名将言行録 / 『名将言行録』北條長氏 評・武士訓と四代目の凋落
二十一ケ條の武士訓は、有名だが(歌道なき人は、無手に賤し、學ぶべし)と云つてゐるなど、流石に京都にゐた丈あり、戰國時代の諸將に比べて、文化的にも一日の長があると云つてよい。(無手に)と云ふのは、無下にの誤植でなく、(空手に)の意味で(風情なく、取柄なく)と云ふ意味である。子の氏綱、孫の氏康が父祖を恥しめない位偉かつた。家康に對する秀忠、家光などよりも、ずつと偉いのである。それで、關東八州を切り取つたわけだが、四代目の氏政が、ガタ落をしたので、四代目になつて、うり家と唐樣に書いてしまつたのである。
新字:二十一ケ条の武士訓は、有名だが(歌道なき人は、無手に賤し、学ぶべし)と云つてゐるなど、流石に京都にゐた丈あり、戦国時代の諸将に比べて、文化的にも一日の長があると云つてよい。(無手に)と云ふのは、無下にの誤植でなく、(空手に)の意味で(風情なく、取柄なく)と云ふ意味である。子の氏綱、孫の氏康が父祖を恥しめない位偉かつた。家康に対する秀忠、家光などよりも、ずつと偉いのである。それで、関東八州を切り取つたわけだが、四代目の氏政が、ガタ落をしたので、四代目になつて、うり家と唐様に書いてしまつたのである。
書き下し
二十一ケ條の武士訓は、有名だが(歌道なき人は、無手に賤し、學ぶべし)と云つてゐるなど、流石に京都にゐた丈あり、戰國時代の諸將に比べて、文化的にも一日の長があると云つてよい。(無手に)と云ふのは、無下にの誤植でなく、(空手に)の意味で(風情なく、取柄なく)と云ふ意味である。子の氏綱、孫の氏康が父祖を恥しめない位偉かつた。家康に對する秀忠、家光などよりも、ずつと偉いのである。それで、關東八州を切り取つたわけだが、四代目の氏政が、ガタ落をしたので、四代目になつて、うり家と唐樣に書いてしまつたのである。
現代語訳
二十一ヶ条の武士訓は、有名だが(歌道なき人は、無手に賤し、学ぶべし)と言っているなど、流石に京都にいただけあり、戦国時代の諸将に比べて、文化的にも一日の長があると言ってよい。(無手に)というのは、無下にの誤植でなく、(空手に)の意味で(風情なく、取柄なく)という意味である。子の氏綱、孫の氏康が父祖を恥しめないくらい偉かった。家康に対する秀忠、家光などよりも、ずっと偉いのである。それで、関東八州を切り取ったわけだが、四代目の氏政が、ガタ落ちをしたので、四代目になって、うり家と唐様に書いてしまったのである。
解説

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