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政談 / 武家旅宿の境遇を改むる事

當時小身ものに御代官を仰付けられ其身は在江戶にて手代を遣はす故種々の奸曲あり、又田舍へ遣はされても小身なる故公事のさいきよもならす、小身にて武備も之なき故盜賊を靜むることもならす、又右の組の內より御役仰付られ候人は妻子引き連れ常江戶なるへし、御役擧らは元の如く知行所へ參り組へ入るへし、醫者も田舍の居住宜しきことなり、江戶にて療治を仕習ひては上手になるへきやうなし、仔細は第一渡世に物入る所にて、渡世に逐はるゝ故療治をむざと澤山に仕て念入らす、貴門權門へ出て入りし、衣服を飾り諸事に虛飾多し、醫者多き所なれは藥少しあたれは早醫者を換ゆるによりて換へられましきとして藥をあたらぬやうに合はする故骨を折る療治を仕覺えす、唯々よき時分に斷りを云ひ、受取渡しを上手にして評判を受けぬやうにと心掛くる故病の始終を見屆くること無し、是によりて江戶に名醫の出つることは决してあるましきなり、諸藝皆斯の如し、就中武士と云ふものは元來土の上の業をするものなる故、田舍の住居にあらざれは武藝廢るゝことなり、今の世の人百姓より外は武士も商人も古々と云ふものを持たす、雲の根を離れたるやうなる境界哀なる次第なり、

新字:当時小身ものに御代官を仰付けられ其身は在江戸にて手代を遣はす故種々の奸曲あり、又田舎へ遣はされても小身なる故公事のさいきよもならす、小身にて武備も之なき故盗賊を静むることもならす、又右の組の内より御役仰付られ候人は妻子引き連れ常江戸なるへし、御役挙らは元の如く知行所へ参り組へ入るへし、医者も田舎の居住宜しきことなり、江戸にて療治を仕習ひては上手になるへきやうなし、仔細は第一渡世に物入る所にて、渡世に逐はるゝ故療治をむざと沢山に仕て念入らす、貴門権門へ出て入りし、衣服を飾り諸事に虚飾多し、医者多き所なれは薬少しあたれは早医者を換ゆるによりて換へられましきとして薬をあたらぬやうに合はする故骨を折る療治を仕覚えす、唯々よき時分に断りを云ひ、受取渡しを上手にして評判を受けぬやうにと心掛くる故病の始終を見届くること無し、是によりて江戸に名医の出つることは決してあるましきなり、諸芸皆斯の如し、就中武士と云ふものは元来土の上の業をするものなる故、田舎の住居にあらざれは武芸廃るゝことなり、今の世の人百姓より外は武士も商人も古々と云ふものを持たす、雲の根を離れたるやうなる境界哀なる次第なり、

書き下し

当時小身ものに御代官を仰付けられ其身は在江戸にて手代を遣はす故種々の奸曲あり、又田舎へ遣はされても小身なる故公事のさいきよもならす、小身にて武備も之なき故盗賊を静むることもならす、又右の組の内より御役仰付られ候人は妻子引き連れ常江戸なるへし、御役挙らは元の如く知行所へ参り組へ入るへし、医者も田舎の居住宜しきことなり、江戸にて療治を仕習ひては上手になるへきやうなし、仔細は第一渡世に物入る所にて、渡世に逐はるゝ故療治をむざと沢山に仕て念入らす、貴門権門へ出て入りし、衣服を飾り諸事に虚飾多し、医者多き所なれは薬少しあたれは早医者を換ゆるによりて換へられましきとして薬をあたらぬやうに合はする故骨を折る療治を仕覚えす、唯々よき時分に断りを云ひ、受取渡しを上手にして評判を受けぬやうにと心掛くる故病の始終を見届くること無し、是によりて江戸に名医の出つることは決してあるましきなり、諸芸皆斯の如し、就中武士と云ふものは元来土の上の業をするものなる故、田舎の住居にあらざれは武芸廃るゝことなり、今の世の人百姓より外は武士も商人も古々と云ふものを持たす、雲の根を離れたるやうなる境界哀なる次第なり、

現代語訳

今は小身の者に御代官を仰せ付けられ、その身は江戸にいて手代を遣わすので、いろいろな不正がある。また田舎へ遣わされても、小身なので訴訟の裁きもできず、小身で武備もないので盗賊を鎮めることもできない。また先の組の中からお役を仰せ付けられた人は、妻子を連れて常に江戸に住むべきである。お役が終われば元のように知行所へ行き、組に入るべきである。医者も田舎に住むのがよい。江戸で治療を習っていては上手になるはずがない。そのわけは、第一に暮らしに費用がかかる所で、暮らしに追われるので、治療をむやみにたくさんして念を入れず、身分の高い家や権勢のある家へ出入りし、衣服を飾り、何事にも虚飾が多い。医者の多い所なので、薬が少し当たる(合わない)とすぐに医者を替えるので、替えられまいとして薬が当たらないように調合するから、骨の折れる治療を身につけない。ただ頃合いを見て断りを言い、次の医者への受け渡しを上手にして、悪い評判を受けないようにと心がけるので、病の始終を見届けることがない。これによって、江戸に名医が出ることは決してないだろう。諸芸もみなこのようである。とりわけ武士というものは、もともと土の上の業をする者なので、田舎の住まいでなければ武芸は廃れる。今の世の人は、百姓のほかは武士も商人もふるさとというものを持たない。雲が根を離れたような境界で、哀れなことである。

解説

江戸の医者の話を通じて、旅宿の暮らしが専門職の腕をも損なうことを示した条である。生活費に追われて診療数をこなし、権門に取り入り、患者がすぐ医者を替えるので無難な薬しか出さず、病の始終を見届けない。こうして江戸に名医は出ないと徂徠は断じる。評判を恐れて難しい仕事を避け、短期の成果ばかり追う構造は、今の専門職にも見られる。最後の「雲の根を離れたる」という一句は、ふるさとを持たない都市生活者の根無し草の姿を言い当て、政談の旅宿論を象徴する言葉となっている。

この章句が説くこと

専門職医者旅宿評判根修練

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