政談 / 武家旅宿の境遇を改むる事
偖田舍の締りなく成たり、田舍の締りと云ふは昔は在々に武家滿ち〳〵たれは百姓共我儘ならす、百年以來地頭知行所に住まさる故かしらをさるゝもの無くて、百姓特の外に我儘になりたり、御旗本の武士小身なれは自身住まずしては江戶より知行所の仕置することならす、代官なと遣はすにも小身者の家來若とう風情のものなれは何の用にも立たす、自から私領をも公儀より治むるやうになりて、彌々地頭を輕することに今はなりたり、人殺なとあるときも江戶へ申し來り、江戶より詮議する故日數延ひて詮議手延になり、實否も知れぬことになれるもの多し、又盜人なと捕へても江戶へ連れ參れは途中の物入り多く、江戶にて詮議六ケ敷く手間取る故物入多く、又作の時節農業の邪魔になる故其の儘になして申し出です、又博奕うち三笠付けなとの御觸有ても右の仔細なれば仇をさるゝことを厭ひて申出てす、又目あかしなと云ふやうなるたくひも田舍へ行きて樣々の惡事をすれとも、之をも右の仔細にて申し出てす、何事も公儀の御仕置は江戶はかりのやうにて田舍へは行きわたらぬ事みな武家のすまぬ故なり、
新字:偖田舎の締りなく成たり、田舎の締りと云ふは昔は在々に武家満ち〳〵たれは百姓共我儘ならす、百年以来地頭知行所に住まさる故かしらをさるゝもの無くて、百姓特の外に我儘になりたり、御旗本の武士小身なれは自身住まずしては江戸より知行所の仕置することならす、代官なと遣はすにも小身者の家来若とう風情のものなれは何の用にも立たす、自から私領をも公儀より治むるやうになりて、弥々地頭を軽することに今はなりたり、人殺なとあるときも江戸へ申し来り、江戸より詮議する故日数延ひて詮議手延になり、実否も知れぬことになれるもの多し、又盗人なと捕へても江戸へ連れ参れは途中の物入り多く、江戸にて詮議六ケ敷く手間取る故物入多く、又作の時節農業の邪魔になる故其の儘になして申し出です、又博奕うち三笠付けなとの御触有ても右の仔細なれば仇をさるゝことを厭ひて申出てす、又目あかしなと云ふやうなるたくひも田舎へ行きて様々の悪事をすれとも、之をも右の仔細にて申し出てす、何事も公儀の御仕置は江戸はかりのやうにて田舎へは行きわたらぬ事みな武家のすまぬ故なり、
書き下し
偖田舎の締りなく成たり、田舎の締りと云ふは昔は在々に武家満ち〳〵たれは百姓共我儘ならす、百年以来地頭知行所に住まさる故かしらをさるゝもの無くて、百姓特の外に我儘になりたり、御旗本の武士小身なれは自身住まずしては江戸より知行所の仕置することならす、代官なと遣はすにも小身者の家来若とう風情のものなれは何の用にも立たす、自から私領をも公儀より治むるやうになりて、弥々地頭を軽することに今はなりたり、人殺なとあるときも江戸へ申し来り、江戸より詮議する故日数延ひて詮議手延になり、実否も知れぬことになれるもの多し、又盗人なと捕へても江戸へ連れ参れは途中の物入り多く、江戸にて詮議六ケ敷く手間取る故物入多く、又作の時節農業の邪魔になる故其の儘になして申し出です、又博奕うち三笠付けなとの御触有ても右の仔細なれば仇をさるゝことを厭ひて申出てす、又目あかしなと云ふやうなるたくひも田舎へ行きて様々の悪事をすれとも、之をも右の仔細にて申し出てす、何事も公儀の御仕置は江戸はかりのやうにて田舎へは行きわたらぬ事みな武家のすまぬ故なり、
現代語訳
さて、田舎の締まりがなくなった。田舎の締まりというのは、昔は村々に武家が満ちていたので百姓たちもわがままにならなかった。百年来、地頭(領主)が知行所に住まないので、頭を押さえる者がなくて、百姓がことのほかわがままになった。御旗本の武士は小身なので、自分で住まなければ江戸から知行所の仕置(統治)をすることはできない。代官などを遣わすにも、小身の者の家来や若党ふぜいなので何の役にも立たない。自然と私領も公儀から治めるようになって、いよいよ地頭を軽んじることに今はなった。人殺しなどがあった時も江戸へ申し出て、江戸から取り調べるので日数が延びて取り調べが遅れ、真偽もわからなくなるものが多い。また盗人などを捕らえても、江戸へ連れて行けば途中の費用が多く、江戸での取り調べも難しく手間取るので費用がかさみ、また耕作の時節には農業の邪魔になるので、そのままにして申し出ない。また博打打ちや三笠付け(賭博の一種)などのお触れがあっても、右のわけなので、仕返しされることを嫌って申し出ない。また目明かしなどというような者も、田舎へ行ってさまざまな悪事をするけれども、これも右のわけで申し出ない。何事も公儀のお仕置は江戸ばかりのようで、田舎へは行き渡らないのは、みな武家が住まないからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』浪人並に道心者締り等の事寺の召使ひに刀指を召し置くこと、僧の供に刀脇指なしたるものを召しつるゝこと御門跡の外は院家たりとも禁制あるへきことなり、寺領に代官を差置くこと是亦あるましきことなり、近村の御領私領より支配して年貢はかりを其の寺に渡すへきことなり、寺社門跡を寺社奉行の支配とすること是亦一とうに町奉行の支配なるへし、仔細は殺生戒を第一とし、一大蔵経の内に国を治むる道は一句も之なく、公法の咎人をもちひのために命を貰ひ、或はかまひこれあるものをも詫言をすること当時僧の所作なり、土地を持ちて民を支配するときは刑罰なくては法は立たぬ事なり、刀指したるものを召し仕ふ上は事により切腹も申し付けすして叶はさること之あり、帯剣のものを供につれて供先にて何の用にか立つ、これによりて覚彦比丘は一生の間供のものに脇指をさゝせす、此等はたゝ武家の真似をすると云ふものにして全く仏法の衰廃なり、仏法を崇敬する上にても此等は制すへきことなり、寺領を寺より支配するゆゑ、寺社領に悪人多くかくれ居、田舎にても寺社領へは守護の手入り兼、これによりて災も起り、国主の政道も行きわたらす、兎角寺社領は近所の御領私領にあつけ支配すべきと也、
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『韓非子』八經第四十八故に明主は公私の分を審らかにし、利害の地を審らかにすれば、姦乃ち乘ずる所無し。亂の生ずる所は六なり。主母、后姬、子姓、弟兄、大臣、顯賢なり。吏に任じ臣を責むれば、主母放ならず。禮施等を異にすれば、后姬疑はず。勢を分かちて貳ならざれば、庶適爭はず。權籍を失はざれば、兄弟侵さず。下一門ならざれば、大臣擁せず。禁賞必ず行はるれば、顯賢亂れず。臣に二因有り、外内を謂ふなり。外を畏と曰ひ、内を愛と曰ふ。畏るる所の求め得られ、愛する所の言聽かるるは、此れ亂臣の因る所なり。外國の諸吏を置く者は、誅を結び親暱を重帑にすれば、則ち外籍らず。爵禄功に循ひ、請ふ者俱に罪せらるれば、則ち内因らず。外籍らず、内因らざれば、則ち姦宄塞がる。官節を襲ねて進み、以て大任に至るは、智なり。其の位至りて任大なる者は、三節を以て之を持す。曰く質、曰く鎮、曰く固。親戚妻子は、質なり。爵禄厚くして必なるは、鎮なり。參伍して責め怒るは、固なり。賢者は質に止まり、貪饕は鎮に化し、姦邪は固に窮す。忍びて制せざれば則ち下上り、小除かざれば則ち大いに誅す、而して名實當らば則ち之を徑す。生きては事を害し、死しては名を傷つくれば、則ち飲食を行ふ。然らずんば、而ち其の讎に與ふ、此れを陰姦を除くと謂ふなり。翳ふを詭と曰ひ、詭を易と曰ふ。功を見て賞し、罪を見て罰すれば、詭乃ち止む。是非泄れず、說諫通ぜざれば、易乃ち用ひられず。父兄賢良播出するを遊禍と曰ふ、其の患は鄰敵資多し。僇辱の人近習するを狎賊と曰ふ、其の患は忿を發し辱を疑ふの心生ず。怒を藏し罪を持して發せざるを增亂と曰ふ、其の患は徼幸妄舉の人起こる。大臣兩重衡を提げて踦ならざるを卷禍と曰ふ、其の患は家隆にして劫殺の難作る。脱易にして自ら神ならざるを彈威と曰ふ、其の患は賊夫酖毒の亂起こる。此の五患は、人主之を知らざれば、則ち劫殺の事有り。
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『韓非子』孤憤第十一当塗の人、事要を擅にすれば、則ち外内之が為に用ゐらる。
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『韓非子』愛臣第四兄弟服せざれば、必ず社稷を危ふくす。臣聞く、千乗の君備へ無ければ、必ず百乗の臣其の側に在りて、以て其の民を徙して其の国を傾くる有り。万乗の君備へ無ければ、必ず千乗の家其の側に在りて、以て其の威を徙して其の国を傾くる有り。
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『韓非子』愛臣第四昔者紂の亡ぶる、周の卑しき、皆諸侯の博大なるに従るなり。晋の分かるるや、斉の奪はるるや、皆群臣の太だ富めるを以てなり。夫れ燕・宋の其の君を弑する所以の者は、皆此の類なり。
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論語・子張篇孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子曰く、「上其の道を失いて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。」
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