政談 / 御旗本諸士の困窮を救ふ事
御旗本の諸士の困窮を直すこと前に段々云たる如く、知行所に置て旅宿の境界を改むると制度を立るとにて困窮は直るへし、但し知行所に差置に付ては所を賑はす心得あるへきなり、某久しく田舍に住みて見、又其後も田舍より來る人の話を聞くに、百姓は愚かなる者にて所にて前より仕きたらさることをはさりとはせぬものなり、是は其地頭より下知して或は桑を植ゑて蠶をさせ、或は麻を植ゑ、漆を植ゑ、楮を植ゑ、總して山を立させ、何に付きても地の利を見立てゝ所を賑はすやうなる仕方あるへし、古より民の治めに勸農と云ふことのあるは此事なり、水戶の義公水戶にて紙をすかせ、茶を樹させ、海境の川に海苔を仕付け、白魚を蒔き、種々のことを仰せつけられて昔は水戶になき物今は出つるなり、又龜井隱岐守か家老の了簡にて先年石見に木の曲り多きを考へ、鞍打を呼寄せ鞍を打せ、夫より津和野より鞍出來し、隱岐守諸方へ音信にも之を用ゆ、箇樣なるたぐひの事いくらも有て民の爲め地頭の爲め賑ひになるへきなり、
新字:御旗本の諸士の困窮を直すこと前に段々云たる如く、知行所に置て旅宿の境界を改むると制度を立るとにて困窮は直るへし、但し知行所に差置に付ては所を賑はす心得あるへきなり、某久しく田舎に住みて見、又其後も田舎より来る人の話を聞くに、百姓は愚かなる者にて所にて前より仕きたらさることをはさりとはせぬものなり、是は其地頭より下知して或は桑を植ゑて蠶をさせ、或は麻を植ゑ、漆を植ゑ、楮を植ゑ、総して山を立させ、何に付きても地の利を見立てゝ所を賑はすやうなる仕方あるへし、古より民の治めに勧農と云ふことのあるは此事なり、水戸の義公水戸にて紙をすかせ、茶を樹させ、海境の川に海苔を仕付け、白魚を蒔き、種々のことを仰せつけられて昔は水戸になき物今は出つるなり、又亀井隠岐守か家老の了簡にて先年石見に木の曲り多きを考へ、鞍打を呼寄せ鞍を打せ、夫より津和野より鞍出来し、隠岐守諸方へ音信にも之を用ゆ、箇様なるたぐひの事いくらも有て民の為め地頭の為め賑ひになるへきなり、
書き下し
御旗本の諸士の困窮を直すこと前に段々云たる如く、知行所に置て旅宿の境界を改むると制度を立るとにて困窮は直るへし、但し知行所に差置に付ては所を賑はす心得あるへきなり、某久しく田舎に住みて見、又其後も田舎より来る人の話を聞くに、百姓は愚かなる者にて所にて前より仕きたらさることをはさりとはせぬものなり、是は其地頭より下知して或は桑を植ゑて蠶をさせ、或は麻を植ゑ、漆を植ゑ、楮を植ゑ、総して山を立させ、何に付きても地の利を見立てゝ所を賑はすやうなる仕方あるへし、古より民の治めに勧農と云ふことのあるは此事なり、水戸の義公水戸にて紙をすかせ、茶を樹させ、海境の川に海苔を仕付け、白魚を蒔き、種々のことを仰せつけられて昔は水戸になき物今は出つるなり、又亀井隠岐守か家老の了簡にて先年石見に木の曲り多きを考へ、鞍打を呼寄せ鞍を打せ、夫より津和野より鞍出来し、隠岐守諸方へ音信にも之を用ゆ、箇様なるたぐひの事いくらも有て民の為め地頭の為め賑ひになるへきなり、
現代語訳
御旗本の諸士の困窮を直すことは、前に段々述べたとおり、知行所に住まわせて旅宿の境遇を改めることと、制度を立てることとで、困窮は直るであろう。ただし知行所に住まわせるについては、その土地を賑わす心得がなければならない。私は長く田舎に住んで見、またその後も田舎から来る人の話を聞いたが、百姓は愚かな者で、その土地で前からしてこなかったことは決してしないものである。そこで、その地頭(領主)から指図して、あるいは桑を植えて蚕を飼わせ、あるいは麻を植え、漆を植え、楮を植え、総じて山林を育てさせ、何につけても土地の利を見立てて、その土地を賑わすような仕方があるべきである。昔から民の治め方に「勧農」ということがあるのはこのことである。水戸の義公(徳川光圀)は水戸で紙を漉かせ、茶を植えさせ、海辺の川に海苔を付けさせ、白魚を放たせるなど、種々のことを命じられて、昔は水戸になかった物が今は出るようになった。また亀井隠岐守の家老の考えで、先年、石見に曲がった木が多いことに目をつけ、鞍打ち職人を呼び寄せて鞍を作らせ、それから津和野から鞍が出るようになり、隠岐守は諸方への音信(贈り物)にもこれを用いている。このような類のことはいくらもあって、民のため、地頭のための賑わいになるはずである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事田舎に武家居住せさる故武家田舎へ行きて放埓をするを気遣ひ、五里外へ罷出つることは今はならさることなれとも、夫とは違ひ在々所々に地頭之ある上は筋ある所へ参り放埓すへきやうなし、川狩鹿狩をも仕りて山川をかけありき、国中の地理をも知り、嶮岨にもなれ、物事に武士にわさ功者になるへし、当時は我か身江戸にありて知行所遠方なれは、なじみもなく恩義も貫ぬかす、只百姓よりは年貢をとる者と覚え、百姓は亦年貢を出だすとはかり覚え、唯々取らん取られじの心計りにて百姓に非道をするやからも之あれとも、不断に我か住所にて見なれ聞なれする時は愛憐の心も自然と生し、如何様の人にても百姓をさのみ惨くはせぬこと是亦人情なり、武家を知行所に差置くこと斯の如く徳ありて甚た宜しきことなり、
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『政談』諸大名の困窮を救ふ事諸大名の身上のこと是亦同断なり、其身上の困究するいはれは、隔年に江戸詰する故御城下をはれと覚え、物成悉く売り払ひ金にして江戸にて遣ひ棄ることは大名の境界なり、これによりて自分のをこりたへ〳〵なるも、江戸の物価高直になることによりて次第にもの入り強くなる、慶長寛永の頃まては諸大名謀叛を気遣ひ金を遣はするやうにすること其時分御年寄ともの計策なり、これによりて御老中諸大名よりものをとること却て御奉公の筋にて、其時分は曽て遠慮なきことなりと云ふ、此筋盛遣に成て御先々前御代の頃は御手伝ひ等仰せ付らるゝこと盛なる故諸大名愈々物をひ、上の御威勢の烈しきに恐れて手前の困窮をも顧みす、京都大坂の町人より金を借り返弁もならす、大方はよこにねることになれは其後は金を貸さす、然るに金銀のかはりめになり困窮以ての外なり、
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『政談』御旗本諸士の困窮を救ふ事右に段々記したる通り制度を立つると旅宿の境界を巳むると、此二つ困窮を巳むる根本也、世話しなき風俗の事は上の思召老中の心得にあることなれは今更之を已むる仕方とて別にはなし、大抵此通りなれとも困窮の上にも近年困窮甚しくなりたる仔細三色あり、一つには諸色の直段高直に成たること、二つには金銀の数減少したること、三つには貸借の道塞かりて少なき金銀流通せさること是なり、是に由りて此三色の手当なきときは行き支へ有るべきなり、其手当左に記す、
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『政談』御旗本諸士の困窮を救ふ事某唐筆弓の仕やうを人に教へさせたるに、書籍にある通りに成るほと出来て弓の力も随分に強く善けれども、御当地にてする故にもの入り夥し、又手間とる故商人なとは仲々すましきなり、弩弓をさせたるに是も書藉にあるやうに能く出来れとも、御当地に善き竹なし、竹なども愚かなる商人の己れか渡世利倍を第一としてたやすく売らるゝもの許りを御当地へ持ち来る故、遠国には様々の竹あるべけれとも詮方なし、笙なとも竹なくて細工なりかたし、此たぐひの事も武家たる人田舎に住みてものを仕立つる心あらは、異国古のものも今復た世界に多く出来すべきこと也、
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『政談』諸大名の困窮を救ふ事昔は大名に物をつかはすること上策なれとも、今は諸大名の困窮至極になりたれは身上をよくたもちて永々参勤交代のなるやうにする事是当時の良策なるへし、其仕方は之も公儀と同断にて其国より出つるものを直に取用ひて金にてものを調へぬ仕方有へし、家中の武士をは皆知行所を割り渡して面々の知行所に居住し城下へ勤番をするやうにし、偖参勤の節召つるゝ人数を殊の外に减少し、御城下往来の供まわりをも随分に減し、奥方の作法より始まり其身の持やう、食事衣服器物家居人のつかひやう音信贈答使しやの次第冠婚喪祭の礼まて、その官位知行高に応し何れも随分に物入少く取りつゝきのなるやうに積り、上より制度を立て玉ふへき事なり、公儀にばかり制度を立てゝそれに準すへしなとゝあるやう成ことにては今まて並を見合はせて仕来りたることを既に格と名を付けたれは之を改むることなりかたし、この格と名を付たることをやふることは公儀より新たに制度を立玉はすしては仲々破れ難し、之れを破らすしては諸大名の身上は直るへからさるなり、
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『政談』財の賑の大概所詮の所皆困窮より生す、国の困窮するは病人の元気尽るか如し、元気尽れは病死すること必然の理なり、元気盛なれは何如様の大病を受ても療治はなるものなる故に、上医は必す大病人の元気に心を付け、能く国を治むる人は古より国の困窮せぬやうにと心を用ふることなり、こゝの界を会得して国の豊かに富むやうにすることを定め根本となさゝれは、何事を差措きても当時上下の困窮を救ふ道を穿索せすして叶はさること也、御当家(徳川氏を謂ふ)に於て諸大名を御城下に聚め置るゝこと東照宮の神慮より起りて乱を制する扣へ綱なり、されとも上下斯の如く困窮したる其果は諸大名動く力もなくて、其困窮真実にして偽りなくんば自ら参勤を許さずして叶はざることになるべし、参勤を許したるとも上の御威光にては当分は何事もあるまじけれども、是れ法の破らるゝ所なれば至極に重き法さへ破らるゝ上は何事も埒もなくなりて果ては言語同断になるべきなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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