政談 / 浪人並に道心者締り等の事
寺の召使ひに刀指を召し置くこと、僧の供に刀脇指なしたるものを召しつるゝこと御門跡の外は院家たりとも禁制あるへきことなり、寺領に代官を差置くこと是亦あるましきことなり、近村の御領私領より支配して年貢はかりを其の寺に渡すへきことなり、寺社門跡を寺社奉行の支配とすること是亦一とうに町奉行の支配なるへし、仔細は殺生戒を第一とし、一大藏經の內に國を治むる道は一句も之なく、公法の咎人をもちひのために命を貰ひ、或はかまひこれあるものをも詫言をすること當時僧の所作なり、土地を持ちて民を支配するときは刑罰なくては法は立たぬ事なり、刀指したるものを召し仕ふ上は事により切腹も申し付けすして叶はさること之あり、帶劔のものを供につれて供先にて何の用にか立つ、これによりて覺彥比丘は一生の間供のものに脇指をさゝせす、此等はたゝ武家の眞似をすると云ふものにして全く佛法の衰廢なり、佛法を崇敬する上にても此等は制すへきことなり、寺領を寺より支配するゆゑ、寺社領に惡人多くかくれ居、田舍にても寺社領へは守護の手入り兼、これによりて災も起り、國主の政道も行きわたらす、兎角寺社領は近所の御領私領にあつけ支配すべきと也、
新字:寺の召使ひに刀指を召し置くこと、僧の供に刀脇指なしたるものを召しつるゝこと御門跡の外は院家たりとも禁制あるへきことなり、寺領に代官を差置くこと是亦あるましきことなり、近村の御領私領より支配して年貢はかりを其の寺に渡すへきことなり、寺社門跡を寺社奉行の支配とすること是亦一とうに町奉行の支配なるへし、仔細は殺生戒を第一とし、一大蔵経の内に国を治むる道は一句も之なく、公法の咎人をもちひのために命を貰ひ、或はかまひこれあるものをも詫言をすること当時僧の所作なり、土地を持ちて民を支配するときは刑罰なくては法は立たぬ事なり、刀指したるものを召し仕ふ上は事により切腹も申し付けすして叶はさること之あり、帯剣のものを供につれて供先にて何の用にか立つ、これによりて覚彦比丘は一生の間供のものに脇指をさゝせす、此等はたゝ武家の真似をすると云ふものにして全く仏法の衰廃なり、仏法を崇敬する上にても此等は制すへきことなり、寺領を寺より支配するゆゑ、寺社領に悪人多くかくれ居、田舎にても寺社領へは守護の手入り兼、これによりて災も起り、国主の政道も行きわたらす、兎角寺社領は近所の御領私領にあつけ支配すべきと也、
書き下し
寺の召使ひに刀指を召し置くこと、僧の供に刀脇指なしたるものを召しつるゝこと御門跡の外は院家たりとも禁制あるへきことなり、寺領に代官を差置くこと是亦あるましきことなり、近村の御領私領より支配して年貢はかりを其の寺に渡すへきことなり、寺社門跡を寺社奉行の支配とすること是亦一とうに町奉行の支配なるへし、仔細は殺生戒を第一とし、一大蔵経の内に国を治むる道は一句も之なく、公法の咎人をもちひのために命を貰ひ、或はかまひこれあるものをも詫言をすること当時僧の所作なり、土地を持ちて民を支配するときは刑罰なくては法は立たぬ事なり、刀指したるものを召し仕ふ上は事により切腹も申し付けすして叶はさること之あり、帯剣のものを供につれて供先にて何の用にか立つ、これによりて覚彦比丘は一生の間供のものに脇指をさゝせす、此等はたゝ武家の真似をすると云ふものにして全く仏法の衰廃なり、仏法を崇敬する上にても此等は制すへきことなり、寺領を寺より支配するゆゑ、寺社領に悪人多くかくれ居、田舎にても寺社領へは守護の手入り兼、これによりて災も起り、国主の政道も行きわたらす、兎角寺社領は近所の御領私領にあつけ支配すべきと也、
現代語訳
寺の召使いに刀を差す者を置くことや、僧の供に刀・脇差を差した者を連れ歩くことは、御門跡のほかは院家(格の高い寺)であっても禁制にすべきである。寺領に代官を置くこともあってはならない。近くの村の御領(幕府領)・私領(大名・旗本領)から支配して、年貢だけをその寺に渡すようにすべきである。寺社や門跡を寺社奉行の支配としていることも、これもまた一様に町奉行の支配とすべきである。その理由は、仏法は殺生戒を第一とし、一切経の中に国を治める道は一句もなく、公の法で罪を得た者の命をもらい受けたり、処罰を受けた者のために詫びを入れたりするのが今の僧のふるまいだからである。土地を持って民を支配するときは、刑罰がなくては法は立たない。刀を差した者を召し使う以上は、事によっては切腹も申し付けなければ済まないことがある。帯刀の者を供に連れて、供先でいったい何の役に立つのか。それゆえ覚彦比丘(浄厳覚彦、江戸前期の真言僧)は一生の間、供の者に脇差を差させなかった。これらはただ武家の真似をしているだけで、まったく仏法の衰えである。仏法を崇敬する立場から言っても、これらは禁じるべきである。寺領を寺が支配するために、寺社領には悪人が多く隠れ住み、田舎でも寺社領には守護の手が入りにくく、これによって災いも起こり、国主の政道も行き渡らない。とにかく寺社領は近所の御領・私領に預けて支配させるべきである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事偖田舎の締りなく成たり、田舎の締りと云ふは昔は在々に武家満ち〳〵たれは百姓共我儘ならす、百年以来地頭知行所に住まさる故かしらをさるゝもの無くて、百姓特の外に我儘になりたり、御旗本の武士小身なれは自身住まずしては江戸より知行所の仕置することならす、代官なと遣はすにも小身者の家来若とう風情のものなれは何の用にも立たす、自から私領をも公儀より治むるやうになりて、弥々地頭を軽することに今はなりたり、人殺なとあるときも江戸へ申し来り、江戸より詮議する故日数延ひて詮議手延になり、実否も知れぬことになれるもの多し、又盗人なと捕へても江戸へ連れ参れは途中の物入り多く、江戸にて詮議六ケ敷く手間取る故物入多く、又作の時節農業の邪魔になる故其の儘になして申し出です、又博奕うち三笠付けなとの御触有ても右の仔細なれば仇をさるゝことを厭ひて申出てす、又目あかしなと云ふやうなるたくひも田舎へ行きて様々の悪事をすれとも、之をも右の仔細にて申し出てす、何事も公儀の御仕置は江戸はかりのやうにて田舎へは行きわたらぬ事みな武家のすまぬ故なり、
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史記 高祖本紀田栄怒り、因りて自ら立ちて斉王と為り、田都を殺して楚に反す。彭越に将軍の印を予へ、梁の地に反せしむ。楚蕭公角をして彭越を撃たしむ、彭越大いに之を破る。陳余項羽の己を王とせざるを怨み、夏説をして田栄に説かしめ、兵を請ひて張耳を撃たんとす。斉陳余に兵を予へ、常山王張耳を撃破す、張耳亡げて漢に帰す。趙王歇を代に迎へ、復た立てて趙王と為す。趙王因りて陳余を立てて代王と為す。項羽大いに怒り、北のかた斉を撃つ。八月、漢王韓信の計を用ゐ、故道より還り、雍王章邯を襲ふ。邯漢を陳倉に迎撃す、雍の兵敗れ、還り走る。止まりて好畤に戦ふ、又復た敗れ、廃丘に走る。漢王遂に雍の地を定む。東して咸陽に至り、兵を引きて雍王を廃丘に囲み、而して諸将を遣はして隴西・北地・上郡を略定せしむ。将軍薛欧・王吸をして武関を出でしめ、王陵の兵の南陽に在るに因り、以て太公・呂后を沛に迎へしむ。楚之を聞き、兵を発して之を陽夏に距ぐ、前むを得ず。故の呉の令鄭昌をして韓王と為し、漢の兵を距がしむ。二年、漢王東のかた地を略す、塞王欣・翟王翳・河南王申陽皆降る。韓王昌聴かず、韓信をして撃ちて之を破らしむ。是に於て隴西・北地・上郡・渭南・河上・中地の郡を置く。関外に河南郡を置く。更めて韓の太尉信を立てて韓王と為す。諸将の万人若しくは一郡を以て降る者は、万戸に封ず。河上の塞を繕治す。諸々の故の秦の苑囿園池は、皆人をして之を田(たがや)すを得しむ。正月、雍王の弟章平を虜にす。大いに罪人を赦す。漢王の関を出でて陝に至るや、関外の父老を撫し、還るに、張耳来り見ゆ、漢王厚く之を遇す。二月、秦の社稷を除き、更めて漢の社稷を立てしむ。三月、漢王臨晋より渡る、魏王豹兵を将ゐて従ふ。河内を下し、殷王を虜にし、河内郡を置く。南のかた平陰津を渡り、雒陽に至る。
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『韓非子』八經第四十八故に明主は公私の分を審らかにし、利害の地を審らかにすれば、姦乃ち乘ずる所無し。亂の生ずる所は六なり。主母、后姬、子姓、弟兄、大臣、顯賢なり。吏に任じ臣を責むれば、主母放ならず。禮施等を異にすれば、后姬疑はず。勢を分かちて貳ならざれば、庶適爭はず。權籍を失はざれば、兄弟侵さず。下一門ならざれば、大臣擁せず。禁賞必ず行はるれば、顯賢亂れず。臣に二因有り、外内を謂ふなり。外を畏と曰ひ、内を愛と曰ふ。畏るる所の求め得られ、愛する所の言聽かるるは、此れ亂臣の因る所なり。外國の諸吏を置く者は、誅を結び親暱を重帑にすれば、則ち外籍らず。爵禄功に循ひ、請ふ者俱に罪せらるれば、則ち内因らず。外籍らず、内因らざれば、則ち姦宄塞がる。官節を襲ねて進み、以て大任に至るは、智なり。其の位至りて任大なる者は、三節を以て之を持す。曰く質、曰く鎮、曰く固。親戚妻子は、質なり。爵禄厚くして必なるは、鎮なり。參伍して責め怒るは、固なり。賢者は質に止まり、貪饕は鎮に化し、姦邪は固に窮す。忍びて制せざれば則ち下上り、小除かざれば則ち大いに誅す、而して名實當らば則ち之を徑す。生きては事を害し、死しては名を傷つくれば、則ち飲食を行ふ。然らずんば、而ち其の讎に與ふ、此れを陰姦を除くと謂ふなり。翳ふを詭と曰ひ、詭を易と曰ふ。功を見て賞し、罪を見て罰すれば、詭乃ち止む。是非泄れず、說諫通ぜざれば、易乃ち用ひられず。父兄賢良播出するを遊禍と曰ふ、其の患は鄰敵資多し。僇辱の人近習するを狎賊と曰ふ、其の患は忿を發し辱を疑ふの心生ず。怒を藏し罪を持して發せざるを增亂と曰ふ、其の患は徼幸妄舉の人起こる。大臣兩重衡を提げて踦ならざるを卷禍と曰ふ、其の患は家隆にして劫殺の難作る。脱易にして自ら神ならざるを彈威と曰ふ、其の患は賊夫酖毒の亂起こる。此の五患は、人主之を知らざれば、則ち劫殺の事有り。
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『韓非子』孤憤第十一当塗の人、事要を擅にすれば、則ち外内之が為に用ゐらる。
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『講孟余話』萬章上 第三章「之れを親しみて其の貴からんことを欲す」。身天子たり、弟匹夫たらば、親しまんと欲すと雖も、貴賤懸隔にして、勢ひ相親しむこと能はず、故に是れを貴くするとなり。「天子吏をして其の国を治めしめ、而して其の貢税を納めしむ」。明の王陽明の象祠記に、漢の諸王に天子より相を置くは、舜の象に於けるに倣ふならんとあり。是れ実に良法と云ふべし。徳川氏の三家其の他の親藩に於ける附家老あり、亦此の意ならん。但し漢の国相は時々にて転移す、徳川氏の附家老は世襲とす、是れを異なりとす。舜の吏如何を知るべからずと雖も、臆を以て是れを度るに、亦漢の国相の如くにして、世襲には非ざるべし。註に呉氏曰く、「仁の至り、義の尽くせるなり」と。之れを有庳に封じ以て富貴にするは、仁の至れるなり。吏をして其の国を治めしめ、其の国になすある能はざらしむるは、義の尽くせるなり。唐の明皇の長枕大被を作り、兄弟同寝するは、仁をなさんと欲して仁にあらず。又漢の景帝の梁王に於ける、始めは之れを縦にすること太だ過ぎ、之れを仁と云ふべからず。後には之れを窘むること太だ峻し、義又之れを失ふ。明皇・景帝の説は語類に原づく。
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『韓非子』愛臣第四兄弟服せざれば、必ず社稷を危ふくす。臣聞く、千乗の君備へ無ければ、必ず百乗の臣其の側に在りて、以て其の民を徙して其の国を傾くる有り。万乗の君備へ無ければ、必ず千乗の家其の側に在りて、以て其の威を徙して其の国を傾くる有り。
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