政談 / 財の賑の大概
所詮の所皆困窮より生す、國の困窮するは病人の元氣盡るか如し、元氣盡れは病死すること必然の理なり、元氣盛なれは何如樣の大病を受ても療治はなるものなる故に、上醫は必す大病人の元氣に心を付け、能く國を治むる人は古より國の困窮せぬやうにと心を用ふることなり、こゝの界を會得して國の豐かに富むやうにすることを定め根本となさゝれは、何事を差措きても當時上下の困窮を救ふ道を穿索せすして叶はさること也、御當家(德川氏を謂ふ)に於て諸大名を御城下に聚め置るゝこと東照宮の神慮より起りて亂を制する扣へ綱なり、されとも上下斯の如く困窮したる其果は諸大名動く力もなくて、其困窮眞實にして僞りなくんば自ら參勤を許さずして叶はざることになるべし、參勤を許したるとも上の御威光にては當分は何事もあるまじけれども、是れ法の破らるゝ所なれば至極に重き法さへ破らるゝ上は何事も埒もなくなりて果ては言語同斷になるべきなり、
新字:所詮の所皆困窮より生す、国の困窮するは病人の元気尽るか如し、元気尽れは病死すること必然の理なり、元気盛なれは何如様の大病を受ても療治はなるものなる故に、上医は必す大病人の元気に心を付け、能く国を治むる人は古より国の困窮せぬやうにと心を用ふることなり、こゝの界を会得して国の豊かに富むやうにすることを定め根本となさゝれは、何事を差措きても当時上下の困窮を救ふ道を穿索せすして叶はさること也、御当家(徳川氏を謂ふ)に於て諸大名を御城下に聚め置るゝこと東照宮の神慮より起りて乱を制する扣へ綱なり、されとも上下斯の如く困窮したる其果は諸大名動く力もなくて、其困窮真実にして偽りなくんば自ら参勤を許さずして叶はざることになるべし、参勤を許したるとも上の御威光にては当分は何事もあるまじけれども、是れ法の破らるゝ所なれば至極に重き法さへ破らるゝ上は何事も埒もなくなりて果ては言語同断になるべきなり、
書き下し
所詮の所皆困窮より生す、国の困窮するは病人の元気尽るか如し、元気尽れは病死すること必然の理なり、元気盛なれは何如様の大病を受ても療治はなるものなる故に、上医は必す大病人の元気に心を付け、能く国を治むる人は古より国の困窮せぬやうにと心を用ふることなり、こゝの界を会得して国の豊かに富むやうにすることを定め根本となさゝれは、何事を差措きても当時上下の困窮を救ふ道を穿索せすして叶はさること也、御当家(徳川氏を謂ふ)に於て諸大名を御城下に聚め置るゝこと東照宮の神慮より起りて乱を制する扣へ綱なり、されとも上下斯の如く困窮したる其果は諸大名動く力もなくて、其困窮真実にして偽りなくんば自ら参勤を許さずして叶はざることになるべし、参勤を許したるとも上の御威光にては当分は何事もあるまじけれども、是れ法の破らるゝ所なれば至極に重き法さへ破らるゝ上は何事も埒もなくなりて果ては言語同断になるべきなり、
現代語訳
結局のところ、すべては困窮から生じる。国が困窮するのは、病人の元気が尽きるようなものだ。元気が尽きれば病死するのは必然の理である。元気が盛んであれば、どんな大病にかかっても治療はできるものなので、優れた医者は必ず大病人の元気に気を配り、国をよく治める人は昔から国が困窮しないようにと心を用いてきたのである。この境目をよく会得して、国が豊かに富むようにすることを定めて根本としなければ、何事を差しおいても、今の上下の困窮を救う道を探らないわけにはいかないのである。御当家(徳川氏をいう)において諸大名を御城下に集めておかれるのは、東照宮(徳川家康)のお考えから起こったもので、乱を抑えるための控え綱である。しかし上下がこのように困窮した果てには、諸大名は動く力もなくなり、その困窮が本当で偽りがないなら、おのずと参勤を免除せざるをえないことになるだろう。参勤を免除しても、上の御威光によって当分は何事もないだろうが、これは法が破られるところなので、最も重い法さえ破られた以上は、何事もけじめがなくなり、果ては言語道断の事態になるであろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 孝景本紀後九月、更めて(弋)[易]陽を以て陽陵と為す。復た津関を置き、伝を用ゐて出入せしむ。冬、趙国を以て邯鄲郡と為す。五年三月、陽陵・渭橋を作る。五月、募りて陽陵に徙し、銭二十万を予ふ。江都に大暴風西方より来り、城を壊すこと十二丈。丁卯、長公主の子蟜を封じて隆慮侯と為す。広川王を徙して趙王と為す。六年春、中尉(趙)綰を封じて建陵侯と為し、江都の丞相嘉を建平侯と為し、隴西の太守渾邪を平曲侯と為し、趙の丞相嘉を江陵侯と為し、故の将軍布を鄃侯と為す。
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『政談』諸役人に器量を選ふ事当時の治めは余りに人の押へ扣へ特の外に過きたり、唯々子供の守をする如く下たる人をあてかひて悪事をさせぬやうなし、ことの方をは一々に差図をして何事も上へ伺ひて勤むる故、智恵を出たすことは入らぬなり、唯々子供を使ふ如く下を使ふこと是上たる人の智恵にて済むことを覚ゆる、斯の如き世界なる故人々己れか才智を出さす、左れは才智ある人も才智をは出たさす、才智なき人は才智の付くへきやうなし、人の撰みは只立廻り利口にて、上の気に逆からぬやうに物云ひよく、何事も念の入て上へ伺ふ人を何役をも仕落なく勤むへき人々と思ふ、斯の如くなれは下たる人は何事も上へもたれ居て、身を踏み込むことは曽て之なき筈のことなり、
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『墨子』備城門老小の事とせざる者をして城上に守らしむ。術に當たらざる者なり。城、持ちて出づるには必ず眀填を為り、吏民をして皆な之を智知せしむ。一人より百人以上に従うも、持ちて出でて填章を操らざれば、人に従うも亦た故人に非ざれば、乃ち亦た稹章あるなり。千人の将以上、之を止め、行くを得しむる勿かれ。行きて吏卒、之に従わば、皆な斬り、具に以て上に聞す。此れ守城の重禁なり。夫れ姦の生ずる所、審らかにせざる可からざるなり。
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説苑・雜言孔子曰く、「船は水に非ざれば行く可からず、水船中に入れば、則ち其れ没す。故に曰く、君子は厳ならざる可からざるなり、小人は閉ざさざる可からざるなり」と。
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説苑・修文齊の景公射に登るに、晏子禮を脩めて待つ。公曰く、「選射の禮、寡人之を厭う。吾天下の勇士を得て、之と國を圖らんと欲す。」晏子對えて曰く、「君子禮無ければ、是れ庶人なり。庶人禮無ければ、是れ禽獸なり。夫れ臣勇多ければ則ち其の君を弒し、子力多ければ則ち其の長を弒す。然れども敢えてせざる者は、惟だ禮を之れ謂うなり。禮とは民を御する所以なり、轡とは馬を御する所以なり。禮無くして能く國家を治むる者は、嬰未だ之を聞かざるなり。」と。景公曰く、「善し。」と。乃ち射を飭め席を更めて以て上客と為し、終日禮を問う。
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孫子・九地篇是の故に其の兵は修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信ず。祥を禁じ疑いを去れば、死に至るまで之く所無し。
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