論語と算盤 / 成敗と運命・それ唯忠恕のみ
さればと云うて其の内容にのみ腐心して形式を疎外視することも宜しくない、凡そ各種の事業として、内外共に権衡を欠いてはならぬ、要するに、単に其の表面を衒はんが為め、徒らに形式にのみ囚はる〻と云ふことは、最も注意してこれを避けねばならぬ。
書き下し
さればと言うてその内容にのみ腐心して形式を疎外視することもよろしくない。およそ各種の事業として、内外共に権衡を欠いてはならぬ。要するに、単にその表面を衒わんがため、いたずらに形式にのみ囚わるるということは、最も注意してこれを避けねばならぬ。
現代語訳
そうかといって、中身にばかり心を砕いて形式をないがしろにするのもよろしくない。およそどのような事業であっても、内と外との釣り合いを欠いてはならない。要するに、ただ表面を飾り立てるために、いたずらに形式にばかりとらわれるということは、最も注意して避けなければならない。
解説
前段で内容の充実を求めた渋沢は、すぐに反対側へ釘を刺す。内容ばかりに腐心して形式を軽んじるのもよくない、事業は内外の釣り合いを欠いてはならない、と。そのうえで最も避けるべきは、表面を飾るために形式にとらわれることだと締める。内容か形式かの二者択一にせず、両方の均衡を求めながら、重心はあくまで中身に置く。これは本書全体を通じた渋沢の考え方で、『論語』雍也篇の「文質彬彬として然る後に君子なり」、すなわち飾りと実質がほどよく調和してこそ君子であるという言葉にも通じる。救済施設の運営で言えば、規則や手続きを整えることも大切だが、それが見栄えのための書類仕事になれば本末転倒である。報告書や制度の体裁を整えることに追われて、肝心の利用者や顧客への実質がおろそかになっていないか。今の組織にもそのまま当てはまる問いである。
関連する章句
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