政談 / 當時世話敷風俗を改むへき事
一所に二十日も三十日も居て又わきへ往き、乾きたる時節を考へて來りて蒔繪をする、其漆も別に買ひ整へ置きて擦らせ、下地をも兼て下拵へ置きたる故何もかも望のやうに拵へて丈夫なり、又御旗本の家に三河居住の時分娘の緣付きのため、其娘四五歲の時分より兼て心掛け毎年一色二色つゝ拵へ置きたる諸道具、某幼少の時まては遺りて有るを見たり、何も手前にて拵へたる物故其丈夫なること甚し、又上總國松ケ谷と云ふ村に釋迦堂あり、飛驒の「たくみ」か建てたると云ひ傳へり、棟札を見れは四五百年にもなるべし、飛騨の「たくみ」と云は總して飛驒の國より出てたる大工なり、其時分上總の國中に大工なし、飛驒大工上京して公役を勤むる者あり、國々を廻るもあり、先き〳〵にて普請を受取りて木取りを爲し、夫より五里も十里もわきへゆき、段々先きより先きへ行き、右の最初受取りたる普請の木取り枯れたる時分に廻りて來て木を削り立て、篤と拵へて又わきへ行き篤と枯れたる時分に來る故一所の普請に二年三年も掛るなり、
新字:一所に二十日も三十日も居て又わきへ往き、乾きたる時節を考へて来りて蒔絵をする、其漆も別に買ひ整へ置きて擦らせ、下地をも兼て下拵へ置きたる故何もかも望のやうに拵へて丈夫なり、又御旗本の家に三河居住の時分娘の縁付きのため、其娘四五歳の時分より兼て心掛け毎年一色二色つゝ拵へ置きたる諸道具、某幼少の時まては遺りて有るを見たり、何も手前にて拵へたる物故其丈夫なること甚し、又上総国松ケ谷と云ふ村に釈迦堂あり、飛驒の「たくみ」か建てたると云ひ伝へり、棟札を見れは四五百年にもなるべし、飛騨の「たくみ」と云は総して飛驒の国より出てたる大工なり、其時分上総の国中に大工なし、飛驒大工上京して公役を勤むる者あり、国々を廻るもあり、先き〳〵にて普請を受取りて木取りを為し、夫より五里も十里もわきへゆき、段々先きより先きへ行き、右の最初受取りたる普請の木取り枯れたる時分に廻りて来て木を削り立て、篤と拵へて又わきへ行き篤と枯れたる時分に来る故一所の普請に二年三年も掛るなり、
書き下し
一所に二十日も三十日も居て又わきへ往き、乾きたる時節を考へて来りて蒔絵をする、其漆も別に買ひ整へ置きて擦らせ、下地をも兼て下拵へ置きたる故何もかも望のやうに拵へて丈夫なり、又御旗本の家に三河居住の時分娘の縁付きのため、其娘四五歳の時分より兼て心掛け毎年一色二色つゝ拵へ置きたる諸道具、某幼少の時まては遺りて有るを見たり、何も手前にて拵へたる物故其丈夫なること甚し、又上総国松ケ谷と云ふ村に釈迦堂あり、飛驒の「たくみ」か建てたると云ひ伝へり、棟札を見れは四五百年にもなるべし、飛騨の「たくみ」と云は総して飛驒の国より出てたる大工なり、其時分上総の国中に大工なし、飛驒大工上京して公役を勤むる者あり、国々を廻るもあり、先き〳〵にて普請を受取りて木取りを為し、夫より五里も十里もわきへゆき、段々先きより先きへ行き、右の最初受取りたる普請の木取り枯れたる時分に廻りて来て木を削り立て、篤と拵へて又わきへ行き篤と枯れたる時分に来る故一所の普請に二年三年も掛るなり、
現代語訳
一か所に二十日も三十日もいて、またよそへ行き、乾いた時節を見計らって戻ってきて蒔絵をする。その漆も別に買い整えておいて擦らせ、下地もかねて下ごしらえしておくので、何もかも望みどおりに作れて丈夫である。また、ある御旗本の家に、三河に住んでいた時分に娘の縁組のため、その娘が四、五歳の頃からかねて心掛けて、毎年一品二品ずつ作っておいた諸道具が、私の幼少の頃までは遺っているのを見た。何も手元で作った物なので、その丈夫なことははなはだしい。また上総国の松ヶ谷という村に釈迦堂があり、飛騨の「たくみ」が建てたと言い伝えている。棟札を見れば四、五百年にもなるだろう。飛騨の「たくみ」というのは、総じて飛騨の国から出た大工のことである。その時分、上総の国中には大工がいなかった。飛騨の大工には上京して公役を勤める者もあり、国々を回る者もあった。行く先々で普請を引き受けて木取りをし、それから五里も十里もよそへ行き、だんだん先へ先へと行って、最初に引き受けた普請の木取りが枯れた時分に回ってきて木を削り立て、念入りに作ってまたよそへ行き、十分に枯れた時分に来るので、一か所の普請に二年も三年もかかるのである。
解説
この章句が説くこと
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