政談 / 財の賑の大概
太平久しく續く時は漸々上下困窮し、夫よりして紀綱亂れて終には亂を生す、和漢古今ともに治世より亂世に移ることは皆世の困窮より出る事、歷代のしるし鏡に懸て明かなり、故に國天下を治むるには先つ富豐かなる樣にする事是れ治めの根本なり、管仲が言葉にも衣食足而榮辱を知ると云へり、孔子も富て後敎ゆると宣へり、手前困窮して衣食足らされは禮儀を嗜む心なくなりて、下に禮儀なければ種々の惡事はこれよりして生し、國終に亂るゝこと自然の道理なり、何程法度を嚴しくし上の威勢を以て下知すと雖も、上下困窮して動く力もなきやうになりたる時節に至りては、其動く力もなき所僞りもなく眞實なる故用捨せすして叶はす、然れども彼處をも用捨し此處をも用捨すれば後は法の破るゝことに成るなり、法は國を維く綱なる故法破れては亂れずと云ふことなし、其法の破るゝ所を憂へて其動く力もなきものに用捨をせされは、畢竟力に叶はぬことを下知すると云ふ物になりて、無理な名を得る故是亦亂を招く媒介なり、
新字:太平久しく続く時は漸々上下困窮し、夫よりして紀綱乱れて終には乱を生す、和漢古今ともに治世より乱世に移ることは皆世の困窮より出る事、歴代のしるし鏡に懸て明かなり、故に国天下を治むるには先つ富豊かなる様にする事是れ治めの根本なり、管仲が言葉にも衣食足而栄辱を知ると云へり、孔子も富て後教ゆると宣へり、手前困窮して衣食足らされは礼儀を嗜む心なくなりて、下に礼儀なければ種々の悪事はこれよりして生し、国終に乱るゝこと自然の道理なり、何程法度を厳しくし上の威勢を以て下知すと雖も、上下困窮して動く力もなきやうになりたる時節に至りては、其動く力もなき所偽りもなく真実なる故用捨せすして叶はす、然れども彼処をも用捨し此処をも用捨すれば後は法の破るゝことに成るなり、法は国を維く綱なる故法破れては乱れずと云ふことなし、其法の破るゝ所を憂へて其動く力もなきものに用捨をせされは、畢竟力に叶はぬことを下知すると云ふ物になりて、無理な名を得る故是亦乱を招く媒介なり、
書き下し
太平久しく続く時は漸々上下困窮し、夫よりして紀綱乱れて終には乱を生す、和漢古今ともに治世より乱世に移ることは皆世の困窮より出る事、歴代のしるし鏡に懸て明かなり、故に国天下を治むるには先つ富豊かなる様にする事是れ治めの根本なり、管仲が言葉にも衣食足而栄辱を知ると云へり、孔子も富て後教ゆると宣へり、手前困窮して衣食足らされは礼儀を嗜む心なくなりて、下に礼儀なければ種々の悪事はこれよりして生し、国終に乱るゝこと自然の道理なり、何程法度を厳しくし上の威勢を以て下知すと雖も、上下困窮して動く力もなきやうになりたる時節に至りては、其動く力もなき所偽りもなく真実なる故用捨せすして叶はす、然れども彼処をも用捨し此処をも用捨すれば後は法の破るゝことに成るなり、法は国を維く綱なる故法破れては乱れずと云ふことなし、其法の破るゝ所を憂へて其動く力もなきものに用捨をせされは、畢竟力に叶はぬことを下知すると云ふ物になりて、無理な名を得る故是亦乱を招く媒介なり、
現代語訳
太平が長く続くと、しだいに上下ともに困窮し、そこから国の大綱が乱れて、ついには乱を生じる。和漢古今を通じて、治世から乱世へ移るのはみな世の困窮から出ることで、歴代の実例を鏡に映すように明らかである。だから国や天下を治めるには、まず富み豊かになるようにすることが治めの根本である。管仲の言葉にも「衣食足りて栄辱を知る」とあり、孔子も「富ませてのちに教える」と言われた。自分が困窮して衣食が足りなければ礼儀をたしなむ心がなくなり、下に礼儀がなければさまざまな悪事がここから生じて、国がついに乱れるのは自然の道理である。どれほど法度を厳しくし、上の威勢で命じても、上下が困窮して動く力もなくなった時節に至っては、その動く力もないことは偽りでなく本当なのだから、大目に見ないわけにはいかない。しかしあちらも大目に見、こちらも大目に見れば、やがて法が破れることになる。法は国をつなぎとめる綱なので、法が破れて乱れないということはない。かといって法の破れるのを心配して、動く力もない者を大目に見なければ、結局は力の及ばないことを命じることになり、無理を強いるという評判を得るので、これもまた乱を招くもとになる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)へ町方(まちかた)の何某が訴状(そじょう)を渡すべしと申し候時、請け取るまじきと申し候を、何某が居合わせ、「まず請け取り置き候て、無用と候わば返し申され候えかし」と申し候に付いて、「さらば請け取り置くべし」と申し候時、「請け取らせる物を請け取らずに置く事がなるものか」と、いやしめ申され候由、話す人あり。役所々々(やくしょやくしょ)にて慇懃に取り合うのが士の作法にてあらずとなり。
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『十七条憲法』第四条四に曰わく、群臣(まえつきみ)百寮(もものつかさ)、礼を以て本(もと)と為(せ)よ。其れ民を治むるの本、要(かなめ)は礼に在り。上(かみ)礼無くんば下(しも)斉(ととの)わず。下(しも)礼無くんば以て必ず罪有り。是(ここ)を以て、群臣礼有れば、位次(くらい)乱れず。百姓(ひゃくせい)礼有れば、国家(こっか)自(おのずか)ら治まる。
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孟子・離婁章句上樂正子、子敖に從いて齊に之く。樂正子、孟子に見ゆ。孟子曰く、「子も亦た來たりて我を見るか。」曰く、「先生何為れぞ此の言を出だすや。」曰く、「子來たること幾日ぞ。」曰く、「昔者なり。」曰く、「昔者ならば、則ち我、此の言を出だすも、亦た宜ならずや。」曰く、「舍館未だ定まらざればなり。」曰く、「子、之を聞けりや。舍館定まりて、然る後に長者に見ゆることを求むるか。」曰く、「克、罪有り。」 <語釈> ○「樂正子」、趙注:魯の人樂正克、孟子の弟子なり、齊の右師子敖に從う、子敖、使いして魯に之く、樂正子、之に随い、來たりて齊に之く。○「昔者」、趙注:「昔者」は往なり、數日の閒を謂う。
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孟子・離婁章句下公行子、子の喪有り。右師往きて弔す。門に入るや、進みて右師と言う者有り。右師の位に就きて右師と言う者有り。孟子、右師と言わず。右師悅ばずして曰く、「諸君子皆、驩と言う、孟子獨り驩と言わず。是れ驩を簡にするなり。」孟子、之を聞きて曰く、「禮に、『朝廷には位を歷て相與に言わず、階を踰えて相揖ぜず。』と。我、禮を行わんと欲するに、子敖は我を以て簡なりと為す。亦た異ならずや。」
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「恭者は人を侮らず、儉者は人より奪わず。人を侮り奪うの君は、惟だ順わざらんことを恐る。惡くんぞ恭儉を為すを得んや。恭儉は豈に聲音笑貌を以て為す可けんや。」
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『武士道』第六章 禮儀・絶えず移りゆく流行を追う愚宜なり、衣食足りて礼節を知ると謂ひ、又たヴェブレン氏が多趣味の著『有閑階級論』に於て、礼は『有閑階級者の生活の産む所にして、又た之を表するものなり』と云ふこと。欧人ややもすれば我が礼儀の委曲繊巧に流るるを嗤ひ、思慮を役する大にして、之を固守すること其愚及ぶべからずと評す。予も亦た礼儀の繁縟なるよりして、徒に無用の細節に泥むことあるを知る。されど、泰西の絶えず移りゆく流行を追ふの愚に比するに、予は、にはかに其優劣を判ずるに苦しむものなり。然るに予は彼の流行すらも、なお之を目して、虚栄の癖好なりとせざるのみならず、反つて之を認めて、人心の断えず美を慕ふ所以なりとす。されば何すれぞ、繊巧なる儀礼を以て全く取るに足らずとせんや。
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