政談 / 當時困窮を改むる道古三代の制度を考へ定むべき事
制度のことは先差措き末に至りて申すへし、先つ旅宿の所を言はゝ諸大名一年替りに御城下に詰め居れは一年は並の旅宿なり、其妻は常に江戶なる故常住の旅宿なり、御旗本の武士も常に江戶にて常住の旅宿なり、諸大名の家中も大方は其城下に集まり居て、面々の地行所に居らされは旅宿成る上、近年は江戶勝手の家來次第に多く成る、これをこの武士と云はるゝほとのものゝ旅しゆくならぬは一人もなし、諸國の民の工商の業をするものも、ぼていふり、日用取りなとの游民も、在所を離れて御城下に集まる者、年々にいやましにて、旅宿をも旅宿と心得るときは物入りも少なきことなるを、江戶中のもの旅宿と云ふ心は夢にも付かす、旅宿を常住と心得る故暮しの物入り莫大にして、武士の知行は皆商人に吸取らるゝなり、
新字:制度のことは先差措き末に至りて申すへし、先つ旅宿の所を言はゝ諸大名一年替りに御城下に詰め居れは一年は並の旅宿なり、其妻は常に江戸なる故常住の旅宿なり、御旗本の武士も常に江戸にて常住の旅宿なり、諸大名の家中も大方は其城下に集まり居て、面々の地行所に居らされは旅宿成る上、近年は江戸勝手の家来次第に多く成る、これをこの武士と云はるゝほとのものゝ旅しゆくならぬは一人もなし、諸国の民の工商の業をするものも、ぼていふり、日用取りなとの游民も、在所を離れて御城下に集まる者、年々にいやましにて、旅宿をも旅宿と心得るときは物入りも少なきことなるを、江戸中のもの旅宿と云ふ心は夢にも付かす、旅宿を常住と心得る故暮しの物入り莫大にして、武士の知行は皆商人に吸取らるゝなり、
書き下し
制度のことは先差措き末に至りて申すへし、先つ旅宿の所を言はゝ諸大名一年替りに御城下に詰め居れは一年は並の旅宿なり、其妻は常に江戸なる故常住の旅宿なり、御旗本の武士も常に江戸にて常住の旅宿なり、諸大名の家中も大方は其城下に集まり居て、面々の地行所に居らされは旅宿成る上、近年は江戸勝手の家来次第に多く成る、これをこの武士と云はるゝほとのものゝ旅しゆくならぬは一人もなし、諸国の民の工商の業をするものも、ぼていふり、日用取りなとの游民も、在所を離れて御城下に集まる者、年々にいやましにて、旅宿をも旅宿と心得るときは物入りも少なきことなるを、江戸中のもの旅宿と云ふ心は夢にも付かす、旅宿を常住と心得る故暮しの物入り莫大にして、武士の知行は皆商人に吸取らるゝなり、
現代語訳
制度のことはひとまずおいて、末に述べよう。まず旅宿のことを言えば、諸大名は一年交代で御城下に詰めているので、その一年は普通の旅宿である。その妻は常に江戸にいるので常住の旅宿である。御旗本の武士も常に江戸にいて常住の旅宿である。諸大名の家中もたいていはその城下に集まっていて、それぞれの知行所にいないので旅宿である上に、近年は江戸詰めの家来がしだいに多くなっている。こうして武士といわれるほどの者で、旅宿でない者は一人もいない。諸国の民で職人や商いの仕事をする者も、棒手振(天秤棒で売り歩く者)や日雇い取りなどの遊民も、在所を離れて御城下に集まる者が年々増える一方である。旅宿を旅宿と心得ているなら出費も少なくてすむのに、江戸中の者は旅宿だという心は夢にも持たず、旅宿を常住のものと心得ているので、暮らしの出費が莫大になり、武士の知行はみな商人に吸い取られるのである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事国に締を付けたること大概右の条々につくせり、されとも畢竟の所武家を知行所に置さるは締の至極にあらす、夫のみならす武道を再興し、世界の奢りを静め、武家の貧窮を救ふ仕方此の外更に有るへからす、先つ第一武家御城下に集り居るは旅宿なり、諸大名の家来も其の城下に居るを江戸に対して在所とはいへとも、是亦己か知行所にあらされは旅宿なり、其仔細は衣食住を初め木一本も買調へねはならぬ故旅宿なり、故に武家を御城下に差置ときは、一年の知行米を売払ふて夫にてものを買調へ一年中に使ひ切る故、勢を出して上へする奉公は皆御城下の町人のためになるなり、是に依りて御城下の町人盛になりて世界次第に悪しくなり、物の直段次第に高直になりて武家の困窮当時に至りては最早すへきやうなくなりたり、
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『政談』當時困窮を改むる道古三代の制度を考へ定むべき事畢竟精を出して上へ奉公をして、上より賜はる禄は残らず皆御城下の商人のものとなり、馬を持ことも成らす、人を持こともならず、各春のきふ符の間をは質物にてとりつゞき、町人に仕送りと云ふことを頼みて、己れが身上は人の手に渡るやうに当時はなりきはまりたるは哀なる事ならずや、畢竟は箸一本にても代を出して買調へされは叶はさること故斯の如くなりたるなり、之のみならず公儀の御身上も同く旅宿の仕掛なり、其仔細は何もかも皆御買上けにて御用を弁せらるヽによりて旅宿なり、惣して和漢ともに天下を知し召さるゝ上は、御買上と云ふことはなき故なり、大名なとの在所他国なるか御城下に参勤して詰め居るは旅宿なれは尤のことなり、天下を知し召さるゝ上は日本国中は皆御国なり、何もかも皆其のものを直に御用ひなさるゝこと故御買上げと云ふことはなき筈なり、物を買ふと云ふは元来人のものなるをたゝは取られぬことなる故代を出して取ることを云ふなり、
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『政談』諸大名の困窮を救ふ事諸大名の身上のこと是亦同断なり、其身上の困究するいはれは、隔年に江戸詰する故御城下をはれと覚え、物成悉く売り払ひ金にして江戸にて遣ひ棄ることは大名の境界なり、これによりて自分のをこりたへ〳〵なるも、江戸の物価高直になることによりて次第にもの入り強くなる、慶長寛永の頃まては諸大名謀叛を気遣ひ金を遣はするやうにすること其時分御年寄ともの計策なり、これによりて御老中諸大名よりものをとること却て御奉公の筋にて、其時分は曽て遠慮なきことなりと云ふ、此筋盛遣に成て御先々前御代の頃は御手伝ひ等仰せ付らるゝこと盛なる故諸大名愈々物をひ、上の御威勢の烈しきに恐れて手前の困窮をも顧みす、京都大坂の町人より金を借り返弁もならす、大方はよこにねることになれは其後は金を貸さす、然るに金銀のかはりめになり困窮以ての外なり、
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『政談』當時困窮を改むる道古三代の制度を考へ定むべき事金にて諸事のものを買調へねは一日も暮されぬこと故商人なくては武家は立たぬなり、諸事の物は皆商人の手にあるを夫を金を出して申し受て用を弁する事なる故、直段の押し引きは有れとも押し買はならす、畢竟直段は商人の申し次第なり、是れ武家にて旅宿の境界なる故、商人の利倍を得る事此百年以来ほと盛なることは天地開闢より異国にも日本にも之なし、其の仔細は書籍のをもて近くは長崎の唐物の直段にて知るゝことなり、御城下に聚り集ひて町の家居夥しくなり、北は千住南は品川まて立続くなるほとに、如何やうなることにても御城下にて手つかゆることなく、何程大層なることも忽ちの内に調ほりて自由便当云ふばかりなし、斯の如く御城下は諸事に付け自由なる所なる上に、せわしなき風俗と制度なきと此二つを知る故武家の輩米を貴ふ心無くなり、金を大切のものと思ひ、是よりして身上を皆商人に吸取れて武家日々に困究することなり、
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『政談』武家米を貯ふる仕方の事武家知行所に居住するとき、家居は所の木を伐りて造る、米は年貢米を用ゆる、味噌豆も所に生する、衣服は織りて着る、衣食住に物入ることなし、下々のきりまいも米にて取らする、又大小衣服を免す時は分限なる百姓皆家来となる、人返しをするときは奉公人他へ住むことならぬ故、皆地頭の家来となり譜代となる、されは米を売りて金にすることは入らぬことなり、右に云ひたる四分一をまうくると云ふは至極の兼合ひなり、尚ほ其の外をも米を妄りに売らす武家に占め置くときは、商人も米を金にせすしてならぬこと故商人特の外に迷惑して諸色の直段は心の儘に下かるへし、是は主客の勢ひと云ふことなり、当時は旅宿の境界なる故金なくてはならぬ故、米を売りて金にして商人より物を買て日々を送ることなれば、商人主となりて武家は客なり、故に諸色の直段武家の心儘にならぬなり、武家皆知行所に住するときは米を売らずして事済む故、商人米を欲しかる事なれは武家主となりて商人客なり、されは諸色の直段は心儘に成ことなり、是皆古聖人の広大甚深なる智恵より出てたる万古不易の掟なり、
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事当時は大かた成人と云ふもの和らかに下の情に疎く、幼少と変なし、御譜代外様と云ふも今は名はかりにて同し事なり、御代初めの時分にて外様大名は御をつかまつりたるものゝ子孫なれは、御用心あらんも尤もなり、御譜代も武剛を者の子ともにてなるほとそのころまては差別有るべけれとも、今日に至りては何れも親縁の中に成り、何れも〳〵江戸育ちにて江戸を古郷と思ふ人なり、其家中の大禄の家来も皆な生まれかはりになり、代々其の家中にて人に崇めらるゝ故、其の主人とさのみ変らすうつかりなり、総体の様子に国持大名に奥ゆかしきことあるは所換をせす古き風俗を持ち伝へたる故のことなり、然れは御科ありての所換は各別の事、向後所換を停止ありて家中の武士をも皆知行所を呉れて面々知行所に居住せは、軍兵の数昔に帰りて日本武道の再興なるへし、大切のことなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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