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政談 / 譜代者の事

之につき武家の召使ひに金きりまいと云ふことあるましきことなり、武家は知行をとるものなれば家來も米きりまいたるへし、知行の米を賣りて金にしてつかふことなる故、米の直段下直成るときは難義に及ふなり、大名にても此合點行かず、一ころ米價の賤しきとき特の外に困りたるなり、當時も國大名の家にては足輕中げんまでも皆米きりまいなり、公家のさむらいを三石さむらいと云ふも古風の殘りたると知るへし、且又武家の家來皆譜代に成りたるとき、其の主人故ありて小身にならんに、兼て譜代多きは養ふことならす、行きつかゆることあるへし、古より奴婢は資財に同しとて譜代の家來は其の家の財寳同然なる故賣買すること古法なり、其の頭々へ斷り他へ賣渡たし人別を改むへき也、

新字:之につき武家の召使ひに金きりまいと云ふことあるましきことなり、武家は知行をとるものなれば家来も米きりまいたるへし、知行の米を売りて金にしてつかふことなる故、米の直段下直成るときは難義に及ふなり、大名にても此合点行かず、一ころ米価の賤しきとき特の外に困りたるなり、当時も国大名の家にては足軽中げんまでも皆米きりまいなり、公家のさむらいを三石さむらいと云ふも古風の残りたると知るへし、且又武家の家来皆譜代に成りたるとき、其の主人故ありて小身にならんに、兼て譜代多きは養ふことならす、行きつかゆることあるへし、古より奴婢は資財に同しとて譜代の家来は其の家の財宝同然なる故売買すること古法なり、其の頭々へ断り他へ売渡たし人別を改むへき也、

書き下し

之につき武家の召使ひに金きりまいと云ふことあるましきことなり、武家は知行をとるものなれば家来も米きりまいたるへし、知行の米を売りて金にしてつかふことなる故、米の直段下直成るときは難義に及ふなり、大名にても此合点行かず、一ころ米価の賤しきとき特の外に困りたるなり、当時も国大名の家にては足軽中げんまでも皆米きりまいなり、公家のさむらいを三石さむらいと云ふも古風の残りたると知るへし、且又武家の家来皆譜代に成りたるとき、其の主人故ありて小身にならんに、兼て譜代多きは養ふことならす、行きつかゆることあるへし、古より奴婢は資財に同しとて譜代の家来は其の家の財宝同然なる故売買すること古法なり、其の頭々へ断り他へ売渡たし人別を改むへき也、

現代語訳

これに関連して、武家の召使いに金で切米(給金)を払うということはあってはならないことである。武家は知行(米)を取る者なので、家来も米で給を払うべきである。知行の米を売って金にして使うことになるので、米の値段が安いときは難儀に及ぶのである。大名でもこの理屈がわからず、一時米価が安かった時にことのほか困ったのである。今も国元にいる大名の家では、足軽や中間まで皆米で給を払っている。公家の侍を「三石侍」と言うのも、古風の残ったものと知るべきである。また、武家の家来がみな譜代になった時、その主人が事情があって小身になった場合、かねて譜代が多ければ養いきれず、行き詰まることもあるだろう。昔から奴婢は資財と同じとして、譜代の家来はその家の財宝同然なので、売買するのが古法である。その頭(上役)に届け出て他へ売り渡し、人別を改めるべきである。

解説

収入が米なのに支出を金で行う武家の財政構造の危うさを指摘した条である。知行米を売って金で給金を払えば、米価が下がった時に苦しくなる。収入と支出の通貨をそろえよという主張は、為替や価格変動のリスクを避ける今日の財務の考え方に通じる。一方、譜代を家の財産として売買してよいとする後段は、人を物として扱う古法をそのまま是認したもので、現代の人権感覚からは到底受け入れられない。合理的な財務の洞察と時代の限界を見分けて読む必要がある。

この章句が説くこと

財政米価給金リスク経営譜代

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