政談 / 武家旅宿の境遇を改むる事
又上總の國に新門徒と云ふものあり、日蓮宗の一派なり、其の元祖は秀賴卿歸伏の僧にて、上總より上方へ升り討策の相手と成り、御當家を調伏して終に御仕置きになる、夫の僧上方より金銀を取べきため上總の百姓に上人號を許し、まんだらを傳授す、夫れを俗人も段々に受け傳へて之れを新門徒と云ふ、旦那寺は持ちなから寺を曾て用ひす、人死すれは旦那寺の引導したるあとにて火を打ち淸めて引導を夫の俗上人仕置す、金を出して人をだまして其の宗門に引き入るゝこと吉利支丹の如し、旦那寺へは一年に何程と定めて米を贈くりて出て入りするものなし、亂行の出家は旦那の來ぬを悅ひて知りつゝ住持すると云へり、初めは一二ケ村なりしか中比は夥しくひろまり、數十ヶ村に成りたりと承はる、箇樣なることも手前は搆はぬことゝて申し出つるものなし、田舍には此のたくひのこと尙ほ多かるへし、
新字:又上総の国に新門徒と云ふものあり、日蓮宗の一派なり、其の元祖は秀頼卿帰伏の僧にて、上総より上方へ升り討策の相手と成り、御当家を調伏して終に御仕置きになる、夫の僧上方より金銀を取べきため上総の百姓に上人号を許し、まんだらを伝授す、夫れを俗人も段々に受け伝へて之れを新門徒と云ふ、旦那寺は持ちなから寺を曽て用ひす、人死すれは旦那寺の引導したるあとにて火を打ち清めて引導を夫の俗上人仕置す、金を出して人をだまして其の宗門に引き入るゝこと吉利支丹の如し、旦那寺へは一年に何程と定めて米を贈くりて出て入りするものなし、乱行の出家は旦那の来ぬを悦ひて知りつゝ住持すると云へり、初めは一二ケ村なりしか中比は夥しくひろまり、数十ヶ村に成りたりと承はる、箇様なることも手前は搆はぬことゝて申し出つるものなし、田舎には此のたくひのこと尚ほ多かるへし、
書き下し
又上総の国に新門徒と云ふものあり、日蓮宗の一派なり、其の元祖は秀頼卿帰伏の僧にて、上総より上方へ升り討策の相手と成り、御当家を調伏して終に御仕置きになる、夫の僧上方より金銀を取べきため上総の百姓に上人号を許し、まんだらを伝授す、夫れを俗人も段々に受け伝へて之れを新門徒と云ふ、旦那寺は持ちなから寺を曽て用ひす、人死すれは旦那寺の引導したるあとにて火を打ち清めて引導を夫の俗上人仕置す、金を出して人をだまして其の宗門に引き入るゝこと吉利支丹の如し、旦那寺へは一年に何程と定めて米を贈くりて出て入りするものなし、乱行の出家は旦那の来ぬを悦ひて知りつゝ住持すると云へり、初めは一二ケ村なりしか中比は夥しくひろまり、数十ヶ村に成りたりと承はる、箇様なることも手前は搆はぬことゝて申し出つるものなし、田舎には此のたくひのこと尚ほ多かるへし、
現代語訳
また上総の国に新門徒というものがある。日蓮宗の一派である。その元祖は豊臣秀頼卿が帰依した僧で、上総から上方へ上って謀りごとの相手となり、徳川家を調伏(呪詛)して、ついに処罰された。その僧が上方から金銀を取るために、上総の百姓に上人号を許し、曼荼羅を伝授した。それを俗人も次々に受け伝えて、これを新門徒という。旦那寺は持ちながら、寺をまったく用いず、人が死ぬと旦那寺が引導を渡した後で、火を打って清め、引導をその俗人の上人がやり直す。金を出して人をだまし、その宗門に引き入れることはキリシタンのようである。旦那寺へは一年にいくらと決めて米を送るだけで、出入りする者はいない。不行跡な出家は檀家が来ないのを喜んで、知りながら住職をしているという。初めは一、二か村だったが、中頃にはおびただしく広まり、数十か村になったと聞く。このようなことも、自分には関わりないこととして申し出る者はいない。田舎にはこの類いのことがなお多いだろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』號令國を安んずるの道は、道、地に任ずるより始まる。地、其の任を得れば則ち功成り、地、其の任を得ざれば則ち勞して功無し。人も亦た此を為す。備え、先に具えざる者は以て主を安んずる無し。吏卒民、多く心の一ならざる者は、皆な其の将長に在り。諸そ賞罰を行い及び治むること有る者は、必ず公より出づ。王、數しば人をして行き勞わしめ、邉城關塞を守り、蠻夷に備うるの勞苦なる者に賜い、其の守率の財用の餘り有ると足らざるとを舉げ、地形の當に邉を守るべき者、其の器備の常に多き者を舉ぐ。邉の縣邑は、其の樹木の惡しきを視れば、則ち用を少なくす。田、辟けざれば、食を少なくす。大屋・草盖無ければ、乗を用うるを少なくす。財多ければ、民、食を好む。内堞を為り、内に行棧し、器備を其の上に置く。城上の吏・卒・養は、皆な舍を道の内に為り、各おの其の隔部に當たる。養は十二人。符を為る者を養吏一人と曰い、諸門を辦護す。門者及び守禁有る者は、皆な事無き者をして其の旁らに稽留するを得しむる無かれ。令に従わざる者は戮す。敵人、但だ至らば、千丈の城は、必ず郭、之に近づき、主人、利し。千丈を盡くさざる者は迎うる勿かれ。敵の居曲、衆少を視て之に應ず。此れ守城の大體なり。其の此の中に在らざる者は、皆な心術と人事と之を參う。
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『呻吟語』外篇・品藻・人の自然の情を得るは難し人の不敢不然の情を得るは易く、人の自然の情を得るは難し。秦・漢而後は皆な人の不敢不然の情を得る者なり。
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論語・子張篇孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子曰く、「上其の道を失いて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。」
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尉繚子・兵教下其の利を喪うこと無く、其の時を奪うこと無く、其の政を寛にし、其の業を夷らかにし、其の弊を救わば、則ち以て天下に施すに足る。
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説苑・說叢王者、下に臨みて衆を治むる所以を知れば、則ち群臣畏服す。言を聽き事を受くる所以を知れば、則ち蔽欺せられず。萬民を安利する所以を知れば、則ち海內必ず定まる。忠孝もて上に事うる所以を知れば、則ち臣子の行備わる。凡そ劫殺せらるる所以の者は、道術を知りて以て其の臣下を御せざればなり。凡そ吏其の職に勝れば則ち事治まり、事治まれば則ち利生ず。其の職に勝えざれば則ち事亂れ、事亂るれば則ち害成る。
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『驢鞍橋』卷上一日去る国の太守、師を請して法要を問ふ。師示して曰く、一国を呑込んて治め給ふ事肝要也。心くどついて叶ふべからず。如何にも心をはつしと用ひ、慈悲を以て仕置等成さるべし。扨亦づんと打上り、人々の性をよく見分けて御下知あるべし。大略は主人の心せまくして、人の性を見分け得すして、我機に合はさる事多し。然るときんば我機往いて彼が機と戦ふ者也。是れかつたいと棒打ちしたるに非ずや。亦国下の公事沙汰を聞き玉ふにも、物上と成りて聞き玉ふべし。必ず物の下と成り、渠か云分に追付つてさばく時は、政道正からさる物也。然る間心を能く用ゐ、一国を引布いて御下知あるべしと也。
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