韓非子 / 外儲說左上第三十二
鄭縣人卜子妻之市,買鼈以歸。過潁水,以爲渴也,因縱而飲之,遂亡其鼈。夫少者侍長者飲,長者飲,亦自飲也。一曰:魯人有自喜者,見長年飲酒不能釂則唾之,亦效唾之。一曰:宋人有少者亦欲效善,見長者飲無餘,非堪酒飲也而欲盡之。書曰:「紳之束之。」宋人有治者,因重帶自紳束也。人曰:「是何也?」對曰:「書言之,固然。」書曰:「既雕既琢,還歸其樸。」梁人有治者,動作言學,舉事於文,曰:「難之。」顧失其實。人曰:「是何也?」對曰:「書言之,固然。」
新字:鄭県人卜子妻之市,買鼈以帰。過潁水,以為渇也,因縦而飲之,遂亡其鼈。夫少者侍長者飲,長者飲,亦自飲也。一曰:魯人有自喜者,見長年飲酒不能釂則唾之,亦効唾之。一曰:宋人有少者亦欲効善,見長者飲無余,非堪酒飲也而欲尽之。書曰:「紳之束之。」宋人有治者,因重帯自紳束也。人曰:「是何也?」対曰:「書言之,固然。」書曰:「既雕既琢,還帰其樸。」梁人有治者,動作言学,舉事於文,曰:「難之。」顧失其実。人曰:「是何也?」対曰:「書言之,固然。」
書き下し
鄭県の人卜子の妻市に之き、鼈を買ひて以て帰る。潁水を過ぎ、以て渇すと為すや、因りて縦ちて之に飲ましむ、遂に其の鼈を亡ふ。夫れ少者長者に侍して飲むに、長者飲めば、亦自ら飲むなり。一に曰く、魯人に自ら喜ぶ者有り、長年の酒を飲みて釂すること能はずして則ち之を唾くを見て、亦效ひて之を唾く。一に曰く、宋人に少者の亦善に效はんと欲する有り、長者の飲みて余り無きを見て、酒を堪へて飲むに非ざるも之を尽くさんと欲す。書に曰く、「之を紳し之を束ぬ。」宋人に治むる者有り、因りて帯を重ねて自ら紳束するなり。人曰く、「是れ何ぞや。」対へて曰く、「書之を言ふ、固より然り。」書に曰く、「既に雕し既に琢す、還りて其の樸に帰す。」梁人に治むる者有り、動作言学、事を文に挙げて、曰く、「之を難しとす。」顧って其の実を失ふ。人曰く、「是れ何ぞや。」対へて曰く、「書之を言ふ、固より然り。」
現代語訳
鄭県の人の卜子の妻が市場に行き、すっぽんを買って帰った。潁水を通りかかったとき、すっぽんが喉が渇いているのだろうと思って放して水を飲ませたので、とうとうすっぽんを逃がしてしまった。そもそも若い者が年長者に付き添って酒を飲むとき、年長者が飲めば自分も飲む(ただ形を真似るだけである)。別の伝えでは、こうである。魯の人に、自分をよく見せたがる者がいた。年長者が酒を飲み干せずに吐き出すのを見ると、自分も真似て吐き出した。別の伝えでは、こうである。宋の若者で、やはり立派なふるまいを真似ようとする者がいた。年長者が酒を残さず飲むのを見ると、酒に強いわけでもないのに飲み干そうとした。古い書物に「帯を締め、身を束ねよ」とある。宋の学問をする者がこれを読んで、帯を二重にして自分の身を締めつけた。人が「それは何のつもりか」と言うと、「書物にそう書いてある。だからこうするのだ」と答えた。古い書物に「彫り刻み磨いたうえで、素朴さに立ち返る」とある。梁の学問をする者がこれを読んで、立ち居振る舞いも言葉も学びも、何事も文飾に凝り、「これは難しい」と言いながら、かえってその実を失った。人が「それは何のつもりか」と言うと、「書物にそう書いてある。だからこうするのだ」と答えた。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二鄭人に且に履を買わんとする者有り。先づ自ら其の足を度りて...市に之くに至りて之を操るを忘る。...曰く、「吾度を持つを忘る。」反り歸りて之を取り、反るに及べば、市罷み...。人曰く、「何ぞ之を試みるに足を以てせざる。」曰く、「寧ろ度を信ずるも、自ら信ずる無きなり。」
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『韓非子』外儲說左上第三十二斉に居士田仲なる者有り、宋人屈穀之に見えて曰く、「穀聞く先王の義は、人を恃仰して食はずと。今穀に巨瓠有り、堅きこと石の如く、厚くして竅無し、之を献ぜん。」仲曰く、「夫れ瓠の貴ぶ所は、其の以て盛るべきを謂ふなり。今厚くして竅無ければ、則ち剖きて以て物を盛るべからず。而して任重きこと堅石の如ければ、則ち以て剖きて以て斟むべからず。吾以て瓠を為すこと無きなり。」曰く、「然り、穀将に之を棄てんとす。」今田仲人を恃仰して食はず、亦人の国に益無し、亦堅瓠の類なり。虞慶屋を為る、匠人に謂ひて曰く、「屋太だ尊し。」匠人対へて曰く、「此れ新屋なり、塗濡れて椽生なり。」虞慶曰く、「然らず。夫れ濡塗は重くして生椽は撓む、撓椽を以て重塗に任ず、此れ宜しく卑かるべし。更に日久しければ、則ち塗乾きて椽燥く。塗乾けば則ち軽く、椽燥けば則ち直し、直椽を以て軽塗に任ず、此れ益ます尊からん。」匠人詘し、之を為りて屋壊る。一に曰く、虞慶将に屋を為らんとす、匠人曰く、「材生にして塗濡る。夫れ材生なれば則ち撓み、塗濡るれば則ち重し、撓を以て重に任ず、今成ると雖も、久しくして必ず壊れん。」虞慶曰く、「材乾けば則ち直く、塗乾けば則ち軽し。今誠に乾くを得ば、日に以て軽直ならん、久しと雖も、必ず壊れず。」匠人詘し、之を作りて成る、間有りて、屋果して壊る。范且曰く、「弓の折るるは、必ず其の尽くるに於てし、其の始めに於てせざるなり。夫れ工人の弓を張るや、檠に伏すること三旬にして弦を蹈み、一日にして機を犯す、是れ之を其の始めに節して之を其の尽くるに暴するなり、焉んぞ折るること無きを得ん。且つ弓を張ること然らず、檠に伏すること一日にして弦を蹈み、三旬にして機を犯す、是れ之を其の始めに暴して之を其の尽くるに節するなり。」工人窮し、之を為りて、弓折る。范且・虞慶の言は、皆文弁辞勝りて事の情に反す。人主説びて禁ぜず、此れ敗るる所以なり。
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『淮南子』說山訓人の力儉なるを譽むる者有り。舂きて旦に至るも、員呈に中たらず。猶お之を謫む。之を察すれば、乃ち其の母なり。故に小人の人を譽むるは、反って損と爲る。東家の母 死す。其の子 之を哭して哀しまず。西家の子 之を見て、歸りて其の母に謂いて曰く、「社 何ぞ速やかに死するを愛しまん。吾 必ず社を悲哭せん」と。夫れ其の母の死を欲する者は、死すと雖も亦た悲哭する能わざるなり。學に暇あらずと謂う者は、暇ありと雖も亦た學ぶ能わざるなり。窾木の浮かぶを見て舟を爲るを知り、飛蓬の轉ずるを見て車を爲るを知り、鳥跡を見て書を著すを知る。類を以て之を取るなり。義に非ざるを以て義と爲し、禮に非ざるを以て禮と爲すは、譬えば猶お裸走して狂人を追い、財を盜みて乞者に予え、簡を竊みて法律を寫し、蹲踞して詩・書を誦するがごとし。割きて之を舍けば、鏌邪も肉を斷たず。執りて釋かざれば、馬氂も玉を截つ。聖人に止まる無し。歲を以て昔に賢るとし、日々に昨に愈るなり。馬の鹿に似たる者は千金なるも、天下に千金の鹿無し。玉は礛諸を待ちて器と成るも、千金の璧有りて錙錘の礛諸無し。
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『韓非子』外儲說左上第三十二孔子曰く、「人君為る者は猶ほ盂のごときなり、民は猶ほ水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり。」鄒君長纓を服することを好み、左右皆長纓を服す、纓甚だ貴し。鄒君之を患ひ、左右に問ふ、左右曰く、「君服することを好めば、百姓亦多く服す、是を以て貴し。」君因りて先づ自ら其の纓を断ちて出づ、国中皆長纓を服せず。君下令して百姓の為に服度を為して以て之を禁ずること能はず、纓を断ちて出でて以て民に先んじて示す、是れ先づ戮して以て民に蒞むなり。叔向猟を賦す、功多き者は多きを受け、功少き者は少きを受く。韓の昭侯申子に謂ひて曰く、「法度甚だ行ひ易からざるなり。」申子曰く、「法は、功を見て賞を与へ、能に因りて官を受く。今君法度を設けて左右の請を聴く、此れ行ひ難き所以なり。」昭侯曰く、「吾今より以来法を行ふを知れり、寡人奚ぞ聴かん。」一日、申子其の従兄を官に仕へしめんことを請ふ。昭侯曰く、「子に学ぶ所に非ざるなり。子の謁を聴きて、子の道を敗らんか、亡た子の謁を用ひんか。」申子舎を辟けて罪を請ふ。六。晋の文公原を攻む、十日の糧を裹み、遂に大夫と十日を期す。原に至りて十日にして原下らず、金を撃ちて退き、兵を罷めて去る。士に原中より出づる者有り、曰く、「原三日にして即ち下らん。」群臣左右諫めて曰く、「夫れ原の食竭き力尽く、君姑く之を待て。」公曰く、「吾士と十日を期す、去らずんば、是れ吾が信を亡ふなり。原を得て信を失ふは、吾為さざるなり。」遂に兵を罷めて去る。原人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、帰する無かるべけんや。」乃ち公に降る。衛人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、従ふ無かるべけんや。」乃ち公に降る。孔子聞きて之を記して曰く、「原を攻めて衛を得たる者は、信なり。」文公箕鄭に問ひて曰く、「餓を救ふこと奈何。」対へて曰く、「信なり。」公曰く、「安んぞ信ならん。」曰く、「名に信に、事に信に、義に信なり。
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『韓非子』說林上二十二管仲の聖と隰朋の智とを以てするも、其の知らざる所に至りては、老馬と蟻とに師とすることを難しとせず。今人、其の愚心を以てして聖人の智を師とすることを知らず、亦過たずや。不死の薬を荊王に献ずる者有り。謁者之を操りて以て入る。中射の士問ひて曰く、「食ふべきか」と。曰く、「可なり」と。因りて奪ひて之を食ふ。王大いに怒り、人をして中射の士を殺さしむ。中射の士、人をして王に説かしめて曰く、「臣、謁者に問ふに、『食ふべし』と曰ふ、臣故に之を食ふ。是れ臣は罪無くして罪は謁者に在るなり。且つ客、不死の薬を献じ、臣之を食ひて王臣を殺さば、是れ死薬なり、是れ客、王を欺くなり。夫れ無罪の臣を殺して人の王を欺くを明らかにするは、臣を釈くに如かず」と。王乃ち殺さず。田駟、鄒君を欺く、鄒君将に人をして之を殺さしめんとす。田駟恐れて恵子に告ぐ。恵子、鄒君に見えて曰く、「今人有りて君に見え、則ち其の一目を䀹すれば、奚如」と。君曰く、「我必ず之を殺さん」と。恵子曰く、「瞽は両目を䀹す、君奚為れぞ殺さざる」と。君曰く、「䀹せざること能はざればなり」と。恵子曰く、「田駟は東のかた斉侯を慢り、南のかた荊王を欺く。駟の人を欺くに於けるや、瞽なり、君奚ぞ怨まん」と。鄒君乃ち殺さず。魯の穆公、衆公子をして或いは晋に宦し、或いは荊に宦せしむ。犁鉏曰く、「人を越に仮りて溺子を救はば、越人善く遊ぐと雖も、子必ず生きず。火を失して水を海に取らば、海水多しと雖も、火必ず滅えず。遠水は近火を救はざるなり。今晋と荊と強しと雖も、斉は近し、魯の患ひは其れ救はざらんか」と。厳遂、周君に善からず、之を患ふ。馮沮曰く、「厳遂相たり、而して韓傀、君に貴ばる。賊を韓傀に行ふに如かず、則ち君必ず以て厳氏と為さん」と。張譴、韓に相たり、病みて将に死せんとす。公乗無正、三十金を懐にして其の疾を問ふ。居ること一日、君、張譴に問ひて曰く、「若し子死なば、将に誰をして子に代はらしめん」と。