講孟余話 / 離婁上 首章
此章徒善ニテモ徒法ニテモ用ヲ濟サス、法ト善ト兼備スルニ非レハ不可ナルコトヲ云テ、重ヲ法ニ歸シ、仁心仁聞アリテ民其沢ヲ被サルヲ議ル、孟子ノ所謂法ハ即王政ナリ、仁政ナリ、五畝ノ宅、百畝ノ田、産序學校ノ設ノ類ナリ、然トモ後世政ヲ執ル者深ク察セス、却テ此語ニ誤ラルヽ者アリ、宋ノ王安石、明ノ方孝孺ノ如キ皆是ナリ、安石、孝孺皆謂ラク政ノ要ハ法ノ善惡ニアリト、故ニ務テ法度ヲ紛更變易セント欲ス、是大ニ非ナリ、大凢道汗隆アリ德厚薄アリト云トモ、創業垂統ノ主ハ必ス百世ニ傳フルノ制度アル者ナリ、故ニ守成ノ臣子タル者ハ務テ祖宗ノ法制ヲ講究シ、且徒法ニナラサル樣ニスルハ德ヲ脩ムルニアルノミ、若シ己ノ德ヲ脩ムルヲ知ラス、祖宗ノ法制アルヲモ知ラス、別ニ先王ノ法ヲ求メ周室ノ制ニ倣フ時ハ必ス柄鑿矛盾シテ大害大変ヲ生スルコト必セリ、是安石孝孺ノ誤ル所ナリ、然ラハ孟子ノ說ハ非カ、云ク否、治ヲ爲スハ太甚ヲ去ルヘシ、孟子ノ時諸國ノ政大ニ亂ル、故ニ其太甚ヲ去テ是ヲ成周ノ舊ニ復セント欲スルナリ、且孟子ノ時大ニ亂ルト雖トモ、猶周家ノ餘緒ヲ承ク、宋明ノ周制ヲ用ヒ舊制ヲ変シ、大ニ人情ニ戾リ衆目ヲ駭ス如キニ非ルナリ、是レ知ラサルヘカラズ
新字:此章徒善ニテモ徒法ニテモ用ヲ済サス、法ト善ト兼備スルニ非レハ不可ナルコトヲ云テ、重ヲ法ニ帰シ、仁心仁聞アリテ民其沢ヲ被サルヲ議ル、孟子ノ所謂法ハ即王政ナリ、仁政ナリ、五畝ノ宅、百畝ノ田、産序学校ノ設ノ類ナリ、然トモ後世政ヲ執ル者深ク察セス、却テ此語ニ誤ラルヽ者アリ、宋ノ王安石、明ノ方孝孺ノ如キ皆是ナリ、安石、孝孺皆謂ラク政ノ要ハ法ノ善悪ニアリト、故ニ務テ法度ヲ紛更変易セント欲ス、是大ニ非ナリ、大凢道汗隆アリ徳厚薄アリト云トモ、創業垂統ノ主ハ必ス百世ニ伝フルノ制度アル者ナリ、故ニ守成ノ臣子タル者ハ務テ祖宗ノ法制ヲ講究シ、且徒法ニナラサル様ニスルハ徳ヲ脩ムルニアルノミ、若シ己ノ徳ヲ脩ムルヲ知ラス、祖宗ノ法制アルヲモ知ラス、別ニ先王ノ法ヲ求メ周室ノ制ニ倣フ時ハ必ス柄鑿矛盾シテ大害大変ヲ生スルコト必セリ、是安石孝孺ノ誤ル所ナリ、然ラハ孟子ノ説ハ非カ、云ク否、治ヲ為スハ太甚ヲ去ルヘシ、孟子ノ時諸国ノ政大ニ乱ル、故ニ其太甚ヲ去テ是ヲ成周ノ旧ニ復セント欲スルナリ、且孟子ノ時大ニ乱ルト雖トモ、猶周家ノ余緒ヲ承ク、宋明ノ周制ヲ用ヒ旧制ヲ変シ、大ニ人情ニ戻リ衆目ヲ駭ス如キニ非ルナリ、是レ知ラサルヘカラズ
書き下し
此の章、徒善にても徒法にても用を済まさず、法と善と兼備するに非ざれば不可なることを云ひて、重きを法に帰し、仁心仁聞ありて民其の沢を被らざるを議る。孟子の所謂法は即ち王政なり、仁政なり、五畝の宅・百畝の田・庠序学校の設けの類なり。然れども後世政を執る者深く察せず、却つて此の語に誤らるる者あり。宋の王安石、明の方孝孺の如き皆是れなり。安石・孝孺皆謂へらく、政の要は法の善悪にありと。故に務めて法度を紛更変易せんと欲す。是れ大いに非なり。大凡道に汚隆あり徳に厚薄ありと云へども、創業垂統の主は必ず百世に伝ふるの制度ある者なり。故に守成の臣子たる者は務めて祖宗の法制を講究し、且つ徒法にならざる様にするは徳を修むるにあるのみ。若し己の徳を修むるを知らず、祖宗の法制あるをも知らず、別に先王の法を求め周室の制に倣ふ時は、必ず枘鑿矛盾して大害大変を生ずること必せり。是れ安石・孝孺の誤る所なり。然らば孟子の説は非か。云ふ、否。治を為すは太甚を去るべし。孟子の時諸国の政大いに乱る。故に其の太甚を去りて是れを成周の旧に復せんと欲するなり。且つ孟子の時大いに乱ると雖も、猶周家の余緒を承く。宋明の周制を用ひ旧制を変じ、大いに人情に戾り衆目を駭かす如きに非ざるなり。是れ知らざるべからず。
現代語訳
この章は、善い心だけでも法だけでも役に立たず、法と善を兼ね備えなければだめだと言い、その重みを法の方に置いて、仁の心や仁の評判があっても民がその恩恵を受けていないことを批判している。孟子の言う法とは王政であり仁政であって、五畝の宅地、百畝の田、学校の設置といったものである。ところが後世の政治家はこれを深く考えず、かえってこの言葉に惑わされた者がいる。宋の王安石や明の方孝孺がそうである。二人とも、政治の要は法の善し悪しにあると考え、努めて法や制度を変えようとした。これは大きな誤りである。およそ道には盛衰があり、徳には厚い薄いがあるが、国を開き後に伝える君主は、必ず百代に伝える制度を持っているものである。だから、それを守り継ぐ臣下は、努めて先祖の法制を研究し、さらにそれを形だけの法にしないようにするには、自分の徳を修めるしかない。もし自分の徳を修めることを知らず、先祖の法制があることも知らずに、別に古の王の法を求めて周の制度をまねれば、必ず穴と栓が合わないように食い違い、大きな害と変事を生むに違いない。これが王安石・方孝孺の誤ったところである。では孟子の説は誤りか。いや、そうではない。政治を行うには、ひどすぎるところを取り除くべきである。孟子の時代は諸国の政治が大いに乱れていた。だからそのひどいところを取り除いて、周の盛時の旧制に戻そうとしたのである。しかも孟子の時代は乱れていたとはいえ、まだ周の名残を受けていた。宋や明で周の制度を持ち込み、旧制を変えて人情に大きく背き、人々の目を驚かせたのとは違う。このことは知っておかねばならない。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』滕文公上 第三章余をして横渠の時に生れしめば、必ず此の事を成さん者をと思へども、幽明道遥かにして詮方なし。況や今囹圄の囚となり、志ありと云へども遂ぐべき様なし。徒に横渠の説を読みて感涙胸を沽すのみ。但し横渠の説は田を画し井となすか最も用意の所と見えたり。仁政は経界より始まるとあれば、此の事固より要務にはあるべけれど、是れは法制に係りたることにて、万一人情に合し土俗に宜からぬことあれば、大いに民間を擾乱するに至る。故に夫れよりは此の一節に云ふ所の実を主として行ひ度きことなり。
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人物志・利害法家の業は、制度に本づき、成功を待ちて効あり。其の道は口を前にして治を後にし、厳にして衆の為にす。故に其の未だ達せざるや、衆人の忌む所と為り、已に試みらるるや、上下の憚る所と為る。
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