の主は必ず百世に伝ふるの制度ある者なり。故に守成の臣子たる者は務めて祖宗の法制を講究し、且つ徒法にならざる様にするは徳を修むるにあるのみ。若し己の徳を修むるを知らず、祖宗の法制あるをも知らず、別に先王の法を求め周室の制に倣ふ時は、必ず枘鑿矛盾して大害大変を生ずること必せり。是れ安石・孝孺の誤る所なり。然らば孟子の説は非か。云ふ、否。治を為すは太甚を去るべし。孟子の時諸国の政大いに乱る。故に其の太甚を去りて是れを成周の旧に復せんと欲するなり。且つ孟子の時大いに乱ると雖も、猶周家の余緒を承く。宋明の周制を用ひ旧制を変じ、大いに人情に戾り衆目を駭かす如きに非ざるなり。是れ知らざるべからず。
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『政談』金銀錢員數減少する仔細の事元禄の時分も金銀殖えたる勢に乗して世界の旅宿を改め、物の制度を立てたらは世は箇様に成るましきなり、当時先々も同しく旅宿の境界を已めて、物の制度を立てゝ、よくとくとゆりすわりたらは、金銀正徳の半減になるとても世界も困窮すましきことなれとも、既に斯の如く困窮したるを直さすしては、旅宿の境界を巳むることも物の制度を立つることも甚た以て難きことなり、総して世界の有様を仕替ゆることは人々の仕慣れたる筋を引換ゆることなれは人々心赴むき難きことなり、騒動に成りて世界愈々困窮になり行く、先の善き事は持ち難かるへし、唯々当分世界の甚た久く賑ふことを執行はすんはあるへからす、当時如何様のことをして世界を賑はすへきと工夫するに、銭を鋳るに若くはなかるへし、
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『講孟余話』滕文公上 第三章余をして横渠の時に生れしめば、必ず此の事を成さん者をと思へども、幽明道遥かにして詮方なし。況や今囹圄の囚となり、志ありと云へども遂ぐべき様なし。徒に横渠の説を読みて感涙胸を沽すのみ。但し横渠の説は田を画し井となすか最も用意の所と見えたり。仁政は経界より始まるとあれば、此の事固より要務にはあるべけれど、是れは法制に係りたることにて、万一人情に合し土俗に宜からぬことあれば、大いに民間を擾乱するに至る。故に夫れよりは此の一節に云ふ所の実を主として行ひ度きことなり。
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『政談』制度の事制度の事は右所々に云ひたる如く、上下倹約を守り奢りなきやうにする仕方之に越ゆることなし、公儀に御倹約ありて世界の手本と遊はさるゝ御心にても、制度立てられさるときは下たるもの守るへきやうなく、唯々上には御物好きにても斯の如しと存することになり、いたらぬものは金をたむることか御物好きなりなとゝ取沙汰するまてにて下の為にはならす、上の御身上も制度立たぬときは御代も移りては亦上の御物好きにて皆破るゝことになること故、畢竟詮もなきことゝなるへし、
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人物志・利害法家の業は、制度に本づき、成功を待ちて効あり。其の道は口を前にして治を後にし、厳にして衆の為にす。故に其の未だ達せざるや、衆人の忌む所と為り、已に試みらるるや、上下の憚る所と為る。
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『政談』制度の事右の如く衣服等の制度を定めんにはかはり目のきわ境なくては叶はさること也、先つ東照宮へ御告あるへきことなり、日光御社参を仰せ出され、二年三年も前より御供廻の装束、諸大名の参詣の装束此度は斯の如くあるへしと号令ありて篤と支度させ、夫より直に平日に用ゆるやうに有りたきことなり、右一同上下仕換ゆることなれは、我人悪しきと、又例の手くせを出し利をまうけんとたくむへけれは、其の手当あるへきこと也、右の如く武家の制度を委細に立つること倹約の至極なれとも、諸事を新たに仕換ゆることなれは、当時困窮したる世界にては次第なく急にはなりかたかるへし、只先つ道中幷に御城下は幾何の供廻りを減少し、諸大名は江戸詰の家来を少くし、銭を鋳、貸借の道を開き、御旗本の諸士家中の武士のことは先つ其の儘にし置き、諸事の簡易に取捌くはかりにして最初に町人百姓と武家との差別を急度立つへきことなり、一切の事大そうなる事は先つ粗を立てゝ後に細にするときは仕よきものあり、前後緩急のついでとはこれを云ふなり、
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