政談 / 武家旅宿の境遇を改むる事
當時國大名の所換へは例なきことゝて、御譜代大名はかりに所替仰付けらるゝこと、是れ亦片つりにて宜しからさることなり、所替への物入りは凡そ十年の痛となると昔より申し傳ふるなり、是に依りて昔は所換には定まりて御加增あり、中頃は金を下され、近年其の沙汰なきことは上の御不勝手故なるへし、國持ち大名をは痛めすして、御譜代大名を痛むること何の道理とも辨へ難し、御老中なれは關八州の地へ所替をするも詮なきことなり、姫路兵庫淀郡山なと要樞の地なりとて幼少にてかゆることも、ふるきかたばかりを守りたるぶんにて詮なき事なり、幼少にても家老能く締まり武義を忘れすんは所換させすともよかるへし、成人なれはとて武義の心掛薄きは何の益もあるまし、
新字:当時国大名の所換へは例なきことゝて、御譜代大名はかりに所替仰付けらるゝこと、是れ亦片つりにて宜しからさることなり、所替への物入りは凡そ十年の痛となると昔より申し伝ふるなり、是に依りて昔は所換には定まりて御加增あり、中頃は金を下され、近年其の沙汰なきことは上の御不勝手故なるへし、国持ち大名をは痛めすして、御譜代大名を痛むること何の道理とも弁へ難し、御老中なれは関八州の地へ所替をするも詮なきことなり、姫路兵庫淀郡山なと要枢の地なりとて幼少にてかゆることも、ふるきかたばかりを守りたるぶんにて詮なき事なり、幼少にても家老能く締まり武義を忘れすんは所換させすともよかるへし、成人なれはとて武義の心掛薄きは何の益もあるまし、
書き下し
当時国大名の所換へは例なきことゝて、御譜代大名はかりに所替仰付けらるゝこと、是れ亦片つりにて宜しからさることなり、所替への物入りは凡そ十年の痛となると昔より申し伝ふるなり、是に依りて昔は所換には定まりて御加增あり、中頃は金を下され、近年其の沙汰なきことは上の御不勝手故なるへし、国持ち大名をは痛めすして、御譜代大名を痛むること何の道理とも弁へ難し、御老中なれは関八州の地へ所替をするも詮なきことなり、姫路兵庫淀郡山なと要枢の地なりとて幼少にてかゆることも、ふるきかたばかりを守りたるぶんにて詮なき事なり、幼少にても家老能く締まり武義を忘れすんは所換させすともよかるへし、成人なれはとて武義の心掛薄きは何の益もあるまし、
現代語訳
今は国持ち大名の国替えは例がないこととして、御譜代大名にばかり国替えを仰せ付けられるのも、これまた片手落ちでよくないことである。国替えの費用はおよそ十年の痛手になると昔から言い伝えている。これによって、昔は国替えには決まって御加増があり、中頃は金を下され、近年その沙汰がないのは、上のお台所が苦しいためであろう。国持ち大名は痛めずに、御譜代大名を痛めるのは、どういう道理とも理解しがたい。御老中であれば関八州の地へ国替えをするのも詮ないことである。姫路・兵庫・淀・郡山などは要衝の地だからといって、幼少の当主なら替えることも、古い型ばかりを守っているだけで詮ないことである。幼少でも家老がよく締まって武の道を忘れなければ、国替えさせなくてもよいだろう。成人だからといって武の心がけが薄ければ、何の益もあるまい。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』魯問子墨子曰く、曹公子を出だして宋に於いてす。三年にして反る。子墨子を睹て曰く、「始め吾れ子の門に游びしとき、短褐の衣、藿羮も朝に之を得れば則ち夕に得ず、鬼神を祭祀す。而して夫子の政を以て家、始めより厚し。家、厚きこと有りて謹んで鬼神を祭祀す。然り而して人徒、多く死し、六畜、蕃らず、身は病に湛む。吾れ未だ夫子の道の用う可きを知らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ鬼神の人に欲する所の者は多し。人の髙爵禄に處らば則ち以て賢に讓り、財多ければ則ち以て貧に分かつを欲す。夫れ鬼神、豈に唯だ擢季拑肺を之れ欲せんや。今、子は髙爵禄に處りて以て賢に讓らず、一の不祥なり。財多くして以て貧に分かたず、二の不祥なり。今、子、鬼神に事うるは、唯だ祭るのみ。而して曰く、『病、何自り至れるか』と。是れ猶お百門にして一門を閉じて、『盜、何從り入らん』と曰うがごときなり。是くの若くして福を求むるは、怪の鬼に於いて有らんや。豈に可ならんや」と。
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『韓非子』外儲說左上第三十二鄭県の人卜子の妻市に之き、鼈を買ひて以て帰る。潁水を過ぎ、以て渇すと為すや、因りて縦ちて之に飲ましむ、遂に其の鼈を亡ふ。夫れ少者長者に侍して飲むに、長者飲めば、亦自ら飲むなり。一に曰く、魯人に自ら喜ぶ者有り、長年の酒を飲みて釂すること能はずして則ち之を唾くを見て、亦效ひて之を唾く。一に曰く、宋人に少者の亦善に效はんと欲する有り、長者の飲みて余り無きを見て、酒を堪へて飲むに非ざるも之を尽くさんと欲す。書に曰く、「之を紳し之を束ぬ。」宋人に治むる者有り、因りて帯を重ねて自ら紳束するなり。人曰く、「是れ何ぞや。」対へて曰く、「書之を言ふ、固より然り。」書に曰く、「既に雕し既に琢す、還りて其の樸に帰す。」梁人に治むる者有り、動作言学、事を文に挙げて、曰く、「之を難しとす。」顧って其の実を失ふ。人曰く、「是れ何ぞや。」対へて曰く、「書之を言ふ、固より然り。」
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『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみさればと言うてその内容にのみ腐心して形式を疎外視することもよろしくない。およそ各種の事業として、内外共に権衡を欠いてはならぬ。要するに、単にその表面を衒わんがため、いたずらに形式にのみ囚わるるということは、最も注意してこれを避けねばならぬ。
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『呻吟語』内篇・應務・相忘るるの怒詈相嫌ふの敬慎は、相忘るるの怒詈に若かず。
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『墨子』公孟公孟子、章甫を戴き、儒服を搢して、以て子墨子に見えて曰く、「君子は服して然る後に行うか。其れ行いて然る後に服するか」と。子墨子曰く、「行いは服に在らず」と。公孟子曰く、「何を以て其の然るを知るや」と。子墨子曰く、「昔者、齊の桓公は髙冠博帶、金劒木盾にして、以て其の國を治むるに、其の國治まる。昔者、晉の文公は大布の衣、䍧羊の裘、韋以て劒を帶びて、以て其の國を治むるに、其の國治まる。昔者、楚の荘王は鮮冠組纓、絳衣博袍にして、以て其の國を治むるに、其の國治まる。昔者、越王句踐は髪を剪り身に文して、以て其の國を治むるに、其の國治まる。此の四君は、其の服同じからざるも、其の行いは猶お一なり。翟、是を以て行いの服に在らざるを知るなり」と。公孟子曰く、「善し。吾れ之を聞きて曰く『善を宿する者は不祥なり』と。請う、章甫を舍易し、復た夫子に見えて可ならんか」と。子墨子曰く、「請う、因りて以て相い見えん。若し必ず将に章甫を舍易して、而る後に相い見えんとせば、然らば則ち行いは果たして服に在るなり」と。
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『塩鉄論』孝養篇丞相史曰く、八十を耋と曰い、七十を耄と曰う。耄は、食は肉に非ざれば飽かず、衣は帛に非ざれば暖かならず。故に孝子は甘毳を曰いて以て口を養い、輕暖もて以て體を養う。曾子の曾晳を養うや、必ず酒肉有り。端絻無ければ、公西赤と雖も以て容を為す能わず。肴膳無ければ、閔・曾と雖も以て養を卒うる能わず。禮は虛しく加えず、故に必ず其の實有りて然る後に之を文る。其の禮余り有りて養足らざるよりは、寧ろ養余り有りて禮足らざれ。夫れ爵を洗いて以て水を盛り、升降して糲を進む、禮備わると雖も、然れども其の貴ぶ者に非ざるなり。
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